先生は子どもの頃から理科や生き物がお好きだったんですか。
「僕は大阪府出身で家は農家だったんです。
で、子どもの頃はよく親父の手伝いをしてましたね。
だから自然と、植物や昆虫には興味があって。
なんでこの虫はこの葉っぱが好きなんやろか、とか、よくそんなことを考えてましたよ。
高校時代には考古学に凝ったこともありますわ。
男女共学だったんですけど、部長がね、きれいな女性だったんですよ。
まあ、それで入部したのかもわからんですけど(笑)。
僕の生まれたのは南河内というところで、まわりには仁徳天皇陵や応神天皇陵などの古墳群があって。
まあ、そんな有名なところには入れませんけど、山の上の小さな古墳に入って地面を掘ると勾玉が出てきたりして、そんなことようありましたね」
高校卒業後は京都工芸繊維大学に進学されましたね。
「まあ、考古学には凝りましたけど、受験となったらやっぱり理科系に進みたかったんですね。
理学部は残念ながら無理でしたが、京都にあったカイコの大学に合格し、そこで一生懸命に勉強しました。
それで、3年生の時、ある先生が生物学の講義でワトソン・クリックのDNAの話をされたんですよ。
それが非常に印象的でね。
『生物って、もんのすごいきれいなんや。こんな理論で説明できるんか』って。
そこから分子生物学にのめり込みました」
その後は大学院に進まれたそうですが。
「名古屋大学農学部の大学院に進学しました。
終了後は、勉強したことはどこかで活かさなければいかんと思いましてね。
愛媛にカイコの試験場があって、たまたまそこの場長さんにお会いしたら、うちへ来ないかと誘われまして、試験を受けたら通ったのでそこへ就職しました。
で、7年間カイコを研究しましたね。
当時は養蚕農家も多かったので、1軒1軒まわってカイコの病気の相談にのったり、普及員さんの相談にのったり。
まあ、若造だったものですから、時にはお叱りを受け、時には励まされながら、山の中を歩き回りましたね。
そんなこんなでカイコにはまり込んでいったというわけです」
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