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若田光一飛行士 2001[1]
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2001年1月24日 参加者(以下、敬称略) |
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若田:ISS(国際宇宙ステーション)は、今のところ完成するのは2006年の予定です。完成しますとサッカー場がすっぽり入ってしまうような大きさの構造になります。幅が110メートルくらい、奥行きも90メートル弱という巨大な構造になります。その面積の大部分は太陽電池板の部分です。宇宙飛行士たちが生活して仕事をしていく実験室の部分は、その中央部に凝縮された形になっています。このような巨大なものをいっぺんに打ち上げる能力をもつロケットはありませんので、40回以上に分けてアメリカのスペースシャトルとかロシアのプロトンロケットといった打ち上げシステムを使って、段階的にその構成要素を持って行って軌道上で組上げていく。40回以上にわたるわけですから、それぞれ一つ一つのミッションが大変重要な役割をしています。一つの組み立てがうまくいかないと、その先の組み立て作業のスケジュールに大きな影響を与えるからです。われわれとしては、40回以上にわたる作業がすべて予定通りに行くという前提のもとで組立計画を立てています。 今回の打ち上げは日本時間ですと10月12日。当初アメリカ時間で10月5日の予定だったんですけれど、天候不順やスペースシャトルのシステムのトラブル等ありまして、6日遅れて打ち上げられました。 打ち上げ可能時間帯というのは、軌道に投入するために、国際宇宙ステーションがちょうどフロリダ上空にさしかかったときになります。地球が自転しておりますので、フロリダ上空に宇宙ステーションの軌道が来る時間帯というのがかなり限られています。宇宙ステーションの軌道にシャトルを投入するために打上げ可能な時間は10分間ですが、その最後の5分を使います。打上げ上昇時に万が一エンジンが2つないし3つ止まってしまったときに、カナダとかアメリカの東海岸に緊急着陸できる打上げ時間帯というのがその5分間だけなのです。 宇宙ステーションは、私たちがドッキングする直前にはこのような形です。長さは大体45メートルくらいありますが、これはロシアの「ザーリャ」――「夜明け」という意味――のモジュールです。これが最初1998年の11月に打ち上げられまして、その翌12月にはアメリカのスペースシャトルがユニティ・モジュールというのをくっつけました。昨年の7月にロシアのサービス・モジュール――これが宇宙ステーションで宇宙飛行士が長期にわたって滞在するときに必要な居住棟です。衣食住――トイレもありますし、食卓もある。そういうものがこの中に入っている。この一番先にありますのは、ロシアの「プログレス」という宇宙ステーションに物資を供給するための無人の輸送船です。われわれのスペースシャトルの「ディスカバリー」はこちらの方にドッキングして、それからいろいろな作業を開始しました。 今回、私の主な仕事というのは、ロボットアームで宇宙ステーション側に二つの大きな構造――Z1(ゼットワン)トラスというものと、PMA-3という宇宙ステーションにスペースシャトルがドッキングするときに使う構造物を、スペースシャトルのロボットアームを使って取り付ける作業をしました。今回は、スペースシャトルの操縦室の窓から実際に取り付ける部分が直接目で見えない。実はちょうど5年前になりますが、日本のH-IIロケットで打ち上げた人工衛星SFUを回収するときも、私はロボットアームを操縦したんですけど、そのときは窓から直接人工衛星がよく見えるという状況でした。今回は宇宙ステーションにドッキングしてしまうと、ものを取り付ける宇宙ステーション側の部分がよく見えないという状況で、その代りにコンピュータの画像解析システムを使って位置決めをしながら取り付ける。そういう意味で、前回と今回、やはり視野というか、ロボットアームを動かすときに使う道具が全く違う状況での作業になりました。 一緒に飛んだクルーは私含めて7名。私以外の6名はすべて米国人です。