【前回のあらすじ】種子島宇宙センターから打ち上げられた宇宙ステーション補給機HTV(愛称:こうのとり)の4号機は順調に飛行を続け、グリニッジ標準時8月9日10時半頃、国際宇宙ステーションISSの下方30mまでやってきました。詳しくはこちらを。
アメリカ・ヒューストンのジョンソン宇宙センター内にあるミッションコントロールセンター。その中にあって24時間365日ISSの運用を続けているFCR-1(通称:フィッカー1)と呼ばれるコントロールルームには複数のコンソールが設置されていて、それぞれに略称が定められています。私がマイク・フィンク飛行士と共に座っているのがISSとの交信役を務めるCAPCOM(キャプコム)コンソール、その左隣にはFCR-1の責任者でありISS運用の指揮を執るISSフライトディレクターの座るFLIGHT(フライト)コンソールがあります。
キャプチャの交信を担当したマイク・フィンク飛行士(写真はHTVのISSからの離脱時のもの)(出典:JAXA/NASA)
ISSフライトディレクターとは直接会話が可能な近さですが、他のコンソールとやり取りする際には、音声回線を使用します。コンソールに設置された装置で、色々な回線で交わされる会話を同時に聴く事が可能なのですが、私がつくばのHTV管制チームが使用している回線を選択すると、親しみのある日本語での交信が聞こえてきました。その交信の中心になっているのが、今回のHTV4号機のリードフライトディレクター、前田真紀さんです。
今日のこの日のために、NASAとの様々な調整、管制チームの事前訓練、運用手順の準備などを取りまとめてきたHTV運用の現場の責任者です。ちょうどこの何週間か前に、最終的な調整のためヒューストンを訪れた前田さんとお話しする機会があったのですが、ミッションを直前に控え「緊張する」と語っていたのが嘘のように、落ち着いて凛とした声です。
ISS下方30mに到着したHTVの、ISSへの最終的な接近に向けた準備が続いています。キャプコムのマイクからはISSの宇宙飛行士へ、HTVキャプチャに向けたロボットアーム操作卓のセッティングに関する指示が出されました。コントロールルーム内の複数のスクリーンは全てISSの船外カメラの映像の中継に使用されているので、私たちからは直接クルーの姿を見ることはできませんが、今頃ISSでは実際のキャプチャを担当するカレン・ナイバーグ飛行士をはじめとする3名の宇宙飛行士が、指示に従ってロボットアーム操作卓のセットアップ、キャプチャ手順の再確認などを行っているはずです。
手順書に定められた通り、1つ1つの項目がしっかりと確認されていきます。私が何度も参加した管制チームの訓練では、このあたりは訓練教官チームの格好の標的で、突然ISSの電気系統の一部がシャットダウンしたり、ロボットアームの操作に必要なカメラが故障したりといった『不測の事態』が起きやすく、キャプチャを実現しようとする管制チームとそれを妨害せんとする訓練教官チームがしのぎを削る時間帯なのですが、さすがに実際の世界ではそのような不具合はそうそう起こるものではなく、静かに時間が流れていきます。
厳しい訓練を乗り越えてきた自信が、コントロールルーム全体にみなぎっているようです。つくばのHTV管制チームも、きっと同様でしょう。
やがてクルーから「準備完了」の連絡があり、地上の確認も終わったところで、HTVのISSへの最終的な接近が開始されました。すなわちISS下方約10mのポイントへ向けた接近です。このポイントで実際のキャプチャが行われます。
金色に輝くHTVの機体がスクリーン上で徐々に大きくなってきました。先月のコラムでも少し触れましたが、HTVが高度の異なるISSに向けて直線的に接近していくのは実は大変なことなのです。この間、HTVの推進装置は小刻みに噴射を繰り返しているはずですが、とてもそうは思えないほど、スクリーン上では安定しているように見えます。コントロールルームでもここはただ見守るだけなのですが、私はHTVの精密な接近っぷりにただただ見とれていました。こんなことが可能な日本の技術はすごい、と正直に思いました。管制官の中にも、カメラを取り出してスクリーン上のHTVを写真に収めようとする人が何人もいます。感嘆の声が聞こえてきます。世界の宇宙開発をリードしてきたNASAのスペシャリストたちが、日本の宇宙機を固唾を飲んで見守っているのです。私はこの光景を日本中の人々に見てもらいたいと思いました。
少し余談になりますが、軌道力学というものについて簡単に触れさせてください。
ISSやHTVをはじめとする宇宙機は、基本的に地球を中心とする円に近い軌道を飛んでいます。
難しい計算は置いておいて要点をかいつまむと、このとき地球により近ければ近い(高度が低い)ほど宇宙機の飛行速度は速く、遠ければ遠い(高度が高い)ほどゆっくりになります。
これをISSとHTVの関係に当てはめて考えると、ISSの下方にいるHTV、つまり低い軌道にいるHTVの方がISSよりも飛行速度が速いのです。これはどういうことかと言うと、つまり放っておくとHTVはISSよりもどんどん前へ前へ行こうとするわけです。従って、ISSに向けて下方から直線的に近づこうとする場合、このどんどん前へ行こうとするのを抑えてやる方向に推進装置を小刻みに噴射してやる必要が出てくるのです。
話が小難しくなりました(汗)。でもこれで、HTVがやっていることの技術的な難しさというものを少しでも感じて頂ければ幸いです。それに、今回は意図的にシンプルにしましたが、軌道制御というのは本当はもっともっと複雑なのです!
