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「きぼう」日本実験棟船内実験室にて、座禅を組む野口宇宙飛行士
宇宙瞑想
(財)国際高等研究所フェロー
京都大学名誉教授
木下冨雄
今回の短い映像からだけでも、地球上では簡単にできる固定した姿勢の維持が、宇宙空間ではすこぶる困難なこと、空間的なゆらぎのパターンは同一個人でも一回ごとに千差万別であること、その意味で決められた「かたち」から瞑想や修行に入っていくのは甚だ難しいことが分かります。
野口さんはこの「宇宙瞑想」の心理学的意義について、かねてから私の元へ問い合わせをされていました。国際高等研究所とJAXAとは2002年から共同研究を実施しており、2009年に「宇宙問題への人文・社会科学的アプローチ」という報告書を刊行していたからです。その中で私たちも、宇宙における座禅や瞑想を含めた身体的な定位が、どのような意味を持つかについて論じていました。
そこで野口さんと私の間で議論をして、ISS滞在時の自由時間に小さな試みを行うことにしたのです。その場合、心理的な効果だけでなく、生理的効果を調べるために超小型の脳波計を持ち込むことも考えたのですが果たせませんでした。結果として効果の測定は、外部観察による身体的定位の状態と、野口さん自身による内観報告に頼らざるを得ないことになりました。
この試みの目的は、大きく分けて二つあります。一つは、地球と環境条件を著しく異にする宇宙空間において、瞑想による精神的な安定性(こころの平安)は保たれやすくなるのか。たとえば地球上に比べて価値相対的な宇宙空間で、無心なこころの状態は得やすくなるのかという問題です。
今一つは、地球上における身体の定位は、主として三半規管をセンサーとする重力情報と、目をセンサーとする視覚情報という基準系によって支えられているけれども、微小重力下で目を閉じるという宇宙瞑想事態では、基準系はいずれも失われることになるから身体的な定位は困難になり、それをもとにする意味世界の構築も揺らいでくるのではないかという問題です。(なお正確に言えば座禅は半眼状態で行われますが、ここでは完全に目をつぶる状態を想定しています)
この問に関して全て回答が与えられた状態ではないのですが、これまでに分かったのは次のことです。
まず第一の問題ですが、野口さんによれば、宇宙空間でこころの平安が、地球上より保たれ易いということはないそうです。目を閉じて瞑想すると、これまでに行ったミッションの数々が浮かんできて反省したり、これからの予定の段取りに考えが行ってしまったりというように、雑念が消えないと言われます。人間の「業」は、宇宙でもなかなか治らないようですね。
第二の問題ですが、今回の映像でもお分かりのように、①静止した姿勢を保つことは非常に困難であり、紐か何かで固定しない限り身体は浮遊してしまうこと、②ところが物理的に浮遊していても、心理的には動いているとは感じないこと(半眼であれば動きは分かる)、③したがって物理的には姿勢が180度回転していても、その状態を認識できないこと(これを座禅や瞑想と言えるのかどうか分かりませんが)、④浮遊している体が壁にぶつかるとそこに底辺があると感じること、⑤ぶつかった点からの距離感覚で姿勢がイメージされること、⑥その感覚はぶつかった体の部位に関係ないこと、⑦どうやら重力系と視覚系の情報が剥奪された環境の元では、触覚情報を重要な基準系として用いているらしいこと(地球上でも触覚情報を用いているはずですが、他の基準系が圧倒的に優位なので意識に上らないのかも知れません)、などということが分かってきました。
これらのデータをもとに、宇宙環境下にある人間の基準系の変化や葛藤、それに基づく意味世界構築のメカニズムについて、野口さんと一緒にさまざまな仮説を考えて検討しています。いずれまたご報告する機会があるでしょう。
1分01秒
2010/04/19
JAXA
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