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向井千秋飛行士 2002[2]
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野村:長期の宇宙生活には東洋的な感性がどちらかというと向いているというお話がありましたが、宇宙飛行士の中にはクリスチャンもいて、キリスト教の一神教的な感覚からしたら、それは難しいかなと思うんですが。

向井:うーん、基本的には、母集団によると思うんですよね。アメリカとか西洋社会の中には、キリスト教的な考え方で絶対的なものは神だという、そういうのに疲れちゃう人たちもいるわけですよ。例えば、私、ドイツのケルンに行ったとき、大聖堂があるでしょ、あの狭い街にあれだけすごい大聖堂がバカーンと建っていると、あそこの下で自分が隠れて何かやっても、神が常に見ている、その恐怖感ってものすごく感じたんですよ。
東洋系の人たちが住んでいるアメリカの西海岸の中には、そういう考え方に疲れてきて、ものをアクセプトする、多様性を受けとめるような考え方ができてきて、彼らはオリエンタル文明とか、禅とか、庭づくりに魅かれている。箱庭セットが売られてるんですよ。箱の中に小石が入っていて、フォークみたいのが入っていて、自分でこういうふうに筋を付けて瞑想するって言うんですよ(笑)。アメリカの社会の中でも、絶対性とか神とかに疲れている人たちが、そういうオリエンタルなものに行く。
だけどマジョリティは、やっぱりまだクリスチャンです。そういう中から宇宙飛行士が選ばれ、エンジニアが選ばれる。とすると、母集団からいくと、ほとんどの宇宙飛行士っていうのはキリスト教であり、口では言わないまでも、神は絶対であり、小さい頃からそうやって育ってきている人たちです。そういう人たちがオリエンタル文化に傾倒していくっていうのは、全体の母集団ではまだまだ少ないと思います。西洋の文明では、もともと宇宙開発自体が、宇宙という環境を含めて、挑戦してコントロールするものであって、宇宙は挑戦の場所なんですよ。そういう意味では、東洋的な考え方というのはなかなか少ないですね。ゆくゆくは入っていくでしょうけど。

井上:日本人宇宙飛行士の方々とお話した限りでは、みんなそれぞれ自分自身でものを考えている人たちだという印象が強くて、例えば自分のバックボーンが日本だったり、いろんな宗教があったりしても、それを全部相対化して見れて、なおかつ自分のいる場所から物事を判断することができる人たちだと思うんです。アメリカ人宇宙飛行士だって、いろんな人種がいても、宇宙飛行士として体験積めば、みんな向井さんのように、ある程度自分のバックボーンや文化的背景から自由になって、自分自身で何が本当に面白いのかということを考えられる人たちばかりじゃないかなと想像するんですけど、そうでもないんでしょうか。

向井:私はたまたまジョン・グレンさんのような第一期の宇宙飛行士と飛んだから言えますけど、やっぱり国旗を付けて国の威信をかけてプログラムをやっていた第一期生の時代と、今は違うんです。今のシャトルとかISSの時代は、二百人近く宇宙飛行士がいるわけですよ。宇宙飛行士学校だってある。そうすると、自分の中でものを考えて受けとめてやっている人もいるけれども、ただ機械的にマニュアルに沿ってやっている人もいる。要するに、どの職場にも見られる人がいるわけですよ。一般的に言うと、チームワークで働いていける人が多いけれども、そうじゃなくて、ナショナリズムにものすごく凝っちゃって、そういう考え方が強い人たちもいます。人間だから。人間って、そんな聖人君子はいなくて、みんな同じなんですよ。なおかつ、プログラムが多くなって人が多くなればなるほど、自分がしっかりしないとこのプロジェクトが大変だとか、そういう高揚させるようなレスポンシビリティが少なくなってくるでしょ。誰かがやるだろう、みたいになって。