先月のアンケートでこの辺りの話をもっと聞きたいという読者の方の声もありましたので、今回特別に私の友人でHTV3号機のリードフライトディレクターを務めた内山崇君に寄稿してもらいました。少し突っ込んだ話もありますが、めちゃくちゃ面白い内容になっています。私自身、とても勉強になりました。
内山フライトディレクターによる特別寄稿『HTVは何故地球側からISSへ接近するのか?』はこちらです。忙しい中、どうもありがとう!
・・・さあ、それでは本題に戻りましょう。
11時10分、ついにHTVがキャプチャのポイントまで到達しました。ISSとの距離はわずか約9m、もう指呼の間です。コントロールルームの中央のスクリーンには、ロボットアームの先端に付いているカメラからの映像が映し出されていて、HTVが画面いっぱいに映っています。そしてその中心近くには、ロボットアームが掴まえるピンがしっかりと捉えられています。このピンはHTVの機体表面に取り付けられているのですが、これをロボットアームの先端に引き込むことによって、キャプチャが行われるわけです。
HTVの動きを肉眼でスクリーン上で確認するのはほぼ不可能です、それだけ見事に静止しています。私の脳裏に去年受けたロボットアーム訓練の記憶が蘇ってきました。
画面上、大きく動き回るHTVをロボットアームで追いかけてキャプチャする訓練・・・、あの訓練でのHTVはさながら暴れ馬のようでした(訓練の模様はこちらを参照)。それが現実のHTVはどうでしょう。あたかも正座してキャプチャされるのを待っているかのような、何というお行儀の良さでしょう。
ISSにいるカレン飛行士もあの訓練を受けているはずです。そしてその訓練を乗り越えてきたという自信が、この本番という緊張の中で支えになってくれていることでしょう。
既にいつもの分量をはるかに超えるボリュームになってしまっています。しかし、ここでまた「来月に続く!」とやってしまうと、苦情が殺到しそうなのでこのまま行きます!それにしても、一体どれだけの方々が私たちのコラムを読んで下さっているのでしょう?苦情が殺到するほど、多くの方が読んで下さっていればいいのですが・・・
それはさておき。いよいよHTVのキャプチャも大詰めです。
ここでつくばのHTV管制チームから1つのコマンドが送信されます。先ほど、HTVにはピンが取り付けられていてロボットアームでそれを掴むと話しました。実はそのピン自体をHTV本体から切り離す機能が実装されているのです。ピンをロボットアームに引き込む過程で何らかの不具合が生じて、キャプチャを続行できなくなったとき、通常はキャプチャを中止して掴んでいるピンを放すのですが、それすら出来ないような不測の事態が生じた場合にロボットアームが損傷するのを防ぐ最後の砦として用意されている機能です。
ピンの切り離しが意味するもの、それは「HTVミッションの終了」に他なりません。HTVを2度とキャプチャ出来なくなるからです。
それだけ重大な意味を持つ恐ろしい機能なので、通常はこの機能自体が無効化されています。それを、キャプチャを開始する直前に有効化することになっているのです。
そのキャプチャ前最後の地上からのコマンドが送られました。引き続いて、HTV側とISS側双方のコントロールルームで、キャプチャに向けた最終判断が実施されます。程なくしてHTVフライトディレクターの前田さんが、音声回線を通してISSフライトディレクターへ告げました。
「HTV is GO for capture.」(HTVはキャプチャへ向け準備完了です)
双方の「GO」を受けて、キャプコムのマイクからISSのクルーへキャプチャの開始が告げられました。ここまで来ると、あとは地上からはただただ状況を見守るだけです。クルーが1つ1つ手順を実施していくのを、担当の管制官たちが注意深くデータを観察することによって、音声回線で報告していきます。その声以外、コントロールルームは水を打ったような静けさです。
