JAXA宇宙飛行士活動レポート 2012年11月
最終更新日:2012年12月20日
JAXA宇宙飛行士の2012年11月の活動状況についてご紹介します。
ISS長期滞在を終えて星出宇宙飛行士が帰還
帰還直後に笑顔を見せる星出宇宙飛行士(出典:JAXA/NASA/GCTC/Andrey Shelepin)
帰還した星出宇宙飛行士(中央)と付き添う古川宇宙飛行士(右)(出典:JAXA/NASA)
11月19日、国際宇宙ステーション(ISS)の第32次/第33次長期滞在クルーとしてISSに滞在していた星出宇宙飛行士が、およそ4カ月に渡るISSでの長期滞在ミッションを終えて地上に帰還しました。
星出宇宙飛行士は、長期滞在期間中、2008年の1J(STS-124)ミッションにおいて自らがISSに取り付けた「きぼう」日本実験棟船内実験室での実験を中心に、ISS国際パートナーの科学実験の支援や、医学データを収集するなど、幅広い分野の実験に携わりました。実験に関わる作業だけではなく、ISSを運用していく上で必要な維持・管理作業についても他のISS長期滞在クルーと協力しながら実施しました。船外活動では、ISSの運用に不可欠な機器の故障対応に当たり、計画通りに進まないこともありましたが、地上の飛行管制官らと一丸になって任務を完了しました。ISSへ物資を届ける補給船の到着や分離対応などにも関わり、多忙な日々を過ごしました。
星出宇宙飛行士は、サニータ・ウィリアムズ、ユーリ・マレンチェンコ両宇宙飛行士とともにソユーズ宇宙船に搭乗し、ISSから日本時間11月19日午前7時26分に分離し、11月19日午前10時56分にカザフスタン共和国の雪原に着陸しました。帰還直後の星出宇宙飛行士を支援するために、JAXA宇宙飛行士を代表して古川宇宙飛行士が事前に現地入りし、着陸地から米国ヒューストンに戻るまで付き添いました。
星出宇宙飛行士帰還後記者会見の様子(出典:JAXA)
米国に戻った星出宇宙飛行士は、日本時間11月29日、帰還後初の記者会見を行いました。星出宇宙飛行士は、長期滞在を振り返っての感想や支援にあたってくれた人々への感謝を述べ、報道関係者から「きぼう」船内実験室に再び戻った感想や、帰還後のリハビリテーションの経過について尋ねられると、ひとつひとつ丁寧に答えました。
星出宇宙飛行士は、現在、リハビリを行って身体を地上の環境に慣らす傍らで、関係者と長期滞在ミッションの報告会(デブリーフィング)を行っています。今後、米国だけでなく、ロシアや日本にも訪れて関係者とミッション後の報告会を行う予定です。
- 星出宇宙飛行士帰還後記者会見
- 長期滞在の総括
大西宇宙飛行士、ISSロボットアームのスペシャリスト訓練を修了
大西宇宙飛行士は、先月に引き続き米国ヒューストンのNASAジョンソン宇宙センター(JSC)で国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアームシステム(Mobile Servicing System: MSS)のスペシャリスト訓練を実施しました。
後半にあたる今月は、ロボットアームで宇宙船をキャプチャ(つかまえる)する訓練を集中的に行いました。
訓練では日本の宇宙ステーション補給船「こうのとり」(HTV)をモデルにしたシミュレータを用い、時にはシステムの不具合もシミュレートしながら、ロボットアームの操作担当者としてだけでなく、それを側でサポートする際の役割についても演練を重ねました。
通常、ロボットアームを操作する際には、急激な動きによるロボットアーム自体の振動を避けるために、ゆっくりと慎重に操作する必要があります。しかし「こうのとり」のキャプチャの場合、限られた時間の中でロボットアームを接近させることが必要になるため、大胆さと慎重さを適度にバランスさせることが重要になってきます。
カナダにて訓練を受ける大西宇宙飛行士(出典:JAXA/CSA)
大西宇宙飛行士は、約2mの距離から「こうのとり」をキャプチャするまでの操作を繰り返しシミュレータで練習することによって、キャプチャに必要なロボットアーム操作技術を身につけ、9月のカナダでの訓練から始まった一連のISSのロボットアームに関する訓練を修了しました。
野口宇宙飛行士、第25回世界宇宙飛行士会議に出席
野口宇宙飛行士は、11月4日から10日にかけて、宇宙探検家協会(Association of Space Explorers: ASE)がサウジアラビアのリヤドで開催した第25回世界宇宙飛行士会議に出席しました。
ASEは、世界各国の宇宙飛行士によって構成される組織で、およそ年に一度のペースで世界宇宙飛行士会議を開催しています。ASEは、宇宙開発への貢献や有人宇宙活動の国際協力はもとより、科学技術教育の促進、環境問題の意識増進なども目的に活動しています。
