言葉にはおおよそ二つの働きがある。一つは、情報を伝える働き。もう一つは、心を伝える働き。
たとえば、「六時にいつもの店で待ってて」と友人に言ったとき、「六時にいつもの店で」までは主に情報を伝える言葉であり、最後の「待ってて」は主に心を伝える言葉である。また学校の先生が、「試験の範囲は〜」と言えば情報を伝える言葉、「こら、うるさいぞ」と注意すればそれは心を伝える言葉である。こんなふうに、わたしたちはほとんど無意識のうちに、言葉の二つの働きの力を借りて日常生活を送っている。
次に、言葉は多面的であることも忘れてはならない。
もうずいぶん前になるが、日本語に関するシンポジウムで興味深い議論があった。出席者は、大江健三郎さん、谷川俊太郎さん、河合隼雄さん。
まず小説家の大江さんから、「日本語は曖昧であるから、なかなか日本の文学が世界に浸透しない。日本語の体系がもう少しわかりやすいものになれば、日本の文学はもっと世界に読まれるのではないか」との発言があった。ああそういえば、ノーベル文学賞を受賞されたときの記念講演の内容もたしか、〈曖昧な日本のわたし〉だったなあと思い出す。
すると詩人の谷川さんがそれに反論。「日本語はいわば世界の中の方言なのだから、その特殊性を大切にしなければいけない。方言は、風土や文化や生活や、その土地のさまざまな歴史によって育まれてきたものだから、方言を失うことは、それらを失うことにもなるのではないか」。
今度は心理学者の河合さん。「言葉は場面とともにあるということも、考慮に入れなければいけない。方言について、こんな例はどうだろうか。東北出身の青年が東京で結婚した。若いお嫁さんを連れて帰郷した彼を、家族や親戚やなつかしい人々が迎える。そのとき故郷の方言は、彼の心をあたたかく包み込むだろう。一方、彼女の方はどうか。ただでさえ緊張して彼の身内と会うのに、東京生れの彼女には方言がわからない。異郷の人である彼女の心はいよいよ孤独になったにちがいない。つまり、同じ言葉が、ある人にとっては癒しになり、ある人にとっては孤独の因となる」。
三者三様の立場がくっきりと浮かび上がる発言だった(それぞれの方の発言は、わたしの要約です)。
言葉は多面的であるゆえに危うく、また多面的であるゆえに豊かだとも言える。
さて、わたしにとってもっとも関心があるのは詩歌の言葉。日常の言葉はどんなふうにして詩歌の言葉になるのか。
二つのテキストを紹介しよう。
星くずは
くずの仲間ではない
星の仲間だ
シマウマは
馬の仲間ではなく
縞の仲間かもしれない
川崎洋さんの詩「そんなときは」の前半部分である。第一段落から第二段落へ、「星の仲間」から「縞の仲間」へ、ふつうの言葉が見事に詩の言葉へと転換されたことがわかるだろう。シマウマを馬の仲間と思う限り、シマウマと人の距離は遠いが、縞の仲間かもしれないと気づくとき、たとえばシマウマとシマダイと縞シャツを着た人とは、みな仲間なのだ。
神戸地方も晴と加へし予報士の一語の韻き言ひがたくよし
編注:韻き(ひびき)
竹山広さんの歌集『千日千夜』の一首。作者は長崎在住の歌人。これは、阪神・淡路大震災のころの歌である。長崎地方の天気予報を伝えたテレビの一場面だろう。「神戸地方も明日は晴です」とつけ加えた言葉は、予報士のせいいっぱいのおもいやりの言葉であった。阪神・淡路大震災は平成七年の一月、たいへん寒いときだったから、晴であることが、被災地へのせめてもの贈り物であるかのような、そんな言葉だ。そして、この歌人はそのことに気づき、深く心に留めて歌を作った。気象用語「晴」が、人の心を伝える言葉となり、さらに歌の言葉となったことがわかるだろう。
詩歌の言葉は、奇抜な言葉やおしゃれな言葉ではない。作者の感情や感覚をくぐりぬけることによって、新しく生まれ変わった言葉たち。だから、すぐそこにある言葉、「走る」も「ポスト」もみな詩歌の言葉になる。そしてときに、これまで見えていた世界とちがう世界が展(ひら)かれる。詩歌はつねに、この世の常識的な観念から自由な場所にあると思う。