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スペシャルインタビュー vol.3


学生とともにタイ滞在中のスナップ
(中央が古澤先生)

嵯峨野の圃場にて収穫時のスナップ
(左端が古澤先生)

先生は子どもの頃から理科や生き物がお好きだったんですか。

「僕は大阪府出身で家は農家だったんです。 で、子どもの頃はよく親父の手伝いをしてましたね。 だから自然と、植物や昆虫には興味があって。 なんでこの虫はこの葉っぱが好きなんやろか、とか、よくそんなことを考えてましたよ。 高校時代には考古学に凝ったこともありますわ。 男女共学だったんですけど、部長がね、きれいな女性だったんですよ。 まあ、それで入部したのかもわからんですけど(笑)。 僕の生まれたのは南河内というところで、まわりには仁徳天皇陵や応神天皇陵などの古墳群があって。 まあ、そんな有名なところには入れませんけど、山の上の小さな古墳に入って地面を掘ると勾玉が出てきたりして、そんなことようありましたね」

高校卒業後は京都工芸繊維大学に進学されましたね。

「まあ、考古学には凝りましたけど、受験となったらやっぱり理科系に進みたかったんですね。 理学部は残念ながら無理でしたが、京都にあったカイコの大学に合格し、そこで一生懸命に勉強しました。 それで、3年生の時、ある先生が生物学の講義でワトソン・クリックのDNAの話をされたんですよ。 それが非常に印象的でね。 『生物って、もんのすごいきれいなんや。こんな理論で説明できるんか』って。 そこから分子生物学にのめり込みました」

その後は大学院に進まれたそうですが。

「名古屋大学農学部の大学院に進学しました。 終了後は、勉強したことはどこかで活かさなければいかんと思いましてね。 愛媛にカイコの試験場があって、たまたまそこの場長さんにお会いしたら、うちへ来ないかと誘われまして、試験を受けたら通ったのでそこへ就職しました。 で、7年間カイコを研究しましたね。 当時は養蚕農家も多かったので、1軒1軒まわってカイコの病気の相談にのったり、普及員さんの相談にのったり。 まあ、若造だったものですから、時にはお叱りを受け、時には励まされながら、山の中を歩き回りましたね。 そんなこんなでカイコにはまり込んでいったというわけです」



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