アジア支局長に任命され、スピーチを行う野口宇宙飛行士(出典:JAXA)
第25回目となる今回の会議は、"Space Technology for a Knowledge Based Society"をテーマに開催されました。11月6日に行われた技術セッションにおいて、野口宇宙飛行士は、"Space Operations Today"と題した講演を行い、旧ソ連のユーリ・ガガーリン宇宙飛行士による初の有人宇宙飛行から始まり、アポロ計画での月面着陸、宇宙における人類の長期滞在、そして現在のISS計画に至るまでの有人宇宙飛行の歩みを振り返りました。
また、これまで野口宇宙飛行士は、ASEにおいて常任理事を務めていましたが、今回の会期中に、新たにアジア支局(ASE-Asia)の局長に指名されました。今後、野口宇宙飛行士は、アジア支局長として、国際協力の強化やASEに参加するアジア諸国の交流促進を図る役目を担います。
野口宇宙飛行士、第56回宇宙科学技術連合講演会に参加
野口宇宙飛行士は、日本航空宇宙学会の主催で、11月20日から22日にかけて大分県別府市の別府国際コンベンションセンターにて開催された第56回宇宙科学技術連合講演会に、登壇者として参加しました。
野口宇宙飛行士は、講演会1日目の11月20日、特別講演の枠で「有人宇宙飛行が開く総合智の世界」をテーマに講演を行ったほか、有人宇宙船の自動操縦とクルーによる宇宙船の制御の融合をテーマとした技術に関して講演を行いました。
第56回宇宙科学技術連合講演会では、野口宇宙飛行士の講演のほかに、「きぼう」日本実験棟や宇宙ステーション補給機「こうのとり」(HTV)に関するJAXA職員による講演なども行われました。
向井宇宙飛行士、「きぼう」利用成果シンポジウムに参加
講演を行う向井宇宙飛行士(出典:JAXA)
11月5日、秋葉原UDXカンファレンスで開催された“国際宇宙ステーション「きぼう」利用成果シンポジウム(第4回)~宇宙と地上の暮らしに役立つ「宇宙医学」~”に、向井宇宙飛行士が参加しました。現在、JAXAの宇宙医学研究センター長を務める向井宇宙飛行士は、長年にわたって宇宙医学の研究に携わっています。
シンポジウムの第一部「宇宙医学の現状と成果」の中で、向井宇宙飛行士は、「宇宙実験室の面白さ」と題した講演を行いました。講演の冒頭で、宇宙環境の特徴や地上との違いを説明した後、宇宙で起きる筋萎縮や骨量減少といった研究対象を紹介しました。こういった症状は、高齢者に多くみられる病気と症状が似ており、「宇宙医学は、本来、狭い意味で言うと宇宙に行く人のための研究であるが、老齢化社会に貢献できる」と向井宇宙飛行士は述べ、宇宙医学で研究した成果が、地上での生活にも役立てられる可能性があることを語りました。また、現在、JAXAが国際宇宙ステーション(ISS)を利用して行っている医学研究や、これまでに得た成果を社会に還元するための取り組みなどについても紹介しました。講演の最後に、「宇宙医学は究極の予防医学であり、宇宙と地上の両方の暮らしに役立てることを目指している」と、研究の意義を述べ宇宙医学の紹介を締めくくりました。
第二部の「宇宙医学のこれから」では、「宇宙医学の魅力と成果の活用」をテーマにしたパネルディスカッションにパネラーとして参加しました。パネルディスカッションは、会場にいる一般の参加者から寄せられた質問に順々に答えながら宇宙医学を紹介していく形で進行され、骨粗鬆症や放射線管理に関する質問などが会場から寄せられました。JAXAが民間の食品メーカーと協力して開発している宇宙日本食に関して、日本食は塩分が多い傾向にあるため、骨への影響を危惧(※)して低塩にする工夫が考えられていることなど、研究に携わる現場ならではの話が多く語られました。
※ 塩分の摂取が増えると、体内の酸が増加し、骨の減少が加速される可能性があります。(参考:-塩分をたくさんとりますか? 宇宙飛行士の骨の研究によれば、答えは「ダメ」です-)
油井・大西・金井宇宙飛行士による活動報告「新米宇宙飛行士最前線!」
いつも、宙亀日記を読んで頂き、本当に有難うございます。3人とも、訓練の合間に時間を見つけて一生懸命書いていますので、今後ともよろしくお願いしますね。
さて、11月は語学と体力トレーニングに明け暮れた1ヶ月でした。この二つの能力は、宇宙飛行士として訓練をしたり、仕事をしたりする上で基本となる重要な能力です。ですから、2015年のフライトに向けて本格的な訓練が始まる前に、少しでも能力を高めておきたいと思い、出来るだけ多くの時間を費やしました。
一方で、この二つの能力は、歳を重ねるごとに、向上させるのが難しくなってくる分野でもあります。そういった意味でも、私は他の2名の新米飛行士よりも沢山の努力をしなければいけないわけです。
私と同年代、或いは年上の皆様方!自分が老いていっていることをしっかりと自覚していますか?
