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アクエリアス滞在6日目。
いつも通り朝6時に目を覚まし、寝床の中で少しぼんやりしていました。既に何人か起きて活動を開始している様子が気配でわかります。注意しながら3段ベッドの真ん中の段から降りて、睡眠スペースのカーテンを開けると、すぐ手前のダイニングテーブルでデイビッドが情報端末で天気図を開いているところでした。
前職の職業柄、天気図は見慣れているので、すぐその上に書かれているただならぬ事態を察知しました。
カリブ海上に、ハリケーンが発生しています。
2日ほど前から、その辺りで低気圧が発達しつつあるという情報は入っていました。ですが、それが最悪の形で実現してしまったようです。
「明日、スプラッシュアウト(水上に戻ること)することになったらしい。今日の午後から、減圧作業に入るって」
デイビッドの言葉が、眠気を一気に吹き飛ばします。
「それってつまり、これでNEEMO15は終わりってこと?」
「その通り」
大西宇宙飛行士(左上)とデイビッド・サンジャック宇宙飛行士(右下)(提供:JAXA/NASA/NOAA/UNCW)、10月26日時点の天気図(提供:NASA Goddard MODIS Rapid Response Team)
この時の心情を正確に描写するのは、作家でもない私にはちょっと難しそうです。ただ色々な感情が通り過ぎたあと、猛烈な悲しさが襲ってきました。やっと船外活動にも慣れてきて、アクエリアスの生活にもリズムが出てきたところなのに・・・
「最悪だね」
「うん、最悪だね」
やり残したことが沢山あります。当初の目的も半分くらいしか達成できていません。これだけの大規模なミッションはそうそう頻繁にあるわけではなく、ましてその機会が自分に与えられる可能性の低さを考えると、今までずっと楽しみにしてきたNEEMOがこれで終わりなんて、悲しすぎます。
けれどもそれと同時に、この決断を下したNASAとアクエリアススタッフに対する尊敬の念が沸き起こってきました。「安全第一」と口で言うのは簡単ですが、それを実践することがどれだけ難しいことかはわかるつもりです。
ましてや自分よりもずっと前から、今回のミッションに向けて準備してきたエンジニアやスタッフたちにとって、どれだけ苦渋の決断であったかは想像に難くありません。ミッションの遂行よりも、安全を最優先した結果なのですから、仕方がありません。
一通り気持ちの整理をつけると、後は安全に減圧作業を終えて、地上に戻ることに専念しなければなりません。以前書いたように、私たちの体内には既に窒素などのガスが飽和状態まで溶け込んでいるので、それを確実に体内から追い出してやる必要があります。
方法はいたってシンプルです。時間をかけてアクエリアス内の気圧を下げていき、ゆっくりガスを追い出してやるのです。これを「減圧」と呼びます。
午前中は荷物の整理に追われました。私物からテストに使用する道具やコンピューター類にいたるまで、持ち込んだ全ての物を品目ごとに確認していきます。
昼過ぎには、3人目のアクエリアス技術者となるジャスティンが到着しました。減圧中は常に技術者が気圧を注視して、不測の事態に対応する必要があるため、3人が3交代で翌朝まで圧力バルブの調整と記録を行うのです。
アクエリアスのウエットポーチ(左)(提供:JAXA/NASA/NOAA/UNCW)と国際宇宙ステーション(ISS)の「クエスト」(エアロック)(右)の対比(提供:JAXA/NASA)
そのまま気圧を下げていったのでは、外の水圧が高いので、海水がどんどんアクエリアスの中に入ってきてしまいます。そのため、ウエットポーチに繋がる扉を封鎖します。宇宙船でいうと、エアロックを閉じるイメージです。ジャスティンが念入りに扉の気密性を確認しています。
そして午後2時から、16時間の減圧作業が開始されました。最初の70分間は、20分間に0.1気圧という比較的早いペースで、圧力を下げていきます。
ジャスティンを除くクルー6人は、それぞれのベッドに横になり、酸素マスクを装着して100%酸素を吸います。この酸素マスク、なんか臭います・・・おまけに呼吸しづらくてなかなかハードな70分になりそうです。
この間、暇すぎるので、クルーはみんなで映画を見るというのが習慣になっているのですが、私たちがチョイスしたのは『アビス』。少し古い映画なので、ご存知でしょうか? 海の中のアクエリアスで、深海を舞台にしたSF映画を観るなんて、なかなかシャレています。
最初の70分間が終わると、後は本当にゆっくりとしたペースで圧力を下げていくので、もう酸素マスクは必要ありません。クルーは自由に動き回れます。1時間に0.1気圧とか、最終的には1時間半かけて0.1気圧下げるようなペースになります。
窓から魚を眺めたり、メールを書いたり、テレビ電話で家族や知り合いにアクエリアス内部を紹介したり、皆思い思いに最後の夜を過ごしました。
減圧中に気付いた体の変化というと、まずはやっぱり耳です。周囲の圧力が下がると、耳の中の空気が膨張して鼓膜を外に押してきます。唾を飲み込むたびに、鼓膜から空気が外に抜けていくのがわかります。
それから、やけに眠くなります。これはどうなんでしょう。圧力と関係あるのでしょうか。単に疲れているからかもしれません。
念のため元医者のデイビッドに聞いてみると、「ずっと高い気圧で生活していたから、体も脳も、豊富な酸素に慣れてしまったんだと思う。減圧に伴って呼吸中の酸素の量が減ってくると、"酸素が不足している"と脳が勘違いして活動レベルを下げようとするんじゃないかな」とのことでした。かなり説得力のある話に思えましたが、実際はどうなんでしょう??
