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スペースシャトル エンデバー号は、初めてアメリカが製造したISSの構成要素である、ユニティ(Unity)という名のノードと2個の与圧結合アダプター(PMA)を載せて、1998年12月に打上げられます。エンデバーは、ISSの最初の構成要素であるザーリャ(Zarya)コントロール・モジュールの打上げに続き、1998年12月3日に打上げが予定されています。 ザーリャは、ロシアのプロトンロケットでカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられます。このモジュールは、アメリカの予算でボーイング社とロシア宇宙機関(RSA)により組み立てられました。ザーリャは、初期段階のISSに推進系や電力を供給する自律したアクティブな宇宙機です。軌道投入後は、エンデバーとユニティの到着を軌道上で待ちます。ユニティは、将来アメリカのISSモジュールや構成機器の主接続部となるモジュールです。 宇宙飛行士ロバート・D・(ボブ)カバナ(米国海兵隊大佐)は、STS-88を指揮します。カバナ船長と共に、エンデバーのフライトデッキには、パイロットのフレデリック(リック)スターコフ(米国海兵隊少佐)が搭乗します。ミッション・スペシャリスト(MS)のナンシー・カリー(陸軍少佐) 、ジェリー・ロス(空軍大佐)、ジム・ニューマン博士およびロシア人宇宙飛行士のセルゲイ・クリカレフがクルーとして加わります。また、ロスとニューマンは、EVAクルーに任命されており、ミッション期間中3回の船外活動(宇宙遊泳)を行います。STS-88は、カバナ船長にとっては4回目の宇宙飛行となります。彼はSTS-88のクルーに選抜されるまで、1994年からJSC(ジョンソン宇宙センター)の宇宙飛行士室(アストロノーツ・オフィス)で室長を努めました。カリーMSとニューマンMSは共に今回で3回目の宇宙飛行となります。ロスMSは今回で6回目の宇宙飛行となります。スターコフMSは初めての宇宙飛行となります。クリカレフMSは3回宇宙飛行を経験しており、宇宙ステーションミールへ2回、スペースシャルへ1回搭乗しています。クリカレフMSは、1999年中旬に新しいISSに滞在する最初の宇宙飛行士の1人でもあります。
ザーリャとシャトルのランデブは、実際にはエンデバーの正確な時間での打上げから始まります。打上げから48時間の間、ランデブのための定期的な一連のマヌーバー(軌道制御)が、カバナ船長とパイロットのスターコフによって行われ、ザーリャにゆっくりと接近すします。ザーリャとの最後のランデブの1日前には、カリーMSがシャトルのロボットアームを使って水平状態で固定されていたユニティ(ノード1)をペイロードベイから持ち上げ、垂直状態に立てた状態でペイロードベイ前方のオービタ・ドッキング・システムの上にしっかりと結合させます。 ザーリャへの最終アプローチ(接近)は、カバナ船長の手動操縦によって、ザーリャの下方から上へ向かって接近する形(R-Barまたはradius vectorと呼ぶ方法)で行われます。このアプローチは、シャトルがロシアの宇宙ステーションミールとドッキングしたやり方とほぼ同じです。シャトルがザーリャに接近すると、カリーMSはロボットアームをザーリャを把持できるように、ペイロードベイの上方の位置に移動させます。カリーMSがザーリャをロボットアームで把持し、ユニティに取り付けられた与圧結合アダプター(PMA: Pressurized Mating Adapter)にドッキングできるように、カバナ船長は、エンデバーのペイロードベイの端からザーリャまでが10ft(約3m)の距離になるまで近づけ、ランデブを完了させます。 シャトルの船室の窓からのザーリャの眺めは、ユニティによって遮られるため、最後の数分のランデブと把持は、クルーがオービタ・スペース・ビジョン・システム(OSVS:STS-88に向けて試験が行われてきた光学的な位置決め用の装置)のサポートを受けて、テレビモニタのみを見ながら行うことになります。この位置決めシステムは、オービタのCCTVカメラを使用し、遮られて直視できないザーリャ・モジュールに取り付けられた特別なマーキングを見ながら精密なマヌーバー(スラスタを使用した位置の制御)を助けるものです。 ユニティは、円錐形のPMAを両端に結合した状態で打上げられます。1つは、ユニティとザーリャ間の恒久的な結合に使われ、もう片方は、以後の、シャトルとのドッキング用のポートとして使われます。ユニティには、1999年の初めに訪れる予定(訳注:その後多少延期されています。)の最初のISSクルーが使う機器を入れた1個の保管ラックが搭載されて打上げられます。ユニティには、このほかに、後のISSの組立て時に運ばれる予定の3個のラックを設置するスペースがあります。