確かに、自分が歳をとり、肉体的にも衰えていくのは残念なことです。でも、私がよく自分に言い聞かせていることは、「不快な現実をしっかりと受け止める事が、問題解決の第一歩である」或いは「今あまり考えたくない事は、実は今一番考えなければいけない事!後回しにせずに、今問題を解決する!」ということです。
私は、これまで本当に多くの時間を語学と体力錬成に費やしましたが、これは自分が歳をとり、体力も記憶力も衰えてきているという不快な現実を直視した上で、対策を練った結果なのです。
一方で、更に気を付けなければいけないことは、歳を重ねるにつれて、多くの人達が自分に気を遣ってくれるようになる事です。多少の気遣いは礼儀でもあり、潤滑油の様な物ですから必要だとは思いますが、過度の気遣いは私にとってマイナスだと思っています。周囲が気を遣いすぎて、不快な情報や意見を私に言ってくれなくなったとしたら、私は不快な現実を見るどころか、それに気付く事も出来なくなってしまう訳です。当然、対策を考えることもできず、状況は悪化するばかりですね。
歴史をみれば、多くの国・組織・個人がこの間違いを犯し、衰退していきました。ツイッターでもお話ししましたが、私が自分にとって不快な情報やニュースを真剣に集めるのはこの為なのです。ですから、この日記やツイッター、或いは宇宙開発のあり方等に対する皆様方の率直なご意見をお待ちしています。私を厳しい言葉で叱咤激励して下さい!今後ともよろしくお願いします!
訓練中の写真がないので、慌てて家で写真を撮りました(笑)。指で体を支えながら腕立て伏せをすると、握力も同時に鍛えられると聞き、実施しています。工夫しながら、自分の弱点を克服しようと、日々努力しています。(いきなりやると、怪我をしてしまうかもしれないので注意してください!)
※写真の出典はJAXA
今月は前回に引き続き、国際宇宙ステーション(ISS)のロボットアームについてご紹介したいと思います。ロボットアームがどんなものなのかについてはどうぞ前回のコラムをご覧下さい。今月は宇宙飛行士がどのような訓練を受けているのかについて、書きたいと思います。
まず始めに、アームの操作方法について簡単に触れますと、2つのコントローラーを使います。左手で1つ、右手でもう1つのコントローラーを握って、アームを操作します。
写真は、ロボットアームのシミュレーターを操作しているところですが、左手で握っているものが、アームを3次元空間で前後左右上下に移動させるコントローラーになります(実際には宇宙にはどちらが上でどちらが下といった概念はないので、操作者がまず始めに座標系というものを定義してやるのですが、少し話が複雑になってしまうので今回は割愛します)。
もう1つのコントローラーは、よく飛行機のシミュレーターなどで見たことのある方も多いと思いますが、アームの姿勢を操作するコントローラーになります。これを操作することによって、アームの向いている方向を変えることができます。
この2つのコントローラーを同時に操作して、3次元空間でアームを任意の位置に移動させ、任意の方向に向けることが可能になります。左右の手で、それぞれ違ったものをコントロールするわけですから、ここが宇宙飛行士の腕の見せ所でもあります。
もちろん、いきなり複雑な操作ができる人はいないので、そこで訓練が非常に重要になってくるわけです。自動車で言えば、車を公道で走らせる前に教習所で練習をするようなものです。まずは発進と停止、それから直進の練習、そしてカーブ・・・
アームの操作練習もこれによく似ています。スムーズなコントローラーさばきで、アームをゆっくり動かす練習、停止させる練習、単純な直進操作、それに慣れてきたら斜めの移動、といった具合です。
アームの操作方法を身につけると、次に待っているのは実践に即した練習です。意外に思われるかも知れませんが、実際にISSで宇宙飛行士がアームを操作する機会というのは、実はそれほど多くはありません。大抵の状況下では、地上からの遠隔操作でアームを操作することが可能だからです。しかし、どうしても地上からの遠隔操作では限界があるケースが2つあります。1つは船外活動の支援、もう1つはISSに接近してきた宇宙船のキャプチャ(掴まえること)です。
