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第2回 航空機による学生無重力実験コンテスト
チーム名 | 大学名 | 氏名 | 体験談 |
---|---|---|---|
前半チーム | 学習院大学 | 市村 豊 | |
後半チーム | 東京都立科学技術大学(現首都大学東京) | 渡 健介 |
※表の をクリックすると、対応する内容が下に表示されます。
微小重力環境における線香花火の火花の飛び方
チーム名:学習院大学理学部線香花火研究会
無重力実験を実際に行ってみて、一番強く思ったのは「俺はもっと頑張らないといけないのではないか?」ということでした。わかりやすくいえば、とても刺激的で、今後頑張ろうという気分になる経験でした。抽象的な表現をすれば「魂に火がついた」といえるでしょうか。
私はこの実験をすることで、科学は面白いものであると思い、そしてせっかくだから将来は宇宙ステーションで実験ができたらきっと面白いだろうなと、将来の目標が一つできました。
私以外でも、実際に無重力を経験した共同実験者の方も結構面白いと思ってくれたらしいです(私はとてもうれしいです)。そして私も上に書いたとおり、「もっと頑張ろう」という気分になりました。だからこの「無重力実験コンテスト」には、個人的に「科学者の魂に火をつけるマッチである」とキャッチコピーをつけたいです。実際に無重力実験を行えば、それは実験者にものすごい刺激を与え、「今度はもっとすごいことをやるぞ!」と気合が入ること請け合いです。
だから、もしこの無重力実験コンテストに興味を持っている方がいるならば、ぜひ応募してほしいと個人的には思います。そして願わくば一人でも多くの人にこの無重力実験をやってほしいと心から思います。それはこの経験をすることで、今後生きていくうえで「もっと頑張ろう」という、そんな気分になると思うからです。
…ほんと、一度やってみてくださいといいたいです。やってみたならば、これはすごいぞ、ってことがわかってもらえると思うのです。興味をお持ちの方はぜひ応募してみてくださいです。
今回の実験は非常に刺激的でとても貴重で面白い経験でしたが、それでも非常に苦労したことも多かったです(苦労したからこそ面白かったともいえますが)。
初めに、応募原稿を考えるときも何度も何度も書き直して、本当に嫌になるくらい書き直しました。推敲してくれた教授には感謝感謝ですが、それでもあの原稿を仕上げるのはかなり面倒でした。それで締切日の20時すぎにやっと原稿が仕上がって、本当にギリギリで郵便局に持って行ってもらって消印を押してもらいました。
そのあとしばらくして教授から「採用されたよ」というようなことを言われたときは本当にびっくりしました。本当かどうか信じられなかったので「本当ですか?」「本当に本当ですか?」というようなことを4回か5回くらい教授に繰り返し聞いたことを覚えています。その後で公式ページに採用者の名前が載っているのを見て「ああ、どうやら本当なんだなー」と妙に納得しました。
そのときはまだ油断していたのですが、危なくなったのは「調整会」(だったかな?)という全体ミーティングに行ったときです。たしか2004年10 月30日だったと思いますが、日本宇宙フォーラムの本部?にでかけて(やけに立派な建物で圧倒されました)会議をしました。そこで他の実験チームの方々とお会いできて私はとても楽しく、また勉強になりましたが、一番の問題は日程調整です。今回の実験は12月と2月の2回にわけて実施することになっていたのですが、私の所属する学習院チームはまだ実験装置なんてぜんぜんできていません。それなので私は「できれば2月がいいんですけど…」と思っていたのですが、提示された予定表では「学習院は12月に実施」というようなことがばっちり書いてあって、しかも他のチームはこの案に納得しているようなのです。これはまずいと思った私は「あの、学習院は2月にしてほしいのですが…」ということを勇気を出して主張しました。しかし、どうやらその主張は通りそうになく、また同席した教授が「12月にやろうよ」というようなことを私の隣でつぶやいています。
以下、教授と小声で交わした会話を再現すると、
私「12月で間に合うんですか?」
教授「やるしかないじゃん」
私「いや、でも、間に合う自信がありません」
教授「大丈夫、やろうよ」
