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1994年7月9日は、アジア初の女性宇宙飛行士、向井千秋宇宙飛行士がスペースシャトル・コロンビア号(IML-2/STS-65)に乗って宇宙に飛び立った日です。1992年9月の毛利衛宇宙飛行士に続いてスペースシャトルで宇宙へ行った2番目の日本人宇宙飛行士となりました。
2014年7月で初飛行から20周年となる向井宇宙飛行士の軌跡を振り返ってみましょう。
向井宇宙飛行士は、1985年8月に、毛利衛(現・日本科学未来館館長)、土井孝雄(現・国際連合宇宙部宇宙応用課長および国連宇宙応用専門官)と共に、ペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者:PS)としてNASDA(現JAXA)により選定されました。
当時向井宇宙飛行士は心臓外科医として活動しており、日本で初めての宇宙飛行士を募集することを知り、子どものときからの夢を叶えるべく宇宙飛行士に応募しました。
ペイロードスペシャリストとは、宇宙飛行士の中でも宇宙で実験を行うことを専門とした科学者のことです。
向井宇宙飛行士は、2回のスペースシャトルミッションに搭乗して数多くの宇宙実験を行いました。
当時は国際宇宙ステーション(ISS)がまだ存在していない時期で、スペースシャトルの貨物室に宇宙実験室(スペースラブやスペースハブ)を搭載し1~2週間宇宙に滞在して科学実験などを行っていました。
1994年7月9日~23日、向井宇宙飛行士は、ペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者:PS)としてスペースシャトル「コロンビア号」に搭乗しました。
スペースシャトルに搭載された宇宙実験室(スペースラブ)内で、微小重力科学(材料科学、流体科学など)、ライフサイエンス(宇宙生理学、宇宙生物学、放射性生物学など)、宇宙医学(心臓血管系、自律神経系、骨・筋肉の代謝)などに関する82テーマの実験を遂行しました。
金魚(愛知県弥富市のワキン)、メダカ、アカハライモリも一緒に宇宙へ行き、メダカは宇宙で産卵、孵化しました。宇宙から帰ってきたメダカは順調に産卵を繰り返し、今も宇宙メダカの子孫として生き続けています。
また公式飛行記念品のひとつとして、出身地である群馬県館林市の花であるツツジ(ヤマツツジ、アズマニシキ、ベニキリシマ)の種を持って行きました。宇宙から帰ってきたツツジの種は芽を出し花を咲かせ、その子孫は各地で育っています。
1998年10月30日~11月8日、向井宇宙飛行士は、NASAのジョン・グレン宇宙飛行士*(当時77歳、史上最高齢で宇宙飛行)らとともにペイロードスペシャリストとしてスペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗しました。
スペースシャトルに搭載された宇宙実験室(スペースハブ)内で、ガマアンコウを使った宇宙酔いの原因を探る実験をはじめ、微小重力下での植物の発芽や根の成長過程の観察、宇宙放射線や微小重力環境がヒトの遺伝子に与える影響調査など生命科学(ライフサイエンス)及び宇宙医学など80テーマを超える実験を行いました。
このミッションでNASAは米インターナショナル・フレーバー&フレグランス社と協力して、オーバーナイト・センセーションという種類のバラのつぼみを持って行きました。
宇宙で咲いたバラは地上とは異なる香りを発しました。後に資生堂はこの香りを地上で再現した香料「スペースローズ」を配合したフレグランス「ZEN」を開発しました。
このようなスペースシャトルでの実験ミッションを繰り返すことで、宇宙滞在における人間の生理を理解し、宇宙実験のノウハウを蓄積し、現在のISSでの長期滞在、実験に繋がっているのです。
向井宇宙飛行士は、ペイロードスペシャリストとしての技量を活かして、軌道上での実験が順調に進むように地上からミッションをサポートする業務も行いました。
2回の飛行ミッションの他に、地上からのミッション支援、後進の育成などを行い、現在もJAXA宇宙医学研究センター長として、宇宙飛行士および医師の観点から「究極の予防医学」である宇宙医学の発展や地上への応用を目指して精力的に活動しています。
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