これら2つのケースでは、迅速かつタイムリーな操作が求められるので、地上からの遠隔操作ではどうしても限界があるわけです。ですから、宇宙飛行士はこれら2つのケースについては、厳しい訓練を受けます。状況によっては、アームの操作だけではなく、システムの不具合にも宇宙飛行士自ら対処しなければなりません。
実際のそれらの訓練の雰囲気を味わって頂く為に、今回は日本のISS補給機「こうのとり」をロボットアームでキャプチャする訓練の模様を、実況放送風にお伝えしたいと思います。
以下、状況を解説するナレーター、ロボットアーム操作者(私)、サポート役の宇宙飛行士(教官)でお送りいたします。
・・・・・
私 「これより『こうのとり』のキャプチャを開始します。動作開始」
ナレーター 「さあ、大西宇宙飛行士、慎重にアームを動かし始めました。急激な動作は、アーム自体の振動につながる恐れがあるので、避けなければなりませんよ」
教官 「了解。動作確認。現在、『こうのとり』まで約5m。徐々に遠ざかりつつあります」
私 「了解。接近率を少し上げます」
ナレーター 「ISSから遠ざかろうとする『こうのとり』と、まずは相対速度を合わせます。その間にも、上下左右のずれに対してもアームを追随させる必要がありますからね、これは忙しいですよ!」
教官 「良い接近率になってきた。距離、約4.5mまで接近」
私 「もう少し接近率上げていきます」
ナレーター 「接近率が順調に上がってきました。依然として、上下左右は少しずれたままですが、『こうのとり』は絶えず動いていますからね。距離のあるうちはこれくらいで十分との思惑でしょうか」
教官 「接近率良好。距離2.5mを切りました」
私 「了解。『こうのとり』へFree Driftの指示を送信」
教官 「了解。Free Drift送信。『こうのとり』Free Driftモードへの切り替わりを確認」
ナレーター 「出ました、Free Driftモードへ移行完了です。これ以後、『こうのとり』は姿勢制御のためにスラスタを噴射しません。その間に、速やかにキャプチャしてやる必要があります」
私 「移行完了了解。接近率このまま。右方向へのずれ、現在修正中です」
教官 「了解。・・・・距離1.5m・・・・1m」
ナレーター 「このあたりは非常に小刻みな修正が求められます。『こうのとり』は慣性だけで宇宙空間に漂っている状態ですから、うまくその流れに合わせてやらなければいけません」
教官 「・・・・距離60cm・・・・30cm」
私 「ずれは全て許容範囲内。このままキャプチャを継続します」
教官 「許容範囲内について、こちらも了解。キャプチャ継続に同意します」
ナレーター 「ここはアームと『こうのとり』の相対的なずれが一定の範囲内に収まっていることを確認する重要なポイントですからね!2人で相互に確認しあいます。さあ、ここまでくればもう一息ですよ」
教官 「『こうのとり』キャプチャ可能範囲内に入りました」
私 「アームのキャプチャ動作を開始します!」
教官 「了解!」
私 「・・・・・・!?」
ナレーター 「おおーーーっと!出ました。教官がシミュレーターに不具合を入力しておいたようです。アームのキャプチャ動作が開始されません。さあ、どうする??」
私 「不具合の発生を確認。手順に従い、不具合早見表を参照します。ケース2の、キャプチャ動作を完了できないケースに該当すると判断」
教官 「同意します」
私 「早見表の指示に従い、バックアップ系統への切り替えを実施します」
教官 「了解」
ナレーター 「大西宇宙飛行士、ここは慌てずしっかりと手順通りに対応していきます。このあたりは前職のパイロットの経験が生きていると言えるでしょう。さあ、バックアップ系統への切り替えが終わった模様です」
私 「キャプチャ動作を再度開始」
教官 「動作開始確認。・・・ピンの引き込み確認。・・・良好な張力。『こうのとり』のキャプチャを確認!」
