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最終更新日:2015年4月13日

実験の背景


生物の老化速度は、遺伝因子とともに環境因子の影響を大きく受けることが知られています。環境因子とは気温、酸素濃度、食事内容などです。その中には重力もありますが、地上にいる限り重力はほぼ一定であり、これまで重力が老化速度に及ぼす影響については研究が十分されているとはいえませんでした。例えば微小重力により老化の基本的過程がどのような影響を受けるかについては、ショウジョウバエでの宇宙飛行帰還後の老化が加速されたという報告(1)とゾウリムシのクローン寿命が宇宙で変化する可能性があるとの地上実験の報告(2)があるのみで、十分な解析がされていません。

一方、線虫(センチュウ)は地上でも多くの生命科学研究に用いられるモデル生物で、宇宙での実験にも使いやすい利点があります。特に日本は、2004年に実施された線虫国際共同実験(International C. elegans Space Experiment 1) ICE-First 2004に3つのテーマ(発生、筋萎縮、老化)で参加しました。JAXAと健康長寿医療センターの本田先生の研究チームは2004年、加齢の指標、つまり老化したら増える物質、老化マーカーとなるポリグルタミン凝集体形成に対する11日間の宇宙滞在による影響を観察しました。この実験の結果、宇宙で老化マーカーの形成が遅れたことが分かりました。また、いくつかの遺伝子の発現(働き)が減っていました。つまり微小重力は、老化速度を遅くする可能性があることが分かりました。さらにその後の地上実験では、宇宙で発現が減った遺伝子を働かなくした線虫は地上でも長生きすることが分かったのです。

さらによく解析すると2004年の宇宙実験では特に神経系の遺伝子発現が大きく低下することが分かりました。線虫では機械刺激、温度、浸透圧、化学物質などを受容する種々の感覚神経系を不活化すると寿命が延長することが知られています(3)。これらのことから「微小重力は、重力に関わる感覚神経系を不活化し、その結果、老化速度を遅くする」と予想して新しい実験を計画しました。重力が老化とどう関わっているかヒントが得られるかもしれません。

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図1 科学的背景と仮説(2004年の宇宙実験の結果)東京都健康長寿医療センター研究所提供


実験の目的


この研究はモデル生物の一つである「線虫」(学名Caenorhabditis elegans、シーノラブディティス・エレガンス、シーエレガンスと呼びます)を用いて、宇宙環境での寿命や老化速度が変わるかどうかを調べます。

生物は普通は生まれてから成長するにしたがって加齢すなわち老化という現象が始まっています。しかし、老化がどうして進むのかを説明できる説は一つとは限らず、老化の理由は実はよく分かっていません。

老化の速度や寿命は遺伝的な要因とともに環境に応答して決まると考えられています。環境の要因というのは温度、酸素濃度、食事、化学物質、運動による機械的刺激などがあります。その中でもこれまであまり調べられていなかった重力の影響に着目しました。宇宙環境では重力が少なくなり運動もしにくくなります。老化について宇宙飛行士を対象にした実験はあまり行われておらず、今後実施予定がありますが、実際は個人差があったり、被験者数の関係で結論が出るまでに長い時間かかります。モデル生物の線虫は、1-2か月程度の比較的短い寿命ですから、実験の結果が早く出ますし、1mmという小さい動物なので一度にたくさんの数を持って行けます。さらに線虫は人間と似た働きをする遺伝子を持っています。このような実験生物としての線虫の利点に着目し、線虫の寿命や老化速度が変わるかどうかを宇宙で実際に調べます。もしそれらが地上と異なるのであれば、その違いをもたらすのは微小重力なのか、もしくは別の因子、例えば宇宙放射線などが影響しているのかを調べ、老化の原因を明らかにします。さらに、宇宙環境に長期間滞在したときに変化する遺伝子の中から老化を制御するものを探します。これまでの地上実験で、線虫の老化にはインスリンシグナル経路が関わることが知られています。このシグナル経路が宇宙環境でどのように働くかも明らかにします。インスリンシグナル経路は人間でも多くの病気や生命現象に関係している重要な経路です。

今回のSpace Aging実験では、孵化してから幼虫として4段階目(L4)、つまり成虫の一歩前でまだ卵を産まない線虫を用います。卵を産んでその卵から子虫が生まれてしまうと、子虫まで数えることになって寿命を正確に計測できなくなるので、L4の幼虫に産卵抑制剤を加え卵を産まないようにします。この状態で栄養のある培養液に入れておくと線虫は地上では約50日生きています。

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図2 重力とインスリンシグナルについての説明 東京都健康長寿医療センター研究所提供

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図3 線虫C. elegansの生活環 東京都健康長寿医療センター研究所提供