海上でクルーの帰還を待つサポート船"Liberty Bell"(提供:JAXA/NASA/NOAA/UNCW)
そうして最後の夜が明けました。気圧計を確認すると、1気圧を示しています。これで地上の圧力に戻ったことになります。夜、眠っている間にも体内からガスを追い出す作業は順調に続いていたようで、体調も良好です。
朝ごはんは誰も食べませんでした。内外の圧力差で、キッチンのシンクの排水がうまくいかないからです。同様の事情でトイレの水も流せないという、よりシリアスな事情もあります・・・。閉鎖環境ですからね、何しろ。
朝ごはんを食べるというリスクを冒すよりも、お腹空いたままでいた方がまだマシです。
いよいよスプラッシュアウトの時間が迫ってきました。実はこれも簡単な作業ではありません。単純にウエットポーチへの扉を開けて、海に出て浮上すれば良いというわけではないからです。
そのままでは扉を開けられません。扉は内外の気圧差で外から押されていて、内側からは開けられないのです。扉を開けるためには、中の気圧を再び2.5気圧まで加圧してやる必要があります。
そしたらまた減圧が必要になるから意味がないじゃないか、と思われた方、鋭いです。ですが体内のガスは一旦追い出しているので、2.5気圧の空間に留まる時間を最小限に抑えれば、あとは普通のファンダイビングと同じでゆっくり浮上していけば良い訳です。
要するに、スプラッシュアウトは時間との戦いです。
NEEMO15クルーをサポートするスタッフダイバー(海底4日目)(提供:JAXA/NASA/NOAA/UNCW)
再加圧からアクエリアス退去までの時間を、なるべく短くしなければなりません。ウエットポーチに出て、ウエットスーツに着替えて、各自ダイビング器材をセットして、安全点検をして、さあみんな準備はいいね、レッツゴー!というわけにはいかないのです。
そこでミッションを通じて様々な形でクルーをサポートしてくれている、スタッフダイバーの出番です。ダイバーが2名、アクエリアスまで潜ってきて、 外側で必要な準備を整えてくれます。私たちのスクーバ器材をセットして、すぐに装着できる状態にしてくれているのです。
そのダイバーたちから、準備は整ったという連絡が入ります。いよいよスプラッシュアウトです。ジェイムスが、先日の緊急事態模擬訓練で出てきた例のブローバルブを開放しました。
ジェイムス・タラチェック(提供:JAXA/NASA/NOAA/UNCW)
シュゴゴーーーーッ
と空気が居住区に流れ込んできます。1気圧から2.5気圧まで、ほんの数分の時間です。キッチンに置かれた水のペットボトルが見る見るうちに、へこんでいきます。どんどん耳抜きをしていかないと、耳がすぐに詰まってしまいます。
ウエットポーチへの扉が開かれました。
みんなドドッとウエットポーチへなだれ込み、マスクとフィンを持って水着のまま、サポートダイバーの指示に従って、スクーバ器材を装着していきます。全員の装着が終わったら、ダイバーの一人が先導役になって水上で待機しているボートへのロープを1列になってゆっくり上っていきます。
アクエリアスともこれでお別れです。みな、名残惜しそうに何度も何度も振り返っています。
こうして、私の1週間のアクエリアス滞在は終わりを告げたのでした。"ここまで、ご愛読ありがとうござました・・・"と幕を閉じる前に、次回(第17回)には、これまでを振り返った総括編をお届けしたいと思いますので、どうぞお付き合いください。
地上より、大西卓哉
■NASAによるNEEMO15の写真はこちら
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