「ロボットアームの手動モードへの切り替えを確認」
「ISSの姿勢制御モード変更を確認」
「HTVフリードリフトモードへの移行準備を確認」
みな食い入るようにスクリーンを見つめています。そしてついに、
「ロボットアームの動作が開始されました」
中央のスクリーンに映し出されているロボットアーム先端のカメラからの映像で、ゆっくりとアームが動き始めたのがわかります。どうやらカレンは、まず上下左右方向のズレを合わせにいっているようです。きっちりとHTVに正対させてから、距離を詰めようという狙いでしょう。・・・と、その時です。
ISSからの映像を映しているスクリーン全てが青一色の画面に変わりました。
実はISSと地上を結ぶ通信回線は、24時間常に高速で確立されているわけではなく、通信が全く出来ない時間帯もあれば、時には低速データ通信しか利用できない時間もあります。これは使用しているアメリカの通信衛星網の利用枠が限られている為で、通常HTVのキャプチャが行われるような日には優先的にISSが使用できるように事前調整がなされているのですが、それでも常時高速データ通信が確保出来るわけではないのです。
その、高速データ通信が使用できない時間帯にかかった為に、映像中継が届かなくなったのでした。
もちろん、このことは管制チームにとって予想されていたことだったのですが、手順が予定よりも少し前倒しで進んでいたこともあり、「もしや、このままキャプチャまでライブで観られるかも・・・」という淡い期待があったのも事実です。
即座に、ISSフライトディレクターからスクリーンの表示をコンピューターグラフィックスに切り替えるよう指示が出されました。映像は届きませんが、依然として運用に必要なデータは低速通信で届いているので、ロボットアームの位置などは地上から把握できるようになっています。そのデータをCGで表現した、つまり仮想の中継映像を映し出そうというわけです。
すぐにスクリーン上にはHTVと、それに向かってゆっくりと近づいていくロボットアームのCGが映し出されました。
しかしその光景の味気なさと言ったら・・・。例えてみれば、野球中継で9回裏2死満塁の1点を追う展開で、4番打者がバッターボックスに入ったところで中継の時間が終わってしまったような感じでしょうか。さらに言えば、そのバッターがその後ホームラン性の大飛球を打って、アナウンサーが「大きいー、これは大きいぞーーーーっ!!」と絶叫しているのをラジオで聞いているような・・・・こればっかりは致し方ありませんね(^^;)
一番大事なことは、HTVをキャプチャすることですから。
そんな地上での一幕など知る由もないクルーは、その直後の11時22分、見事にHTVをキャプチャしたのでした。
「ピンのロボットアームへの引き込みを確認」
ロボットアーム担当の管制官の声が、キャプチャの成功を告げています。ヘッドセットからは拍手に沸くHTV管制チームの様子が聞こえてきます。その歓喜の輪の中心には、ほっと安堵の笑顔を浮かべた前田さんがいるに違いありません。
キャプチャ成功を喜ぶ前田HTVフライトディレクター(写真中央)(出典:JAXA)
私は心の中でつくばの同僚たちの見事な仕事っぷりに拍手喝采を送りながら、これから先のHTVのISSへの結合を担当する第2シフトの一員として、気を引き締めなおしたのでした。
私たち第2シフトのチームにとっては、第1シフトがキャプチャしたHTVを安全にISSへ結合させることが任務であり、9時間に及ぶシフト勤務がまさにこれから始まろうとしていたのです。
【当日のキャプチャの模様は、こちらの動画でご覧頂けます。】