船長のダフィーさんは、実は日本の人工衛星を回収した1996年の飛行のときと同じ船長。リロイ・チャオさんは前回も一緒に飛んだ仲間。しかもリロイ・チャオさんは今回が3回目の飛行ですけど、彼の1回目の飛行の時には向井宇宙飛行士と一緒に飛んでいます。パイロットはパメラ・アン・メルロイさんという方ですけど、女性のパイロットではスペースシャトルで3人目ですね。近い将来船長となって飛ぶ人です。 これはロシアのモジュール「ザーリャ」で、これのちょうど真ん中のこの部分は、中がこのような形になっています。かなり細長い感じがしまして、しかもそのモジュールの中は、例えばここに映っていますのは宇宙飛行士の飲み水とかなんですが、至るところに物置のようにいろいろな物があります。しかも宇宙では物を縛ったりするようなときに、アメリカではベルクロテープと呼ばれている――布製の粘着テープですね――そういうものを使っていますので、至るところにそのベルクロテープがあったりして、服がすぐひっかかってしまうというようなことがありました。例えば、地上では、今私がおりますこの頭の上にある空間というのは基本的にはデッドスペースですけれども、無重力の宇宙ステーションの中では、そういうスペースも人が行き来するときにも使えます。また物を置くということも、側面の壁にもいろいろな物を置くようなことができるわけで、三次元の空間を非常に有効に使用することができるんです。とはいうものの、このザーリャ・モジュールの中はもう両面にわたっていろいろな物が置かれているということで、かなり狭苦しいなーという感じもありました。それにくらべて、この部分、アメリカのユニティ・モジュールの中は、確か外直径が4.5メートルくらいあったと思います。内側も両手両足を伸ばしてもまだまだ余裕があるような、かなり広い構造です。このユニティ・モジュールの中というのは、ザーリャ・モジュールとかスペースシャトルの操縦室とか、あるいはスペースシャトルの一階席にあたるミッドデッキに比べますと、ものすごく広くゆったりとした感じがありました。空調の音も非常に静かで、非常に過ごしやすいと感じました。 この写真は何を撮っているかというと、相撲のシコを踏んでみたところなんです。日本だけでなくアメリカを含めいろいろな国の方々に、宇宙で日本の文化を紹介したいという目的がありまして、また同時に、無重力の空間での身体のふるまいに興味がありました。3年ほど前に日本の土井隆雄宇宙飛行士が初めて船外活動をしましたが、船外活動をするとき、例えばボルトを締めるとか電線を結合させるとかするときは、やはり体を安定させた状態で、体がスピンしたりしないように注意して作業する必要があるんです。これも、ちょっとスピンをしたいい例だと思うんです。体がこう回転し始めて、回転角速度がついてしまうと、それを止めるのがすごく難しいのです。シコを踏むときというのは脚をこう上げていくわけですけれども、スピードがついてしまうと、止められない。壁と壁の間を行き来するといった並進運動はそれと違ってものすごく簡単です。小指でもいいから体の重心を通る方向にちょっと壁を押してやれば、ふーっと飛んでいき、反対側の壁面でまた指でちょっと押してやれば運動を容易に止めることができる。だから並進運動の制御は簡単なんですが、回転運動というのは一点では当然止められない。モーメントですから2点で押さえなければいけない。だから相撲のシコも、実はこの写真を撮ったあとは180度、270度と脚がこう回転してしまって止められない(笑)。本当に無重力でこういう回転運動をコントロールするのは難しいんだと実感しました。そのビデオを見ていただくとそういうこともおわかりいただけると思います。そんな経験もできました。 フライトは、当初予定していたのは11日間だったんですが、着陸場の天候が悪くて、2日間着陸が延期されて、まあほとんど13日間に近い飛行になりました。着陸場であるフロリダの天候が悪かったので、代替飛行場であるカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地の方に、2日遅れて着陸する。そういうミッションでした。 まあ今回いろいろ電気系のショートですとか、ランデブしてドッキングするときに使うレーダーが使えないとか、いろいろなトラブルがあったんですが、本当に訓練時間が長かったということ――3年以上にわたって訓練できたということも、一つの成功の理由かなと思います。