井上:なるほど。今のお話は、以前のインタビューで毛利さんが宇宙飛行士のメンタリティの変化について言われたことと同じなのかもしれません。物理的に宇宙飛行士の数が増えているということ、その中でレスポンシビリティが変わってきていること。数が増えれば、レスポンシビリティが少なくなりますよね。

向井:そう。

井上:毛利さんは本当に個として宇宙に上がられて、身体いっぱいに感じられて帰ってきたから、ああいうふうに深いことをおっしゃるんでしょうけど、やっぱり人が多くなると、体験が部分的にしか味わえないんでしょうね。

向井:それと宇宙飛行自体がルーチン化していて、必ずしも特別な体験とは言えなくなってきている。個々人にとっては特別であっても、多くの体験がある程度シミュレーションされるようになってきているから、ある期待度の中で実際の体験をすることになる。そうすると、デルタ(落差)が少ないわけです。昔の人たちが体験したときのあの重さがなくなってきているのは当り前なんですね。それが科学技術なり知識の蓄積でもあって、昔と同じ苦労をしながら行ってたら発展がないわけだから。

野村:いろんな感性の人がいるということで、総合的な判断のテストになるかもしれませんが、例えば絵というものが、シャトルのミッドデッキの中のどこかにプリントしてあったら、二週間のあいだ作業したり滞在したりする宇宙飛行士の人にとっては、どんな対象になると思われますか。

向井:やっぱり心が休まる対象になると思うんです。今のところ持って行ける物は三点なんですよ。三点っていうと、だいたい自分の家族の写真なり、子供の学校のペナントとかを持って行ってるんですけど、私は、その中の一点を、自分でカセットの外側の箱の中にカイワレの種を入れて、うしろにベロクロテープつけて、宇宙で水を入れて水栽培。一つは、水栽培でカイワレが出るかどうかに興味があったんですが、同時に、それを船内の壁につけて緑を宇宙で見ると面白いと思って、持って行ったんです。それは自分が植物を好きなせいもあるけれど、あのような殺伐とした機械に囲まれたところに、こんな小さいカセットだけど、その中にカイワレが入っているのを見ると、やっぱりすごく心が休まりましたよ。

井上:他の宇宙飛行士の反応はどうでしたか。見ていましたか。

向井:見ていたと思いますけど、「これいいでしょ?」って訊かなかったから、反応がどうかはわからないですね。

NASDAヒューストンオフィス・スタッフ:でもアイマックスの記録映像なんか見てると、植物持って行ったときは、食べるというよりは見てますよね。見る対象ですよね。

向井:そう。例えばメダカの実験だって、自分と同じ生命を持っている者どうしの親近感がものすごく出てくるから、非常に観察が楽しいんですよ。私たち、二回目の飛行でガマアンコウっていう醜い魚を持って行ったんです。宇宙飛行士はみんな地上で訓練するときにガマアンコウの泳ぎを観察することをトレーニングでやっていたけれど、軌道上に持って行くと、みんなそれを見るのが逆に楽しいんですよ。蓋が閉まっていて、一定の時間しか開けられないんです。魚の実験の邪魔になちゃうから。そうすると、みんな開ける時間になると「じゃあみんな、見よう」って、ペットを飼っているみたいな感じですね。やっぱり、ああいう殺伐としていつも機械の音がブンブン鳴っているような中では、植物であれ動物であれ、生命のあるもの、あるいはそれが絵でも、自分が地球上で住んでいたときの何かを思い出させるようなものは、心休まるんじゃないかと思います。

野村:絵というものが宇宙飛行士どうしのあいだのコミュニケーションを活発にするものになれば、そういうものを持って上がることで、コミュニケーションの話題になるし、お互いに拠って立つ基盤がそれを通して見えてくる。長期の滞在ではそういうものが必要なんだということが、一気には無理でも、徐々に浸透していかないかなと思うんですが。

