先生が研究を続けてこられた原動力は何でしょうか。
「う〜ん、やっぱり『好奇心』でしょうかねえ。
僕は子どもの頃から自然に興味があって、メダカを育てたり、色々な種類の朝顔を育てたりしてきました。
大学では探検部というクラブに入って、山や川や洞窟などに行って楽しんでましたね。
その原点は何かというと、やはり好奇心が非常に強かったことだと思うんです。
学問の世界も知的レベルでの探検ですから、少年時代からの好奇心を常に追求し続けてきて現在に至った、という気がしますね。
ただ、宇宙実験となると、僕一人の力ではとても実現不可能です。
植物を育てる装置の開発一つとっても、膨大な時間とたくさんの英知を結集して、試行錯誤の果てにようやく完成にこぎつけています。
装置開発を含め、実験に携わる一人ひとりに好奇心があったからこそ、ここまでやってこられたのだと思います」
自然に対する好奇心、それがそのまま研究の道へとつながっていったんですね。
ところで、先生は横浜生まれとうかがいましたが、当時の横浜はどんな環境だったんでしょうか。
「今の横浜を見たら想像がつかないかもしれませんが、僕が育った時代には緑がたくさんあって、水もきれいで、生き物がたくさんいました。
中華街のあたりなんて、夏休みに網をもって走り回れば、セミやトンボが何十匹も捕れました。
関内の運河なんて本当にきれいでねえ、魚がたくさん釣れました。
ただ、経済が発展するにつれて、みるみるうちに水が汚れていって、気がついたらハゼも何もいなくなっていました。
そういう変化をまざまざと体験して、子供心に胸をしめつけられる思いでしたね」
大学に入学された時には、もう植物を研究すると決めていらっしゃったのですか。
「僕は生き物が大好きでしてね、植物をやるか動物をやるかは決めかねていました。
そんな時、大学の発生学の授業で解剖をやることになったんです。
何を解剖するのかと思っていたら、なんと先生がご自分のところで生まれた子犬を段ボールに入れてもってきましてね。
あ、これはとてもじゃないけど無理だ、と思って植物の方へ進みました(笑)。
あまり主体的な選択じゃなかったかもしれないけど、結果的にはそれで良かったみたいですね」
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