ナレーター 「バックアップ系統で無事、キャプチャを完了できたようです!大西宇宙飛行士、ほっと胸を撫で下ろしています。が、しかしこのあと、教官からのダメだし(デブリーフィング)が彼を待っています。今回、結果的にはキャプチャは成功しましたが、そこに至るまでの操作はどうだったか、判断は妥当だったかなどなど、しっかりと反省すべき点を洗い出して、次に生かしていってもらいたいですね。さあ、それではそろそろお別れの時間が近づいてきたようです。宇宙飛行士の訓練の実況放送いかがでしたでしょうか?また別の機会にお目にかかりましょう・・・」
※写真の出典はJAXA/CSA
みなさま、こんにちは。JAXA宇宙飛行士で、“もぐり”の医者の金井宣茂です。・・・といっても、宇宙飛行士になるかわりに医師免許が失効したとか、そういうわけではありません。
JAXAに入社する前は、海上自衛隊で潜水員の健康管理をしていました。これを潜水医官と呼びます。つまり“潜り”の医者、というわけで、業界で良く使われるジョークでした。おやじギャグとシラけてしまったら、すみません。
医学のマイナーな一分野として、異常環境医学、中でも潜水医学という特殊な分野があります。ここでは、潜水に関わる様々な健康障害を予防したり、治療を行ったりしています。
海上自衛隊に勤務する医官の半数は、外科とか内科とか耳鼻科といった自分の専門に加えて、この潜水医学の勉強をして、「潜水医官(ダイビング・メディカル・オフィサー)」としての資格を取得します(ちなみに残りの半数は、航空自衛隊の医官とともに「航空医官(フライトサージャン)」としての訓練を受けます)。
潜水医官は、さまざまな種類の潜水器具を体験するために海に潜る訓練も受けますが、主たる活躍の場は、ダイビング船の甲板の上か、病院や医務室などの医療施設です。潜水病治療のために設置されている高気圧酸素治療装置を操作したり、実際に治療を受ける患者さんに付き添って加圧されることもあり、海の中だけでなく、水の外でも(=高圧チャンバーの中で)ダイビングを行います。
潜水具を使って水の中で作業をするのは、何も海上自衛隊だけではありません。民間の事業者がサルベージや採掘作業、建設作業などを水中で行うこともありますし、レジャーダイビングもごく一般的で、多くの人がレジャーとして水の中の活動を楽しんでいます。
ダイビングは健康な人ならば誰でもが楽しめる安全なスポーツですが、そもそも人間は潜水器の助けなくしては水中で長く過ごすことができませんので、当然リスクもあります。
ダイビング・ライセンスを持っている方はご存じかもしれませんが、ダイビングのやり方によっては、潜水病という病気を起こす可能性があるため、水の中に潜っていられる時間や深さ、潜水を終えてから次の潜水を行うまでの休息時間など、細かなルールが設けられています。
民間・自衛隊に関わらず、潜水医学に携わる医師や医療職は、なぜ潜水病が起こるのか、どうしたら防げるのか、万一病気になった場合はどのように治療するのが良いのかということを、日々勉強を重ねつつ、日ごろの診療に携わっているのです。
さて、表題にも書きましたが、実は宇宙でも潜水病を起こしてしまう可能性があります。原因はいろいろありうるのですが、先月のコラムに書かせていただいた船外活動(われわれは、Extra Vehicular Activity、略してEVAと呼びます)もその一つです。
そもそも潜水病はどうして起こるのでしょうか?例として、海の底でスクーバ潜水具を使ってダイビングすることを考えましょう。
水の中では地上にいるときと比べて余分の圧力(水圧)がかかっていますので、潜水器で呼吸する空気も地上よりも加圧されています。イメージするのが難しいかもしれませんが、一回の呼吸に含まれる空気の量も、体積の上では地上にいるときと変わりませんが、実際には含まれる酸素分子などの量は周囲の圧力に応じて多く含まれています。例をあげてみると、水深10メートルの海底では、人間の体には2気圧の圧力がかかっており、呼吸する空気の中には、実に地上の2倍の酸素や窒素が含まれることになります。
そして、魚を見たり写真を撮ったりと、海の底で楽しく過ごす時間に応じて、呼吸している加圧空気に含まれる窒素が、徐々に人間の体内に溶け込んで行くのです。
この状態で、水面に(すなわち1気圧の状態)戻ってくると、体にかかる圧力が低くなるにつれて、体内に溶けていた窒素は、肺を通して体の外にゆっくり排出されます。