トラブルにもかかわらず、地上の管制局のみなさんが非常にテキパキと指示をしてくださったので、本当に無事に作業をすることができました。大体ミッションの内容はこういう形でした。 福嶋:自己紹介なんてしていたら時間がないと思いますが、福嶋と言います。以前、若田さんが宇宙に行かれる前にお会いできるはずだったんですが、台風のために会えなかったので、今回の機会を待ちに待っていたんです。 若田:どうもありがとうございます(笑)。 福嶋:井口先生やNASDAの方々が、どうしてもわれわれに若田さんに会わせてやろうと思われたことがずっと伝わってまいりまして、一目会いたいなと思っていたところです。われわれの芸術の分野というのは、若田さんと同じくらい好奇心の塊の人間が集まっています。何より好奇心というのが一番人間にとって意味のあることで、それを創造に結びつけていくというのが、われわれ現場のみんなが理解している考え方です。それにつきまして、かねてから井口先生に、ビデオとかテレビとかじゃなくて、ぜひとも若田さんにじかに会って話を聞きたいと申し上げておりました。なぜかといいますと、物事をリアルにつかむには、やはりこうして話をするなかで本当の雰囲気が伝わってきたりすることが大事だと思いまして。前置が少し長くなりました。 若田:そうですね。特別かどうかはわからないんですけれども、私はエンジニア出身です。スペースシャトルの打ち上げとか、エンジンを点火して、コンピュータがちゃんと動くようにセットして、船外活動をするような支援の仕事とか、ロボットアームを動かすとか、やはり本当に技術の仕事です。人工衛星を捕まえるときなんかも、自分はロボット動かして船長はスペースシャトル操縦をしていて、操縦室の周りにはいろいろな仲間がいるわけです。そういう技術的なことを考えながら、作業をしていますけれども、ふと操縦室で一緒に仕事をしている隣の人を見てみると、その人は自分とは生い立ちも全く違う、自分の生まれ育った文化も言葉も違う、国も違う、宗教も違う。そういうような人たちと一緒に、一つの目標に向かって仕事しているんだなーというのをちょっと感じたことがあったんですよね。それはたぶん、日本の上空を通ったときに、僕はあそこから生まれてきたんだなと。それからまた何周回かした後アメリカの上空を通ったときに、これが彼らの故郷なんだなというのは感じて、それでそういうことをふと思ったのかもしれません。仕事をしながら、ふと隣の船長の顔とかを見て、こういう自分とまったくバックグラウンドや生い立ちが違う人たちと協力して一つの目標に向かっていく。国際宇宙ステーションというのはまさにその結晶であるような、そういう仕事だと思います。本当に今、地球を自分の眼で見ることがとても嬉しいなと思うし、やはり日本が高い技術を持っていたり、宇宙開発で大切な役割を担っていかなければいけない国だから、そこの国の宇宙飛行士として自分はこういうことをしているんだ。だからそういう意味で、打ち上げのときの感動というのもあるんです。衛星つかんだときの感動とか、今回も国際宇宙ステーションの組立に成功した感動というのもありますが、そんなふとしたときに、こういういろんな人と一緒に仕事ができるという、その喜びというんですかね――それはフライトして初めて気がついたようなことですね。 井上:今のお話は、ちょうどわれわれが一番気にしていることです。つまりわれわれはほとんど全員、芸術表現に関わっているわけですが、芸術表現というのは、あれしなきゃいけない、これしなきゃいけないというふうに、規制がいっぱい詰まっている時間の中ではなかなか発生しにくいもので、やっぱりふっとしたところで生じてくるものなんです。 若田:そうですよね。 井上:われわれは「宇宙環境を利用した人文社会科的研究」の中の芸術セクションにいるんですが、われわれにとって大事なのは、宇宙飛行士の方のいわゆる公の任務よりも、宇宙飛行士の方一人一人の宇宙における個人的な体験をどうやって引き出して広げて行くか、ということだと思っています。ですから、今日はできるだけその個人的感覚みたいなところをお尋ねしたいと思っています。 |
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