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インタビュー風景

Neuro Radチームのディスカッション風景

今日は素敵なピンクのシャツをお召しでいらっしゃいますね。 馬嶋先生は、風貌はもちろんですが、着こなしも本当にお洒落ですよね。

「今日は宇宙ネタですし、少し目立った方がいいかと思って、ピンクのシャツと宇宙っぽいネクタイをしてきました(笑)」

昔から目立つことがお好きだったんですか。

「僕は、自分ではシャイな方じゃないかと思ってますけど(笑)。 でも、高校時代は仲間と一緒に結成したハードロック系のバンドで歌ってました。 あの頃は髪も長く伸ばしてましたし、とてもまっとうな高校生って感じではなかったですね」

その頃の写真は持っていらっしゃいますか。 ぜひ拝見させて頂きたいんですけど。

「ありますけど、恥ずかしくてとても見せられません(笑)」

小さい頃はどんな少年でしたか。

「喘息持ちだったせいもあると思いますが、何事につけても自信がないというか、内気で消極的な少年でした。 それが、ヨットを始めてから180度性格が変わりましてね。 伯父がヨットの造船所をやっていた関係で、5才で初めてヨットに乗せてもらい、10才から江ノ島のジュニアヨットクラブで本格的に学び始めたんです。 1年中、夏も冬も、盆も正月も関係なく、休みになれば海に出ていました。 同級生がこたつでお節を食べている頃、僕らは波に洗われて全身ずぶ濡れでした。 当時はウェットスーツなんてものはありませんでしたから。 時にはつらいと思うこともありましたが、当時の僕にとってヨットは世界のすべてだったんです。 その後、オリンピックの強化合宿に参加したり、17才の時には世界選手権にも出場しました」

ヨット一色の生活を送っていらしたのに、どうして研究者になろうと思ったんですか。

「まあ、凝り性だったんですよね。 ヨットもけっして遊びでやっていたわけではなく、常に真剣でした。 昔から、何事であっても、やるからには真剣に取り組むのが好きなんです。 いい加減にやろうと思えばいくらでも手を抜けますが、せっかくなら一生懸命にやった方が楽しいじゃないですか。 だから、大学でこれと思える研究テーマにめぐりあった時には、日常生活のほかには研究しかないっていうくらい真剣に打ち込みました」



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