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向井千秋飛行士 2002[1] |
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2002年8月19日 ヒューストン、シーフードレストランにて 参加者(敬称略): |
向井:無重力でプカプカ浮いているのは、ショートランで短い間は楽しいけど、あれを長期に続けると、自分がどこにboundされているかがわからなくなっちゃうの。リファレンスが少なくなっちゃう。洋服なんかも、重さがあるからこういうふうに身体にひっついているんですよ。だけど宇宙で本のページがこうふくらんでいたのと同じで、服が身体にくっつかないでこう浮いたようになるわけ。そうすると、自分はどこにもくっついていない。 井上:それ、実感しました。μG体験飛行で。 向井:でしょう? あれはすごく安心感があるの。 井上:ミールの中で宇宙飛行士がいろいろなものに乗って遊んでたんですよ。トランクをこう持ってまたがったり。で、僕もやってみたいと思って、大きな風船をふくらましてかかえこんでやってみたんです。で、何も持たないときと風船に抱きついたときと比べてみたんです。ものすごく安定なんですよ。はっきりと身体の軸がどうなっているかわかる。 向井:あれは、自分の体の中に、そこの表面をリファレンスしているからなの。それで自分のアイデンティティ――自分の場所がどこにあるのかというのをわかろうとしているんですよ。 井上:ええ、初めてわかりました。 向井:だからプカプカ浮いているのは面白そうに見えるけど、長期にいると不安定なのね。それはすべてのリファレンスをなくしちゃうからなの。 井上:必ず何かに触れていないといけない。 向井:フィードバックがないから。自分が触ったら必ず誰かが触っている――フィードバックがあるでしょう。ところが宇宙でプカプカ浮いていると、洋服ですら触れない。足で今地面を踏んでいると、自分の体重を自分で感じられますよね。下から反作用で来るでしょう。そういうものがないから、自分がどこにも属していない。"adjacent world"、知覚の世界とコネクトしていない。だから不安なんです。と、私は分析しているの(笑)。そうでしょう、絶対。精神科医が言ってるわけじゃないの。重い布団を掛けると寝られるっていうでしょう。あれとおんなじ。 井上:阪大の臨床哲学の人たちと話したんですが、人間の不安の根本というのは何かというと、つながりを切られること。何にもつながっていないことほど恐ろしいものはない。 向井:そう。だって、外の世界とつながっていないから。 井上:話をしても誰も返事をしてくれないと不安になりますよね。そもそも自分の存在が不安になるのは、触ったときに触り返してくれない。触覚がなくなるとものすごく不安になる。視覚もそうですよね。こうやって物を見てて、たしかにそこに見えてると安心してられるのは、物が僕を見てくれているという、そういうリアリティがあるから自分がここにある。感覚のベースには身体感覚があるから、身体がなんの反作用も受けないと、自分がここにいるというリアリティがなくなる。そのリアリティがなくなったら物だって見えないですよ。 向井:だから、無重力での不安もそこからくる。リファレンスをなくすると、自分が存在することのフィードバックをもらえなくなっちゃう。と、私は思うんですよ。 井上:向井さん、医学がご専門ですから、そういったことに関して研究発表されることは考えておられないんですか。 向井:私もいろんなことをやっているもんでね(笑)。 井上:でも今おっしゃったことは、20世紀の哲学がずーっと考えてきたことの一番の中心にある問題ですよ。 向井:本当? 私ももっと勉強して。哲学って面白いもんね。私よく知らないけど、面白いと思う。 井上:現象学なんかがずっと議論してきたことです。哲学者はそういうことを実際に体験しないで、子供の頃の経験とか病気の経験とかをもとに考えてきた。 向井:体験しないでそういうことを考えられる人っていうのはすごいですよ。私なんて体験したから、それが言える。でも言えるだけで、それは何ということはないわけよ。宇宙飛行士が地球を見てきれいだと言うのは当り前の話で、見てないのにその美しさ、見てないのにその形、そういったものをイマジネーションの中で作り上げてきた人間の力っていうのは大きいですよ。 井上:本当にそうですね。 向井:私、本当にそう思う。宇宙から地球を見て、まさに日本列島がポコポコってできている、神話なんかでそういいますけど、人間の想像力ってすごいんだなーって思った、本当に。 井上:そういった感覚は、科学とか芸術とか分ける以前にとても大事だし、子供たちの中にも育てていかないといけませんよね。 