…結局学習院チームは12月に実験を実施するということで決定しました。…1ヶ月ちょっとしか時間がありません。ちなみに繰り返しますがこの時点で実験装置はまったくできていません。私は頭を抱えました。ちなみに隣の教授は涼しい顔をしています。…今にして思いますが、この状況でよく教授は「できるよ」なんて断言できたものだと今でも感心します。教授のこの根拠不明の楽観主義には本当に感心します(しかも、実験が終わった後で「ほら、できただろう」というようなことも言われました)。
さて、そんなわけで1ヶ月ちょっとの時間(5週間はなかったです)で実験準備をすることになって、私は焦りました。とりあえず実験に使う装置を作らなくてはなりません。メインのチャンバー(容器)を作るのに時間がかかるというわけで、ミーティングが終わった週明けくらいから早速作業にかかりました。このときに私は初めて「図面」なるものを書きました。…やってみると意外にできるものですね。人間は必死になると思わぬ力が出るものなのでしょうか。本当に必死に作業をしましたよ、私は。それでチャンバーの注文を出したり、今回の実験では線香花火を燃やすという実験ですが、無重力状態で容器の中の花火に火をつける方法を考えてその装置を作ったりと、大変でした。実験装置を作るうえではやっぱり秋葉原の電気街と東急ハンズが役に立ちました。なんというか、東京の理工系の大学には秋葉原電気街は強い武器であると、そんなことも実感しました。
また、当初は事実上私一人で作業をしていたので共同実験者を募集したことも印象的です。こんな実験に協力してくれる人がいるのか? と不安に思いましたが、幸いにも手伝ってくれる人がいらっしゃって、私はとてもうれしく思いました。これについては、手伝ってくれた皆様にはただただ感謝感謝としか言いようがないです。
それでもやっぱり1ヶ月はきつかったです。いつでも「これで本当に間に合うのか? 大丈夫なのか?」という心の中からわきあがる不安に悩まされ、胃が痛くなることも度々ありました。
今回の実験では何が一番大変だったかといえば、自分の心からくる不安と絶望に負けないようにすること、そしてその次に「時間がない」ということがあげられると思います。その他のことは、実はそれほど大した問題ではないように今は思います。とにかく自分の精神とたたかうことが一番大変だったという気がします(これは今もそうですが)。
具体的に、これから無重力実験を実施しようとしている方にアドバイスするとしたら「予定を立てて行動する」ということをしたほうがいいと思います。我ながらうかつでしたが、私は目先のことばかり考えていて、「いつまでに何をする」という予定を終わりのほうになるまで立てていなかったのです。だから時間に追われたり不安に思ってしまったところがあると思います。それなので、この無重力実験に限ったことではないかもしれませんが、「予定を立てて行動する」ということを個人的にお勧めしたいです。
それで、頑張った甲斐があって、実験装置が「確認会」(装置がちゃんとできているかをチェックする日)の2日か3日前にようやくできました。…ほんとギリギリでした。危ない橋を渡っています。そんな状況なので事前のテストが不十分ではありましたが、なんとかOKはもらいました。試験日に線香花火に点火できないというトラブルが発生して大変でしたが、これはその後に点火装置の接続部分の部品を変えることで解決しました。
その後に細かいセッティングをしていよいよ名古屋に出発です。名古屋に行く前日まで固定用の台の加工などをしていたのでほんとうにギリギリでしたが、それでもなんとかできた気がします。
名古屋での経験は、面白かったですね。三菱重工の工場の中に入ったのですが、工場の中にはF15戦闘機が普通においてあってびっくりしました。「なんだ?ここは?」と初日からびっくりしました。行ってから初めて知りましたが、この工場は航空自衛隊の飛行機の整備をしているとのことで、工場の中には本物の飛行機がバンバンおいてあります。…ほんと驚きました。そして私は実験をしにきたはずなのにその当初の目的を忘れて「なんか、すごい所に来てしまったな」と、ひたすら感心していました。
名古屋にいたのは1週間くらいですが、今から思えば本当に楽しかったですね。無重力体験をしたのも貴重な経験ですが、そのあとに中日新聞の取材を受けて、私は新聞の取材を受けるなんて初めてだったのでとても面白かったです。また、航空機実験をして日本海上空から名古屋空港に戻る時に飛行機の前のほうを見学させてもらったのですが、そこで操縦している時のコクピットの様子と飛んでいる飛行機の正面の風景を見ることができて、あれはすごく感動しました。…飛行中の飛行機のコクピットを見学できたんですよ? これはすごいと思いました。
