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第2次世界大戦終了後の1940年代後半頃から、ロシア(旧ソ連)とアメリカを中心にロケット開発競争が始まり、1950年代に有人宇宙飛行の実現の基礎となる航空宇宙医学の研究が始まりました。
気球や飛行機を用いた高高度飛行の実験などが行われ、環境制御・生命維持装置が開発されました。
1961年4月12日には、旧ソ連のユーリ・ガガーリン宇宙飛行士による世界初の有人宇宙飛行が実現しました。打上前は、長時間微小重力環境にさらされると生命にかかわるという主張もありましたが、人類初の軌道1周回(約108分間)の有人飛行が、この議論に終止符を打ちました。
NASAのジェミニ計画は人間の飛行日数を延ばすことをテーマとして行われ、またアポロ計画とともに多くの医学測定が行われました。
NASAの1972年~1973年のスカイラブ計画では3回の有人飛行が実施され、それぞれ3名の宇宙飛行士が軌道上に滞在しました。ミッションでは身体への影響を具体的に調査するための実験が行われ、これにより宇宙飛行における医学的な課題が体系的に整理されるようになりました。
1981年にはNASAがスペースシャトルの初飛行に成功しました。これにより研究設備を宇宙に運んで、かつ7人の宇宙飛行士を2週間にわたって宇宙に滞在させることが可能になりました。
スペースシャトルプログラムにより、本格的な医学実験装置を宇宙に持っていくことが可能となりました。
一方ロシアでは、長期宇宙滞在技術の確立を目指して、1986年からおよそ11年間にわたり計9個のモジュールを軌道上に運び、宇宙飛行士が長期間滞在できる「ミール宇宙ステーション」を建設しました。
1995年にロシア人宇宙飛行士のワレリー・ポリャコフ宇宙飛行士が達成したミール宇宙ステーションでの438日間のミッションが、これまでの宇宙最長滞在記録となっています。また、ロシアのゲネディ・パダルカ宇宙飛行士が5回の飛行で計878日間の宇宙滞在を行っています。
このように、人間が宇宙で1年以上暮らしていけることが分かりましたが、宇宙環境の影響には個人差があるため、誰でも安全に長期滞在できるわけではありません。
「人間が宇宙で生存できるか」という問いから始まった宇宙医学ですが、現在では宇宙飛行士の健康管理方法の向上に焦点が置かれています。
旧ソ連とアメリカが宇宙開発競争を繰り広げている頃、日本では戦後の高度成長期が始まったばかりでした。
1981年にNASAのスペースシャトルによる飛行が始まると、日本も宇宙実験への参加を考え始めました。
日本の宇宙飛行士の健康管理を含む医学運用の始まりは、日本初の宇宙飛行士募集・選抜試験(1983~1985年)が行われた頃にさかのぼります。
日本にとって初めてとなる宇宙飛行士の選抜に先立ち、JAXA(当時のNASDA)は、まずNASAの宇宙飛行士の医学基準による医学検査・評価法についての検討を行いました。実際の日本人宇宙飛行士の医学選考は1983年から開始され、1985年に3名の宇宙飛行士(毛利宇宙飛行士、向井宇宙飛行士、土井宇宙飛行士)が選抜されました。この時期に、日本人宇宙飛行士の健康管理を行うための専属のフライトサージャン(航空宇宙医)が採用されました。
次の若田宇宙飛行士の選抜では、NASAのミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者:MS)の医学基準が適用されました。まず書類選考と合わせて血圧、身長、視力などの簡単な医学審査を、第1次試験で筆記による心理スクリーニング検査を、そして第2次試験では候補者に5日間大学病院に入院してもらい、早朝から夜遅くまで集中的に医学・心理学検査を行いました。その後、第3次試験に進んだ6名の候補者は、筑波宇宙センター(TKSC)とNASAのジョンソン宇宙センター(JSC)で医学検査を受けました。
野口宇宙飛行士が選抜された1995年の宇宙飛行士選抜試験、そして星出宇宙飛行士、山崎宇宙飛行士、古川宇宙飛行士が選抜された1998年の宇宙飛行士選抜試験は、筑波宇宙センターを中心に行われました。