向井:だって、ダ・ヴィンチなんて、もう科学と芸術が一緒だった。アインシュタインだって、論理的に整然として美しいものっていうのは、美しいんですよ、絶対。美的なものってあるんですよ。今の子供たちは、早期移入でみんなが与えすぎちゃうから、だからクリエイティビティとかイマジネーションがなくなっちゃうんだと思うんですよ。 井上:われわれ芸大ですから、それすごく深刻な問題です。さっき向井さんが言ったように、紙袋一つでどこまで遊べるかってことが大事で。 向井:そう、紙袋一つで何の遊びができるか、ですよね。 井上:みんなそこから始まると思うんですね。 向井:でも私は、やっぱり自分が求めている宇宙飛行士っていうのは、仕事としてふつうに軌道に乗り始めて、みんながわいわい騒ぐようになってきたところから、本当の仕事の話が進んでくるんだと思うんですよ。 井上:それは今のアートのテーゼですよ。 向井:そうですか。私、アートの理論だけ先生に弟子入りして(笑)。 井上:いえ、おっしゃっていることは、僕らの考えと全く同じですよ。でもわれわれがそういうことを言ってもなかなか理解してもらえない。例えば、ブランクーシっていう、後世に影響を与えた20世紀最大の彫刻家がいたんですが、その人がルーマニアにモニュメントを建ててくれと言われて柱状のものを作った。で、ルーマニアの人がそれを見て、「何だこれ、農家の柱と同じじゃないか。しょっちゅう見ているものじゃないか」という反応だったんです。一般の人は見慣れているものを出されても面白くない。芸術の方はそれを違う視点から見ているんだけど、人はいつもと同じ視点からしか見ない。 向井:視点の方向性を素人には教えてあげないと、見えないと思うんですよ。 野村:でも宇宙飛行士が宇宙で受けたすごく特殊な体験、あの放射線の現象なんかには、すごく示唆を受けます。 向井:でもものすごい短いんですよ、あれが見える時間は。たしかに宇宙飛行士は、たまたま宇宙に行ったときにああいう現象を見たわけだけども、放射線というのは、例えば放射線治療なんかで何かの拍子で視神経に当たる。あるいは頭ぶつけて何か見えたりとか、あれも現象なんだから、やっぱりちょっとした高いエネルギーのものが網膜を流れるんだと思うんですよね。チャージされたものが。そういう意味で言うと、視神経の生物学的な現象というか。 野村:僕らがああいう話を聞いて思うのは、人間っていうのは、水晶体を通さずとも、視神経を刺激したら見えるっていうことなんです。それっていうのは、たぶん脳の認識するプロセスが、問題となっている部分に具体的に現れる現象なんでしょうか。 向井:ええ。だって先生、網膜は、テレビで言えば単にブラウン管のスクリーンだけであって、後ろに収束されてつながっている電線みたいのが視神経だから、網膜を刺激しようと、視神経を刺激しようと、同じ電気系統で脳の中で映像化されるプロセスだから、同じなんですよ。例が悪いかもしれないけど、要するに、針で突ついて痛いっていうのと、フォークで突ついて痛いっていうのと、痛さそのものは同じなわけです。また私の独断と偏見ですけど(笑)。ただ先生もおっしゃるように、意識して能動的には見ていない。たまたま来たときに、あれだというふうに受動的にものすごい短い時間で見ているから、形とか細かく覚えていないのかもしれません。 野村:それって頻度はどれくらいなんですか? 向井:サウスアトランティック・アノマリー(南大西洋異常地域)に行くと、磁場の関係で、ヒットする確率が多くなる。だけど私自身は数個しか見なかったですね。面白いことに、目をつぶってても、目を開いていても見える。だけど、意識がなくなっちゃうと見えないんです。私なんかベッド入って暗くするとすぐ寝ちゃうから。目開いている時に一個あって、その後は覚えてない。というのは、寝ちゃって意識なくなっちゃうと、放射線が視神経に当たっていても見えてないですから。 野村:それって医学的には? 向井:残像っていうのもあるじゃないですか。確かに、網膜を通さないで見える光って面白いですよね。たぶん、脳外科の手術をやった人とか、神経繊維を触られると必ずそこでディスチャージするから、それと同じ効果っていうのは、物を見てなくても出るんでしょうね。あと当たる確率が高いのは、極に近い、オーロラが見えるようなところ。オーロラ見に行った人は見えたのかな。私は宇宙からオーロラを見ました。足元にこんな小さいカーテンがちょこちょこと見えた。でも私の場合、南極から見たオーロラで、だから、南十字星とオーロラが一緒に見えたんですね。色は、白っぽい緑色だった。 |
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