宇宙連詩 みんなで紡ごう、宇宙に流れる生命のメッセージ

言葉をめぐるエッセイ

『「旅」と現代』

リービ英雄




 20世紀の終わりごろから21世紀のはじめにかけて、ぼくは幾度となく新宿の古い路地の奥にある木造の家から出かけて、主に中国大陸への旅をして、そして新宿の家に戻る、という体験にもとづいて日本語を書いた。あるときから創作者としての人生をそのように計画したわけではないが、いつの間にかそのような動きの中から文学の可能性がかいま見えるようになった。

 一つの旅はそれほど長くはないし、特に名勝をたずねるという目的もない(北京に4回目渡ったときようやく万里の長城を見た)。旅をしている間には常に「現代」の最先端を意識はしているものの、経済論や国際関係論を書くのも目的ではない。旅先で出合う人々の生活感覚に触れて、自分がたどったのとは異なった現代史に左右されたかれらの人生のベクトールをよく想像し、あこがれも感じるが、かれらと一体となってかれらの共同体に「移民」しようという衝動もない。

 むしろそのような体験をしたあとに、新宿の路地の奥にある家にもどり、日本語を書くことがぼくの旅の目的である。そして豊かな「外界」に身をさらした結果として、けっして古典的な私小説ではないが、見聞者自身の「私」に関わる物語が、うまく行けば生まれてくることがある。その結果がぼくにとって本当の旅のよろこびなのである。

 旅にでかけるということは、何よりも、もう一つの言語に入り込んでみるという実験を意味している。そのもう一つの言語は、動きながら次々と耳に当たる、可解、不可解な音声でもあり、またはいたるところで目に入る、読めたり読めなかったりする文字の模様なのだ。

 異言語への旅なのだから、異言語をマスターしようという思いはない。異言語の「主人」になろうという意志ではなく、むしろ異言語の、一定期間の「奴れい」になるかのように、それに身をさらすのである。風景と人物を画いた絵巻を開くように、異なった領域の標準語とたくさんの方言を「鑑賞」し、歴史によって変質した文字群を目で追う。

 風景と人物とともに、常に声と文字がある。声は分からないようで、よく聞くと分かることもある。文字も、出発した新宿の家のまわりに見えるのとは、似ているようで違い、あるいは違った現代史を経て変ったが、一かたまり二かたまりは、読める。そして分かった声と読める文字を、動きながら常に解釈しようとする。解釈をしながら「私」が実は向うから解釈されていることを自覚したとき、はじめて見聞が物語の可能性を孕む。

 見聞が物語になる。逆に、物語の中に見聞の要素が強く出るのは、紀行文学の当然な特徴である。いつか司馬遼太郎の「西安から北京へ」の一部をぼくが英訳してみたことがある。そのときに「見聞」という日本語をどう英訳するかが問題になった。辞書で調べると、「見聞」はinformationやobservationとなっているようだ。情報や観察、ある辞書には確かにpersonal observation、つまり「個人的な観察」という翻訳もあった。どの英語も、「見て、聞く」という、動く人自身の身体的なニュアンスはなかった。旅人の目と耳は消えて、むしろ見聞が強調されていた。「見聞」の文学性は英語では伝わらなかった。

 風景と、風景の中で浮ぶ文字を見て、または風景ごとに変化する標準語と無数の方言の声を聞く。それは単なるinformationでもなければ単なるobservationで終わるものでもない。見聞する旅行者の目と耳は、旅行者自身の主情と直接につながっているのである。観察されている風景と違って、見聞されている風景の中から、いつでも「私」的な小説が生まれてもおかしくない。

 一個人が国境を越えて動くことが活発なこの現代には、表現の新しい流出としての紀行文学が、かつてなかった必然性をもって可能となった。informationとobservationの言語で定義されていたtravel literatureは、とても軽いジャンルとして見なされていた。その英語のtravel literatureは、観光案内にすこし文化の香りをたしたもので、一流の文学としては思われなかった。

 新宿の古い路地の奥にある家を出て、島国を出発して大陸に向かうとき、ぼくはいつも「奥の細道」を生み出した国から越境の旅に出かけるのだ、と意識をする。日本語の作家として紀行を重ねて、日本語によって何とか現代文学を書こうとする。そして自分の旅をくり返し、一人で書く表現を何とか深めながら、ときには同じ現代に生きて、ぼくとは体験も表現も違うが異言語に身をさらして新しい動きをしてきた他の作家たちの「越境の声」に耳をかたむけることもある。

 そのような「越境の声」を聞けば聞くほど、現代の表現はまさに「動き」から生まれるものである、と確認して、ぼくの小さな旅は、同時代に行われている複数でめざましい「見聞」の一つに過ぎないこともよく分かるのである。





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