宇宙連詩 みんなで紡ごう、宇宙に流れる生命のメッセージ

言葉をめぐるエッセイ

『自然に出てくるすてきな言葉 』

中村桂子




 なんでもお金で考える社会になり、なんだか暮らしにくくなっているとは誰もが思っていることではないでしょうか。人間も生きもの、自然の一部ということが身にしみついている者としては、暮らしの方が先で、それを支えるために考え出したのがお金なのに、それのために暮らしにくくなるなんておかしいと思うのですが、実際はお金が先としか言いようがありません。とはいえ、ここで悪態をついたり嘆いたりしてもしかたがありませんし、気持が滅入るだけなので、自然を生かして大らかに暮らしている人々に眼を向けることにしています。とくに、学校生活の中で「農」と向き合っている小学生、中学生、高校生とつき合うと、自然に笑いが生れ、感心する場面が多くて気分がよいのです。学校を訪れて話しを聞いたり、書かれたものを読んだり。自然というと、美しいとかすばらしいとか言いたくなりますが、現実は厳しいものです。とくに農業では、楽しいこともたくさんあるけれど、悲しいこと、辛いことも体験しなければなりません。お米ととうもろこしとメロンを作った小学生たちは、お米はうまくできたけれど、とうもろこしは思ったように実りませんでした。メロンは、近くの農家で食べさせてもらってとても甘かったから作ったのに、僕たちのはあまり甘くならなかったと、これもちょっとがっかりの様子。来年は甘くするんだと皆でなぜ失敗したのか話し合っていました。答はないのですから、自分で考えて解決するしかありませんし、時には諦めることも必要です。そのような日常について語り、書く時、彼らは驚くほど豊かな言葉を用い、みごとな表現力を示します。ドキンとさせられ、時には返す言葉がないという体験を何度もしました。ある言葉だけをとり出しても、その場で私が感じた力を伝えきれるかどうか心配ですが、一、二紹介しましょう。

 最初は「さびしさがあるから思い出せていい。全部うめつくさんでもいい」です。島根県の山間部にある学校の二年生七人の体験記録にあった言葉です。とれたてのねぎをいただき、味噌汁にして食べたらとてもおいしかったので、自分たちでもねぎを育てようということになりました。収穫したねぎと一緒に撮った写真を見ると、子どもたちの背と同じくらい太くて立派なねぎです。病気になったり、蛾の幼虫に入られてしまったり、その度に地域の農家の人に助けてもらいながら育てていく間の子どもたちの心の動きも興味深いのですが、この記録の圧巻は、育て終えてからの子どもたちの動きです。

 まず「白ねぎかってください」というチラシを作ります。おすすめりょうりのパンフレットも。その売り上げで買った豚肉を使って豚汁パーティを開きました。二十人もお客さんが来てくれて楽しいものになりました。

 ところが、ねぎがなくなってしまったのがなんとも寂しいのです。パーティで皆が喜んでくれて嬉しかったけれど寂しい。嬉しさで寂しさは償えない、嬉しさと寂しさは違うんだと子どもたちは気づきます。そんな時一人が、「ねぎくんがいなくて寂しいけれど、ねぎくんの部屋をここにつくる。忘れたらねぎくんを思い出せなくなるから」と言って胸をドンと叩いたのだそうです。そうだ、皆も納得しました。そして、「寂しさがあるから思い出せていい。全部うめつくさんでもいい」と言うその子の言葉に、皆んなが同じ気持になったとあります。

 ヴェテランの林秀子先生の指導があっての「ねぎくんとの一年」ですが、ここでの言葉はどれも子どもたちから出てきたものです。「全部埋めつくさんでもいい」。真剣に生きものと向き合い、感じ、考えた結果、出てきた言葉です。小学校二年生はまだどこか頼りなく見えますから、つい物を知らない存在、考えていない存在と思ってしまいがちですが、子どもの力ってすごいと思いました。その力が最もよく引き出されるのは、やはり自然の中にいる時だと思います。

 もう一つの例。中学一年生の女の子の口から「忙しければ忙しいほど時間は作れます」という言葉が出た時も、大人たちは参りました。兵庫県豊岡市の子どもたちです。市のほとんどが床上浸水という被害にあった時、周囲の人々に助けてもらった嬉しさを忘れないようにしたい。だから自分たちも何かに優しくしたいと考えた小学生が、コウノトリの来る田んぼづくりに取り組みました。魚道を作ってドジョウやフナがいる田んぼを作り、コウノトリの観察をし、お米も収穫できました。美味しいお米を市の子どもたち皆で食べられるようにしたい。そう考えた子どもたちは、市長さんに交渉して給食用に買い上げてもらいます。ねぎもお米も、子どもはちゃんと販売するのです。これこそまさに暮らしについてくるお金です。生徒たちの活動報告を聞いて、「勉強もあるし、部活動もあるだろう。忙しいんじゃない」と心配する質問が出ました。その時、即座に出てきたのが最初にあげた言葉だったのです。大人の社会では、忙しいは文字通り心を失うことになりがちで、実際に身も心も疲れ果てている人が少なくありません。でも優しくしてもらった時に嬉しいと思ったその気持を返そうと思って、さまざまな活動をしているのですから、彼らは心を失うことはありません。むしろそこから新しい時間や関係を産み出す力が生れてくるというのです。考え抜いて発した言葉ではありません。自然に口から噴き出てきた感じでした。

 すてきな言葉を聞く毎日を送りたい。いや、自分の中から美しい、豊かな言葉が出てくる毎日でありたい。自然と向き合い、人間との関係を大事にしている子どもたちに教えられながらそう願っています。





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