ザーリャとユニティが結合すると、ジェリー・ロスMSとジム・ニューマンMSが、ユニティおよびPMAとザーリャの間の電力およびデータ通信用ケーブルを接続するため、3回の船外活動(EVA)を行います。6時間の船外活動は、ザーリャとランデブ、結合した日の翌日から始まり、1日おきに実施されます。
Robert D.(Bob)Cabana,(ロバート・D・(ボブ)カバナ) 48才。米国海兵隊大佐。STS-88のコマンダーを担当。1985年に宇宙飛行士として選抜されました。ミネソタ州ミネアポリス生まれで、今回で4度目の宇宙飛行となります。カバナは、太陽の極域に関する研究を行うユリシーズ探査機を放出したSTS-41でパイロットとして1990年10月に初飛行しました。彼は1992年12月のSTS-53(軍事ミッション)でパイロットとして飛行しました。また、1994年7月のSTS-65では、15カ国が参加し、80の実験を行ったスペースラブ飛行の船長を務めました。彼は、宇宙滞在353時間以上を記録しています。また、33種類の航空機で5,000時間以上の飛行時間を記録しています。 Frederic(Rick)Sturckow(フレデリック・(リック)スターコフ) 35才。米国海兵隊少佐。パイロットを担当。1994年に宇宙飛行士として選抜されました。スターコフはカリフォルニア州のレイクサイドを故郷として考えており、今回が初の宇宙飛行となります。スターコフは、1987年に海兵隊に入隊、飛行技術を磨き、1990年には海軍戦闘兵器(トップガン)学校に入学しました。彼は砂漠の嵐作戦と称した戦闘ミッション(湾岸戦争)で、41回の出撃飛行を行いました。後に彼は空軍テストパイロット学校に入学し、メリーランド州パツーゼントにある海軍航空戦闘センターでテストパイロットを歴任しました。彼は、40種類以上の航空機で、2,500時間以上の飛行時間を記録しています。 Nancy J.Currie(ナンシー・J・カリー)博士 38才。米国陸軍少佐。STS-88のミッションスペシャリストを担当。 1990年に宇宙飛行士として選抜されました。カリーは、オハイオ州トロイを故郷と考えており、今回が3度目の宇宙飛行となります。カリーは1993年6月、ユーレカ衛星を回収するミッションSTS-57で初飛行しました。続いて、彼女は1995年7月のNASAの通信衛星を放出するミッション、STS-70でも飛行しました。カリーは454時間以上の宇宙滞在を記録しています。 Jerry L. Ross(ジェリー・L・ロス) 49才。米国空軍大佐。ミッションスペシャリストであり、EVAクルーメンバーを担当予定。 1980年に宇宙飛行士として選抜されました。ロスは、インディアナ州クラウンポイント生まれで、今回が6度目の宇宙飛行となります。ロスは、ミッションスペシャリストとして、1985年12月のSTS61-B、1988年12月のSTS-27、1991年4月のSTS-37、1993年4月のSTS-55および1995年11月のSTS-74で飛行しています。彼は、850時間以上の宇宙滞在を記録しています。この間、4回、合計で23時間の船外活動を経験しています。 James H.(Jim)Newman(ジェームス・H・(ジム)ニューマン)博士 40才。ミッションスペシャリストおよびEVAクルーメンバーを担当予定。1990年に宇宙飛行士として選抜される。ニューマンは、カリフォルニア州サンディエゴを故郷としており、今回が3度目の宇宙飛行となります。ニューマンは、1993年9月のSTS-51及び1995年9月のSTS-69でミッション・スペシャリストを歴任。彼は、496時間以上の宇宙滞在を記録しています。この間、1回、7時間の船外活動を経験しています。 Sergei Krikalev(セルゲイ・クリカレフ) 40才。ロシア人宇宙飛行士。ミッション・スペシャリストを担当予定。 1985年にロシアの宇宙飛行士(コスモノート)として選抜される。クリカレフは、ロシアのレニングラード(現在のセント・ペテルスブルグ)で生まれ、今回で5度目の宇宙飛行となる。彼は1998年及び1991年にミールへの2回の飛行経験を有しています。彼は、シャトルがミールと初めてランデブした1994年のSTS-60で、初めてシャトルに搭乗するコスモノートとしてシャトルで飛行しています。彼はまた、2000年1月に国際宇宙ステーションに滞在する初めてのクルーの一人でもあります。彼は、7回の船外活動を含めて、1年3カ月以上の宇宙滞在を記録しています。 出典:NASA Fact Sheet Library Shuttle Mission STS-88: Launching a New Era in Earth Orbit (1998年 8月)より ただし、現在は登録されていません。
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