実験内容


本実験では地上で準備した線虫を2015年4月に予定されているスペースエックス社のドラゴン補給船運用6号機(SpX-6)で国際宇宙ステーションに運び、「きぼう」日本実験棟内で培養を開始します。米国ケープカナベラル空軍基地から、図3の幼虫L4段階の線虫を線虫用の栄養の入った液体培地とともに容器に入れ12℃に保ち、活性を抑えた良い状態で国際宇宙ステーションに打ち上げます。2日ほどで国際宇宙ステーションへ到着し、ドッキングします。実験の流れを図4に示しています。線虫が入った容器はJAXAがこの実験のために開発した線虫観察用供試体にセットされ、細胞培養装置内の微小重力環境と人工重力部で20℃での培養が開始されます。

線虫観察用供試体は線虫の動きを観察できるよう内部にカメラを備えています(図5)。宇宙飛行士が線虫の入った供試体を細胞培養装置にセットした後は、筑波宇宙センターから宇宙ステーションの実験装置への通信指示により、毎日観察することができます。線虫はS字にくねくねと動きますが、若いうちはよく動き、老化が進むにつれ動きが遅くなります。毎日24時間ごとに1容器あたり3分間映像を取得します。その動画を解析ソフトで処理し、くねりの大きさと頻度で老化の度合いを分析します。

観察する線虫の数は1容器につき50匹。容器32個を宇宙に運びます。実験には線虫の野生株1種(N2という株)と短寿命の変異株1種(遺伝子名daf-16の変異体)の16個ずつを用います。1種類につき8個が微小重力実験、8個が比較対象の人工重力実験に使われます。線虫観察用供試体は全部で8式。4式ずつ微小重力区と人工重力区にセットします(図4)。2種類の線虫容器が合わせて4個、1式の線虫観察供試体に入っています(図5)。各線虫容器を観察するため、線虫観察供試体1式あたり4個のCCDカメラがついています。

短寿命の変異体は、daf-16という遺伝子が変異しているため、寿命が短いことが分かっています。普通の線虫の寿命と変異体の寿命、両方が変わるかというのも重要なポイントです。宇宙での微小重力環境と、人工重力との比較が非常に重要になります。宇宙で得られた結果を地上と比較します。

この実験で映像から得られる情報は大変重要ですが、遺伝子解析、タンパク質解析をする群についても大切です。寿命が変化した理由を分子生物学的に調べるためです。そのために観察用とは別に、凍らせて地上に持ち帰り最新の分析技術を使って詳細に調べるための線虫も打ち上げます。これら凍結群については5mlの培養液が入った培養バッグ(図5)1個あたり3000匹の線虫を入れて観察群と一緒に打ち上げます。この培養バッグは3バックを1組としてホルダ(図5)に入れ、観察に使う線虫観察用供試体の端の部分(図5)にセットします。

凍結群については実験スタート時、つまり打ち上げてすぐ凍らせてスタート時の比較群を取ります。これは打ち上げの振動や保管状態により線虫の状態が変化していないか調べるためのものです。実験開始後14、16、24日後の時点で凍らせます(図6)。凍らせるバッグは全部で24バッグ、つまり8ホルダ分です。合計74,000匹もの線虫を使って宇宙実験を行います。線虫入りのバッグはMELFIという冷凍冷蔵庫に保管され、打上げから約1か月後に同じドラゴン補給船6号機で凍結状態のまま地球に帰還させ、日本に運んで解析に供します。その後も画像の取得は線虫が死ぬまで、最大約70日続けます。

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図4 実験の流れ JAXA提供

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図5 線虫観察用供試体 JAXA提供

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図6 実験スケジュール 健康長寿医療センター研究所・JAXA提供

ココがポイント!


本研究により、線虫の老化速度と寿命が宇宙環境でどのような影響を受けるかが明らかとなります。宇宙環境、特に微小重力に応答して発動する生物種を越えた老化制御経路を見出すことを目指しています。本田先生の研究チームは2004年の宇宙実験の結果から老化制御遺伝子を同定し、その遺伝子機能を発揮させて線虫の寿命を延長させる化合物を見出しました。現在地上研究室においてマウスでの検証を進めています。さらに今回の宇宙実験で老化制御遺伝子経路が明らかになれば、得られた情報から高齢期における健康増進のためのサプリメントなどのヒントが得られる可能性があります。

人類の宇宙進出により宇宙環境、特に微小重力の環境に長期間滞在することが現実になる時代がいずれやって来るでしょう。地上でも、特に高齢期では運動不足や運動器の障害、寝たきりなど荷重刺激が低下する機会が多くなっています。骨・筋肉などの運動器への直接の影響が注目されます。老化過程の進行がどのような影響を受けるのか、老化制御シグナルがどのように変化するか、それが身体にどのような影響を及ぼすか、本実験の結果を応用し、宇宙や地上における老化の過程で生じる様々な病気の予防に貢献することを目指しています。

Written by Sachiko Yano


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