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スペシャルインタビュー vol.3


山下公園でご両親と

上高地でのキャンプにて(大学1年生)

先生が研究を続けてこられた原動力は何でしょうか。

「う〜ん、やっぱり『好奇心』でしょうかねえ。 僕は子どもの頃から自然に興味があって、メダカを育てたり、色々な種類の朝顔を育てたりしてきました。 大学では探検部というクラブに入って、山や川や洞窟などに行って楽しんでましたね。 その原点は何かというと、やはり好奇心が非常に強かったことだと思うんです。 学問の世界も知的レベルでの探検ですから、少年時代からの好奇心を常に追求し続けてきて現在に至った、という気がしますね。 ただ、宇宙実験となると、僕一人の力ではとても実現不可能です。 植物を育てる装置の開発一つとっても、膨大な時間とたくさんの英知を結集して、試行錯誤の果てにようやく完成にこぎつけています。 装置開発を含め、実験に携わる一人ひとりに好奇心があったからこそ、ここまでやってこられたのだと思います」

自然に対する好奇心、それがそのまま研究の道へとつながっていったんですね。 ところで、先生は横浜生まれとうかがいましたが、当時の横浜はどんな環境だったんでしょうか。

「今の横浜を見たら想像がつかないかもしれませんが、僕が育った時代には緑がたくさんあって、水もきれいで、生き物がたくさんいました。 中華街のあたりなんて、夏休みに網をもって走り回れば、セミやトンボが何十匹も捕れました。 関内の運河なんて本当にきれいでねえ、魚がたくさん釣れました。 ただ、経済が発展するにつれて、みるみるうちに水が汚れていって、気がついたらハゼも何もいなくなっていました。 そういう変化をまざまざと体験して、子供心に胸をしめつけられる思いでしたね」

大学に入学された時には、もう植物を研究すると決めていらっしゃったのですか。

「僕は生き物が大好きでしてね、植物をやるか動物をやるかは決めかねていました。 そんな時、大学の発生学の授業で解剖をやることになったんです。 何を解剖するのかと思っていたら、なんと先生がご自分のところで生まれた子犬を段ボールに入れてもってきましてね。 あ、これはとてもじゃないけど無理だ、と思って植物の方へ進みました(笑)。 あまり主体的な選択じゃなかったかもしれないけど、結果的にはそれで良かったみたいですね」



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