名古屋から帰ってからはしばらく片づけなどをしていました。
今、この文章を書いているのは2005年7月5日ですが、今から振り返ると2005年の1月以降に何をしていたのか、実はあんまり覚えていません。とりあえず学校で試験があったり発表会があったりで、それに忙殺されていたことがあります。帰ってきてから地上でもう少し線香花火の実験をしたのですが、それについては今はほんと思い出せないです。
とりあえず3月の末日までに報告書を提出するということだったのでそれをなんとか頑張って書き上げました。この時期は個人的に学校で必修単位を落として卒業できなくて追試を受けることになって、ほんとに大変でしたがなんとか報告書を書き上げました。また、この実験についてはフジサンケイビジネスアイ社が主催する科学コンテスト「独創性を拓く先端技術大賞」に結果をまとめて応募をしようと考えて、その応募原稿も報告書と同時並行で書いていました。結局締め切りに間に合わなくて、事務局に電話してしばらく待ってもらって、それで4月の頭にようやく応募しました。なんというか、ここまで貴重な経験をしたのでそれで応募してみたかったのです。このコンテストに関しては残念ながら落選しましたが、それでも応募してよかったと思います。
今から考えると、私が学習院大学に入学したのは、この無重力実験をするためだったのではないかと、そんなことすら思えます。少なくとも大学で一番印象に残っている出来事のひとつと言って間違いないです。
今回の実験では、反省点としてやっぱり実験が不十分であったと思います。一番の目的である線香花火の燃焼を観察することはできましたが、それは光学的に観察しただけで他の温度の測定などができなかったことは悔やまれます。そして私自身の基礎的な能力の圧倒的な不足も実感しました。そもそも、もっと効率的に作業をすることができたのではないのか? という事も思います。
ただ、私は「全力全開!」で行動していた、それは間違いないと自分で思います。悔いはないです。そして、この経験をすることで確実に自分自身のレベルが上がったとも思います。最初に書きましたが「魂に火がついた」感じを自分で受けます。「せっかくだから、いつかは宇宙ステーションで実験してみたい」そんな夢を抱くようにもなりました。
この無重力実験コンテストに応募する方、あるいは実際に実験をやろうとする方、そもそも無重力や科学に限らず何かに挑戦する方にメッセージを言いたいです。それは「不完全でもいいからやってみようよ」ということです。今回の私は時間が圧倒的になかったり、そもそも自分に能力がなかったりで、準備不足もいいところでしたが、それでもやってよかったと思います。そしてやらなければ何も始まらなかったと思います。
私が好きな漫画で「魔法先生ネギま!」という作品がありますが、そのなかで登場人物が「人生はいつも準備不足の連続だ。常に手持ちの材料で前へ進む癖をつけておくがいい」というセリフがあります。…私はこれは人生の真実ではないかと思います。「準備万端」という状態で何かをするということは、実はあまりないのではないかと思います。それよりは「準備不足」の状態で頑張らなくちゃいけないということが多いと思います。特にこの「無重力実験コンテスト」の場合、応募や実験実施日に締め切りが存在するので、準備不足の状態で締め切りがくるのが当然だと思うし、その状態でギリギリまで努力して挑戦をすることが大切なのだと思います。
「準備ができたらやろう」なんて考えていたら、それはいつまでもできないのではないかと思います。たとえ準備不足であっても、不完全な状態でも、とにかく何かのアクションを起こすこと、それが大切なのではないかと思います。
失敗したっていいんです。全力で何かをやって、そして失敗しようではありませんか。そうしなくては成長なんてできないです。私はそう思います。
最後に、苦労して作り上げた実験装置と、初めて明らかになった実験結果の写真をつけます。これが、私の大切な思い出です。どうか見てやってください。
本実験は宇宙航空研究開発機構の援助を受け「第2回航空機を利用した無重力実験コンテスト」の一環として実施されました。航空機実験の実施にあたり、多大なご協力を賜った(財)日本宇宙フォーラム、ダイヤモンドエアーサービス(株)の皆様に深く感謝致します。
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