先生は子どもの頃どんな少年でしたか。
やはり宇宙にあこがれていらしたんでしょうか。
「いや〜、まったく(笑)。
宇宙少年でも何でもなかったですね。
自分が宇宙と関わりのある仕事をするなんて夢にも思っていませんでしたし。
実家は山形県の、それこそ山奥の農家でしたので、農家を継ごうと漠然と思っていただけでした。
大学に進学しようと思わなければ、こうして宇宙でキュウリの芽生え実験をするかわりに、実家の畑でキュウリを作っていたかもしれません(笑)。
それはそれでいい人生だったと思います。
私は山歩きや渓流釣りなど、自然のなかに身を置くのが何より好きですし、自給自足の暮らしに憧れてもいますから」
農家ではなく研究者になろうと思ったきっかけは。
「大きな意味で方向性が決まったのは高校3年生の時でしょうね。
就職なり進学なり、同級生の進路が決まりつつあった頃、自分はまだ農家を継ぐつもりでいました。
そこで担任の先生からひと言、大学へ行ったらどうだと言われまして、ああそうか、そういう道もあるのかと気がついたんです。
それが人生最大のターニングポイントだったと思います。
駆け込みの受験勉強でしたが、何とか山形大学農学部に合格しまして、野菜の生理について研究しました。
大学を卒業する頃までには、さらに研究を続けたいという気持ちが強くなり、東北大学の大学院に進学することにしました」
宇宙に関わることになったのはいつ頃からですか。
「大学院在学中、最初に発表した論文をみてくれたアメリカの先生が、うちの研究室に来ないかと声をかけてくださったんです。
そこで、その先生を頼ってアメリカに渡りました。
その研究室はNASAの重力宇宙生物学プロジェクトから研究助成金を貰っていまして、私も宇宙関連の研究に携わることになりました。
先生から、君の給料はNASAから出るんだと言われ、びっくりした記憶があります。
その後、帰国して2年目くらいに日本にも宇宙生物科学会という組織ができて、私も参加することになり、次第に宇宙との関わりが深くなっていったというわけです。
こうして振り返ってみると、気がついたらこの分野を歩いていたという感じで、結果論的になってしまうんですが、これはこれで自然な成り行きというか、やっぱり宇宙には縁があったのかなと思っています」
研究以外に、これからやってみたい夢などはありますか。
「私の実家でも家内の実家でもどちらでもいいんですけど、いずれは間近に山を眺めながら自給自足の暮らしをしたいですね。
まあ、それは退職後の話ですが、その前に、まだ足腰が丈夫なうちに挑戦してみたいこともあります。
私は山の生まれのせいか、とにかく山歩きが大好きなんですが、実はまだ一度も富士山に登ったことがないんです。
だから、まずは日本一高い山に登ってみたい。
富士山に登ったら、その次は世界ですね。
エベレストとか世界有数の山にも二つ三つ登って、それから実家に帰ろうかと(笑)、そんなことを考えています」
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