「きぼう」の細胞培養装置を使うことで、様々な培養条件の設定が可能となった。いずれも世界初の実験となる。
この実験ではLOHがキーワードとなっていますが。
「ヒトの細胞には46本の染色体があり、2本ずつの対になっています。
その染色体の上に遺伝子がのっているわけですが、どの遺伝子も対になっている染色体上にワンセット存在します。
ところがまれに、染色体が対になっているのに、ワンセットの遺伝子が全く同じではなく、ちょっとだけ異なっている、つまり『ヘテロ』(ギリシャ語で『異なった』という意味)になっている場合があります。
ヘテロ状態になっているから『ヘテロ接合性』。
そして、放射線などの刺激によってそのヘテロ接合性が失われることを『ヘテロ接合性の喪失』(Loss of Heterozygosity = LOH)と呼ぶわけです。
この実験は、ヘテロ接合性のなくなってしまうこと、つまりLOHを指標にして、放射線による細胞レベルでの異常を非常に高い感度で検出していこうというプログラムです」
なぜLOHに着目したのですか。
「私たちは地上でも自然に放射線を浴びていますが、宇宙では地上での1年分を1日で浴びてしまう。
単純計算で365倍です。
365倍というとすごい線量だと思われるかもしれませんが、それほどの放射線を浴びても、実際に染色体異常を検出するのは、これまで非常に困難だといわれてきました。
私たちは数多くの地上実験を繰り返すなかで、『LOH』という系を用いると非常に高感度にそうした染色体異常を検出できる、ということを突き止めたのです」
これまでにも、宇宙放射線の生物影響に関する研究は行われているようですね。
「宇宙飛行士の血液を採って、血液中で染色体異常が起きているか調べるといった研究はいくつかなされています。
ただ、こうした研究では、たくさんのデータを集めて統計処理をする疫学的研究と違い、個体差に大きく左右されてしまうんです。
宇宙飛行をするしないにかかわらず、もともと染色体異常を持っている方もいますから、それが本当に放射線の影響によるものかどうか、なかなか判断できない。
私はもっと基礎レベルで研究したかったので、ヒトのリンパ球の細胞を使って実験をすることにしたんです」
今回の実験では、世界初というポイントがあるようですね。
「ポイントは2つあります。
まず、宇宙では放射線の影響があるのはもちろんですが、もうひとつ重力の影響も考えなければなりません。
ご存知のように、宇宙では重力が非常に小さい。
専門的な言葉でいうと微小重力です。
こうした環境では、重力と放射線の影響が相まって染色体異常が生じる可能性があり、放射線の影響だけを取り出すことはむずかしいんです。
今回の実験では、『きぼう』に取り付けられた『CBEF』(=Cell Biology Experiment Unit)という装置で細胞を培養するのですが、この装置には小型の遠心機がついています。
細胞を遠心機でグルグル回しながら培養すると、ちょうど地上と同じ重力条件(=1g)で培養することができるんです。
微小重力下で培養した細胞と、地上と同じ1gで培養した細胞を比較すれば、微小重力の影響を見られますし、うまくいけば放射線と重力の相乗的作用についても踏み込んでいけるかもしれないと思っています」
もうひとつのポイントは。
「実験に使う細胞は凍らせた状態で打ち上げ、実験直前に解凍して培養し、実験終了後にふたたび凍らせて地上に戻します。
普通、培養した細胞はそれほど長く生きられませんが、今回は3ヶ月という長期にわたって『きぼう』のフリーザーで保管されます。
今回の実験では、長期間微量の放射線を浴び続けた場合の影響も調べられるのではないかと期待しています」
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