ダイビングのルールをきちんと守ることで、この過程が滞りなく行われれば何も問題はなく、健康上の影響もありません。しかし、例えば、水中に長く居過ぎて体に溜まった窒素が多すぎるとか、浮上するための時間が早過ぎて窒素の排出が間に合わないというようなことがあると、圧力によって体に溶け込んでいた窒素がうまく処理できず、体に溶けきれなくなり、体の中(特に血管の中)で気泡化してしまいます。この気泡が、血液の流れを止めてしまうことで、さまざまな健康障害を起こす原因となるのです。これが潜水病です。
同様の現象が、理論的には宇宙船の中でも起こりえます。例えば、船外活動(EVA)のことを考えてみましょう。宇宙ステーションの中は、地球上と同じ1気圧にコントロールされています。宇宙服に着替えて外に出るのですが、宇宙ステーションの外は真空(すなわち0気圧)です。宇宙服を着た飛行士は、エアロックという特別な部屋に入り、エアロックの空気を抜いた上で、ハッチを開けて宇宙に出て行きます。
先月のコラムにも書かせていただきましたが、宇宙服の中は、だいたい0.3~0.4気圧ほどの酸素で満たされています。これより気圧が低いと、酸素濃度が低すぎて肉体労働をするには体が辛くなりますし、かといって圧力が高過ぎると、宇宙服がパンパンに膨らんでしまい、動くことができなくなってしまいます。
そこで、宇宙服を着こんだ飛行士は、エアロックの中で、1気圧から0.3~0.4気圧に徐々に減圧をするのですが、この過程は、あたかも水中で加圧空気を吸ったダイバーが、1気圧の水面に戻ってくるのと同じ状況なのです。
もちろん、今まさに船外活動に出かけようとする宇宙飛行士が潜水病になってしまっては困りますから、潜水医学の知識を駆使して、さまざまな予防策が取られます。キャンプアウトといって、エアロックの中の気圧を少し下げた状態に維持したまま、宇宙飛行士が一晩その中で過ごすことにより体を慣らしたり、あるいは酸素マスクをつけて一定時間エアロバイクで運動することで強制的に体内の窒素を排出させたりする方法などがあります。最近では、酸素吸入と軽い運動を組み合わせる、より短時間で安全に体を慣らすための方法も開発されつつあります。
宇宙飛行士を医学面からサポートするため、地上の管制センターには、宇宙医学を専門とする医師(フライトサージャンと呼ばれます)や、衛生員(Biomedical Engineer、略してBMEと言われます)が24時間体制で待機していますので、かれらの指示により、安全かつ効率的な減圧を行うことができます。
もちろん船外活動中も、宇宙飛行士の心電図や宇宙服のデータ、宇宙飛行士同士の会話が常に管制室でモニターされていますので、健康管理という点では、これ以上望めない万全の体制でのサポートを受けることができます。
それでも万一、宇宙で潜水病が起きてしまったらどうするのでしょうか?
地球上では、潜水病の患者さんが発生した場合は、特別な施設で高気圧酸素治療を行います。宇宙ステーションには、治療用施設は備え付けていませんが、変わりに、宇宙服の中に患者を入れて、酸素で加圧することになっています。高い圧力がかかった宇宙服はその後使うことはできなくなりますが、これにより潜水病治療を施すことが可能です。宇宙服を、潜水病の治療装置変わりに使えるように設計してあるなんて、さすがだなぁと感心してしまいます。
なお、船外活動のように危険を伴う作業の場合は、フライトサージャンやEVA専門家などによる特別サポートがありますので、幸いなことに、これまで船外活動に関連して潜水病が起こったという報告はないそうです。みなさま、ご安心ください。
船外活動中の星出宇宙飛行士
先日地球に帰還した星出彰彦宇宙飛行士が行った船外活動など、宇宙ステーションで実際に行っている船外活動のデータは逐一記録が残され、今後、さらに安全で効率的な作業方法が開発される資料になっていきます。
こういったデータが増えていけば、逆に地球上での作業に活用することで、より安全で効率的なダイビング・潜水活動などができるようになるかもしれませんね。
※写真の出典はJAXA/NASA
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