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2.6 実験結果の検討と評価(続)

2.6.1 二点の絵画実験の検討(続)

(1)作業時間と場所

土井宇宙飛行士の証言から、作業は、当初言われた一日5分という細切れなものではなく、かなり長時間にわたる集中的作業によるものであることがわかった。


絵を描く土井飛行士

Aの方は、サインと並んで「MET 8/12:00」とあるように、第1回船外活動後の飛行8日目に、ミッドデッキで描かれた。土井氏によれば「二時間では描ききれなくて、三時間近くかけて一気に描い・ス」ということである。
Bの制作は二段階に分かれ、まず飛行9日目にシャトルの窓から見える光景をスケッチし、さらに12日目に記憶されたイメージをもとに加筆して完成させたものである。

インタヴューのなかで、宇宙空間でこうした描画行為を行った個人的な印象をたずねたところ、「楽しかった。絵を描くというのは、写真を撮るのとちがって、より自分を積極的に表現できる。描いているときもリラックスできて楽しかったという記憶がある」ということであった。単なる鑑賞や記録ではなく、一定時間を費やす創作活動が持つ意義をあらためて示唆する貴重な証言である。

また「三時間近くかけて絵を描いているときにほかのクルーとのやりとりはなかったか」という問いに対し、土井氏は、「大きなスペースを占有するわけではなく、自分一人で取り組んでいる行為に対して、ほかの乗組員はなんら干渉しない。自分の個人的な時間は自由に使える」と答えた。つまり船内の活動スケジュール、とりわけ自由時間の設定は、厳密に決定されているのではなく、比較的フレキシブルに組換え可能である。今後何らかの芸術ミッションを構想する場合も、取り組む時間は固定的にではなく、行為者の意志や条件に応じて柔軟に設定される必要がある。

(2)空間感覚と身体性

時間的側面と並んで意外だったのは、2点の絵画とも、地上で描かれたのと変わらない安定した空間性を示していることであった。会見での発言によれば、土井飛行士は、「身体を固定しないで宙に浮いた状態で、食事用トレイをマジックテープでひざに固定し、それを画板がわりにした。その上に、紙を数枚束ねて厚紙にゴムバンドで留めたものを固定して描いた」という。微少重力下での描画には、それだけの工夫を要したということだ。

会見中、もっとも興味深い話の一つは、空間の参照軸(reference axis)に関するものであった。訓練の成果でもあろうが、土井氏のみならず、Steven Nagel、 Linda Godwin両氏の証言にもあるように、フライトの最初の2日ほどのあいだは上下の方向感覚が混乱するが、その後は適応して、意識的に身体の垂直軸を変換できるということである。つまり、天井や床といった空間の先験的な規定から比較的自由に、頭方向を上、足方向を下というふうに、身体に内在する上下の軸性にもとづいて、そのつど空間のフレームを意識的に組み換えることができるのである。

興味深いのは、その際に身体の垂直軸が水平軸よりも優先することだ。土井氏によれば、船外に出た場合も足元の貨物室の方向が下として意識され、地球に向かって上方に落ちていくような気になることはまずないということであった。身体が意識されにくい眠りの状態のとき、両眼のうしろに意識だけが浮いているような奇妙な感覚に襲われるという興味深い証言も、覚醒状態のときの身体の上下の軸性の意識が安定した空間体験の要であることをよく示している。

絵画を考えるとき、地上においては水平軸が重要な要素であるのだが、微少重力空間においては、むしろ垂直軸に注目しなければならないのかもしれない。絵画実験は、いずれも土井飛行士が微小重力空間に適応し、reference axis がコントロール可能な状態になってから行われている。Bの構図が、地球を上に浮かべているにもかかわらず、きわめて安定した軸性と左右対称性を示しているのも、それを眺め、描く土井氏の身体空間の枠組がしっかりと安定しているからである。

これは、Aの実験結果にも大きく関わってくる。本来この実験は、紙を数枚つなげて身体が楽に入るほどの大きさの円を描き、それに沿って丸い紙面を作ることを第一条件としていた。そのことによって、身体の基本的動作の可能性を検証するとともに、地上でのあらゆる造形が自明の前提としている重力感覚、水平/垂直および上/下という枠組を、宇宙という新しい環境で問い直すことが問題であった。(→図解による検討)

身体的スケールの大きな画面という条件は、小さな紙の矩形がもたらす概念的・習慣的な上下感覚によって空間表象が支配されるのをできるだけ避け、微小重力下の身体感覚がより直截に反映することを期待してのものであった。「上昇する6つの輪」を船内の6人の宇宙飛行士に見立てることも、こうした身体感覚の検証という意図に関連している。(→図解による検討)

残念ながら、スペース上の制約、また紙の固定方法の問題から、紙はレターサイズにとどまった。その結果、小さな紙面は、すでに安定した軸性を得た身体の枠組にすっぽりとはまり込み、土井氏自身も述べたように、地球の水平線がダイナミックに移動する宇宙での体験は画面に反映されていない。画面の中央下に引かれた安定した水平線が上下を規定するさまは、地上での空間表象の習慣がそのまま映り込んでいることを示している。

だが、配色のバランスをうまく考えながら、丁寧にすきまなく塗り分けられた画面を子細に観察すれば、描かれたプロセスとともに、図解で検討したようないくつかの興味深い考察が得られる。

Bの実験では土井氏の自由な描写が試みられた。図B3〜5は原図を回転させシャトルと土井氏の固定部分を取り去ることで、観賞者として受けるイメージがどのように変化するかを検証したものである。(→図解による検討
個々の図にコメントを添付しているが、注目されるのは原図の図B2以外では観賞者のポジションがシャトルを離れてしまうという点と、図B4と図B5での動きの方向性の差異である。これは、地上の重力によって上下の認識を規定されている人間の知覚空間が左右で異なる方向性をもつこと、また宇宙空間を表現するクレヨンのタッチの方向性によるものと考えられるが、上下が固定的に規定されない宇宙空間において、絵画空間の構造的な空間性がどのように変化するのかはたいへん興味深い。今後、身体感覚を直截に反映するより大きな画面で、筆や絵具などを使用して同じような描画実験を行った場合、どのような結果が得られるだろうか。

(3)色彩

色彩面に関しては、人為的な色彩構成を見せるよりも、眼前に広がる宇宙の光景を前にした感動を率直に伝えるの写生の方が興味深い。この絵からは、土井飛行士の地球に対する想いと、宇宙空間にいる、と言う感慨が伝わってくる。

「尾翼のまわりのピンク色の後光に染まったような部分は、シャトルの船体が光輝くさまを強調している」、「青い光を放って輝く地球の大気の層と白い雲、褐色の大陸、それらと漆黒の宇宙の対比を表したかった」と土井氏が言うように、このスケッチでは、特に宇・・間における光の美しさをいかに表現するかという点が留意されていたことに注目すべきである。いったんサインした後に再度背景を塗りこめているが、そこにも鮮やかな光の体験を定着しようという意欲が感じ取れる。

この絵は、アメリカ製の大豆油脂で作られた児童用クレヨンで描かれたが、宇宙空間でのこうした鮮烈な光の体験を捉えるのに、はたして地上で使用されている色材(絵具やパステル等)や色彩体系がどこまで有効であろうか。宇宙における光と色彩の関係を捉える新しいカラーチャートや、素材としての光の言語が探求されるべきであろう。


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