NASDAヒューストンオフィス・スタッフ:ここにいると、日本の桜とか物語とか、すべて懐かしくなるのと同じですね。

向井:アメリカってケーブルテレビが発達しているじゃないですか。私が聞いた面白いケーブルテレビの話ですが、チャンネルが二つしかなくて、一つは水槽の画面、もう一つは暖炉の画面。だからそのテレビを付けると、テレビにいつも暖炉が燃えている映像が映る。そうするとそれに枠をつけちゃうと、自分のところにいつも暖炉がある。あるいは水槽に魚が泳いでいる。そういうケーブルテレビがあるくらいです。やっぱりそういう映像っていうのは影響力あると思うんですね。

井上:医学的に言って、人間が生物を見ていて飽きないというのは、どういうところから来ているのでしょうか。

向井:あれは、やっぱり予想ができないからじゃないですか。例えばおもちゃの金魚なんかは、どう泳ぐかがわかるじゃないですか。だけど生き物っていうのは、動きとかそういうものが予想できない部分と、慣れてくれば、とんとんと叩くとこちらに来るとか、予想できる部分がある。つまり、いわゆるフィードバックがある。自分のやったことに対して向こうが応える、そういう双方向の会話が成り立つから面白いんじゃないですか。植物もそうですね。水をあげると育つ。

井上:自分もそう考えていたので、ものすごくうれしい意見ですね。でも、生き物は最終的にすべてをコントロールできないっていうか、どうなるかわからないところがあるんですよね。

向井:そうそう。

井上:その辺の楽しみっていうのは、他の宇宙飛行士も同じでしょうか。

向井:同じだと思います。

井上:ということは、そこが普遍的なものなんだ。

向井:やっぱり双方向でフィードバックがある。こっちが構うと向こうが逃げる、だから追いかける、っていうのが面白いんですよ。

野村:絵は、物理的に邪魔しない限りは、持って行って、組み立ててまた持って帰れるんですね。

向井:さっき福嶋先生が京都のお菓子の話をしてらしたでしょう。あれを聞きながら私が考えたことは(笑)、お菓子で絵を作る。絵を四層ぐらいにして四季にしたら春夏秋冬にして、例えば初めの絵が春で、お菓子を食べていくと次に夏のものが出てくるわけ。次のレイヤーは紅葉の秋が出てきて、そういうふうに一年が終わる。お菓子屋さんにするの(笑)。上から食べていって、「次は秋の姿になりました」って言う。このくらい厚くて四季のお干菓子。いいと思わない(笑)。

野村:いいですね(笑)。二週間で一年を味わえるわけですね。

井上:でも季節感って、西洋の宇宙飛行士にどれだけ通じるのでしょうか。

向井:ワシントンとか、北の方に住んでる人は、もちろん四季があるわけですよ。でも、ここヒューストンはサブ・トロピカルだから、葉っぱはいつもグリーンだし、あまり季節感ないですね。私なんて十年来同じ洋服着ているけど、写真なんて見ると、「あれ、これ何年頃だったかな」って、わからないですよ(笑)。もちろん、顔は年取っているんですけど。そう意味では季節感もなければ、「歳感」もなくなっちゃう。季節感って、もともとそういう中に自分を置いて育ったことのない人には、教えてもわからないんじゃないかな。

井上:日本人が時間の感覚に敏感なのは、やっぱり季節が「去る」っていうのが一年に四回ある。何かが「去る」っていうことほど、時間の感覚を鋭敏にするものってないじゃないですか。

向井:それって日本人が桜を好きなのと同じことでしょうね。あれは短い時間しか咲いていなくて、散るから好きなんでしょう。だけど、ここの人たちはたぶん長持ちするバラの方が好きですよ。

井上:変わらないもの、恒久的なものをよしとするのと、移ろうものをよしとするのは、大きな違いでしょうね。

向井:こちらの人が好きなのは、エターニティ、永遠であって、常に続いていて、変わらないものですよ。

(了)

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