私は最近、朝日新聞朝刊に足かけ29年に及んだ連載『折々のうた』を終った。始まりは1979年(昭和54年)1月25日、最終回は2007年(平成19年)3月31日付だった。最初は朝日新聞創刊100周年企画として始まったもので、私自身は一体何日分書くことになるのか、その他いろいろな点について何の打合わせも朝日側とはせぬままに、行き当たりばったりの感じで始めてしまったように記憶している。
1年間ぐらいは続けてもらいたい、という風な要求もなかったと思う。結局、始めてみたら読者の反響がかなり強く、新聞社側でも切りあげるきっかけをなくしてしまったのだったろう。朝日新聞の担当記者も前後で6、7回交替したと記憶するが、その最後の担当者だった中村謙記者によると、「何度か休載期間をはさみ、最終回が6762回目、約4600首を集めた『万葉集』をはるかに上回った」とある。
そりゃ、30年近い歳月のことだから、その程度の回数に達するのは当然だろう、と思う。しかしその期間ずっと切れ目なしにこれを書き続けてきたのは、「バカでなけりゃ、そんなアホなことを続ける奴はいないよ」とわれとわが身に呟いているばかりである。
『折々のうた』は、1日分が180字の小さな枠に書いていた。文章の最初に、その作品が出ている本の題名を書く。近代以降の本であれば、明治何年刊とか、その作者名を書く。興味を引かれた場合は、作者の生年や出身地を入れる。引用されている歌や句の中にやや難解な語句がある場合は、その簡潔な訳も試みる。引用されている歌や句の意味も一応書き添える。これは全部を書いてしまうとあまりよろしくないので、ほんの少し、全体のヒントになる程度書いておくのが、話を展開する上ではいいようである。そして最後に、私自身の感じているその作品の見どころを、ほんの少々書き添える。
大体このような構成で180字のスペースを埋めるというのが、長い間「折々のうた」を書いてきた書き方の定型的な叙述法だった。
小さなコラムだが、毎日決まった場所にそれが置かれているということは、何らかの意味である安定感をかもしだすことは確からしく、この欄の終了を知らせる新聞記事が報じられるや、多くの読者の消滅を惜しむ投稿があったと聞く。筆者の私としては有難くそれを聞くだけだが、また同じような連載ものをやる気はあるか、と聞かれれば、「その気はまったくありません」と答えるだけである。
『折々のうた』に関連する記事の中で、読んでいて「それはまったくの誤解ですよ」と言いたくなる記事もあった。たとえば、俵万智さんが談話の中で、「読歌をめぐって膨大な蓄積を持つ大岡さんならではの欄」だったと言っている。有難いお言葉だが、これはちがいますよ、と作者としては言いたいところであった。俵さんは『サラダ記念日』でもみくちゃにされた時のことを思い出されて、『折々のうた』で、「作者は無心に短歌という楽器を鳴らしている」という私の評を読んで、「そうだ、今後もこの楽器を奏で続けてゆけばいい、と平静に戻ることができました。」と書いておられる。きっとそういうこともあったんだろうな、と私も思う。
この種の話題は、思い出してゆけば、きっとたくさん見出せるだろうとも思うが、私の記憶力はひどく弱い。幸いにして今のところ、困ってしまうような思い出話もたくさんはない。