日本人宇宙飛行士によるJAXA(NASDA)初の宇宙医学実験が実施されたのは、1992年に毛利宇宙飛行士が搭乗したスペースシャトル「エンデバー号」によるSTS-47ミッション「ふわっと'92」第1次材料実験(FMPT: First Material Processing Test)を行ったときでした。日本の宇宙医学実験のテーマは「日本人宇宙飛行士の健康管理」などでした。このミッションは、日本人宇宙飛行士が初めてスペースシャトルで宇宙へ行ったミッションとなりました。
飛行中は、毛利宇宙飛行士の心電図、呼吸、皮膚電気反射、血圧などの生体情報を取得してデータレコーダに記録し、その一部を赤外線通信を通じてリアルタイムで地上にダウンリンクしました。当時は現在のメモリーカードのような小型の生体データを記録できる媒体がなかったため、毛利宇宙飛行士は、データ取得中はランドセルのようなバッグを背負って作業を行いました。
1994年には、向井宇宙飛行士が、スペースシャトル「コロンビア号」によるSTS-65ミッション「国際協力ミッション・第2次国際微小重力実験室」(IML-2: Second International Microgravity Laboratory)で飛行しました。向井宇宙飛行士はさまざまな医学実験に参加し、JAXA(当時のNASDA)の宇宙医学研究としては、短期宇宙飛行における筋委縮と骨量減少の測定を行いました。
その後も日本では、地上実験とスペースシャトルミッションによる宇宙医学データ(骨量・筋肉の減少、平衡神経系、心循環系)の収集を継続して行っています。
日本が参加した国際共同実験に、ロシアでの閉鎖環境実験や、フランスでの長期ベッドレスト実験があります。フランス国立宇宙センター(CNES)との共同で2001年~2002年に実施した長期ベッドレスト実験では、日本は長期宇宙滞在における骨量減少と尿路結石の対策として骨粗鬆症の治療薬であるビスフォスフォネートが有効ではないかという仮説を検証しました。
この実験では、ビスフォスフォネートが長期臥床での骨量減少と尿路結石の予防に効果があることが確認されました。
若田宇宙飛行士と野口宇宙飛行士も、ISS長期滞在ミッション中に、このビスフォスフォネートを用いた実験に参加しました。
宇宙医学研究に興味を持つ研究者は多いものの、宇宙実験に実際に参加した研究者は少数です。実験機会が少ないこと、応募から実施までに要する時間が長いこと、そして経費が莫大なことが大きな問題となっているためです。
宇宙飛行士を被験者とする場合、ミッション運用スケジュールの制約があります。
また、宇宙飛行士の数が少ないため、個人が特定されないように工夫した上で、健康管理用のデータを研究者と共有する仕組みが模索されています。
宇宙医学研究では、機材の搭載、軌道上実験、サンプルの回収までの作業が必要となります。また、ISSに搭載する装置に関わる技術、実験運用中の変化に対する対応、サンプル処理、対照実験の実施などを考慮して計画を作成する必要があります。
さらに、軌道上では被験者数が限られてしまうため、限られた被験者数で有意差のあるデータを取得できるように計画する必要があります。
宇宙での研究に先立ち、地上では模擬実験(短時間微小重力実験、ベッドレスト実験、および閉鎖環境試験等)が実施されます。
しかし、例えば微小重力実験においては、落下塔では数秒、航空機によるパラボリックフライトでは25秒程度の微小重力状態しか持続できず、ISSとの対照にそのまま適用できるものではありません。またベッドレスト実験も、被験者、対照被験者、管理スタッフなどの人員や費用の問題が伴います。
軌道上で使用する医学用設備や装置は、搭載安全性の基準を満たさなければならないため、その開発にはかなりの費用と年月を要します。
また、宇宙医学研究用の設備や装置は、軌道上の宇宙飛行士の操作が必要で、次々と交代する宇宙飛行士を訓練するための時間的な制約もあります。
宇宙と地上とを行き来する輸送手段や軌道上の冷凍・冷蔵庫の保管容量も限られていることから、実験試料サンプル解析法などもISSの運用状況に合わせて計画する必要があります。
(特に断りの無い限り、画像は出典:JAXA/NASA)
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