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国際宇宙ステーション建設に備えた船外活動(EVA)の履歴

STS-37、1991年4月5〜11日:ジェリー・ロス、ジェイ・アプト
 ジェリー・ロス、ジェイ・アプト宇宙飛行士は、計画外のEVAを行い、5億ドルのガンマ線観測衛星(GRO)の展開できなくなっていたアンテナを展開しました。その翌日、彼らはアトランティス号の荷物室でCETA(乗員・機器移動補助)カートの試験を行いました。CETAカートは、国際宇宙ステーション(ISS)のトラスに沿って、最大1,200ポンド(約544kg)までのものを輸送できる人力のカートです。2つのCETAカートが2000年までにISSに加えられる予定です。更に、ロスとアプト宇宙飛行士は、ISSの構造物上で作業中の宇宙飛行士が加える可能性のある力を測定しました。宇宙飛行士は船外活動ユニット(EMU)すなわち、宇宙服を装着すると約375ポンド(約170kg)の重さにもなるので、このテストは重要です。リンダ・ゴドウィン宇宙飛行士は、アトランティス号のシャトル遠隔操作システム(SRMS)ロボットアームを使って装備品と宇宙飛行士を移動させました。EVAの目的を予定どおりに達成すると共に、さらに計画外のEVAも実施でき、コンティンジェンシー(偶発事態の発生)時にもNASAには、EVAの目的を達成するだけの余裕のある計画が出来ることを示しました。


STS-49、1992年5月7〜16日:トム・エイカーズ、ピエール・ソーイト、リック・ヒーブ、
キャッシー・ソーントン

 EVAによる2回のインテルサットW型衛星回収の試みに失敗した後、トム・エイカーズ、ピエール・ソーイト、リック・ヒーブ宇宙飛行士は、初めて3人でEVAを行い、32,000ポンド(約14.5t)もある衛星を手で捕えることに成功しました。また、エイカーズとキャッシー・ソーントン宇宙飛行士は、トラス構造物の組立の練習と、ISSの交換用部品に相当する大きな質量の物体を移動する練習を行いました。当初、STS-49では3回のEVAを行う計画であり、このうちの1回のみがインテルサットW型衛星の救出作業に使われる予定でした。その点でSTS-49はNASAのEVA経験をさらに拡張する必要性を指し示しました。また、EVA作業をあらかじめ余裕をもって計画すると同時に、予期しない事態に直面した時の複雑なEVAにも素早く再計画する能力を持っていることを示しました。この飛行では、ブルース・メルニック宇宙飛行士がエンデバー号のロボットアームを操作しました。


STS-54、1993年1月13〜19日:グレグ・ハーバー、マリオ・ランコ
 グレグ・ハーバーとマリオ・ランコ宇宙飛行士は、エンデバー号の荷物室内で、4時間28分のEVAの間に宇宙飛行士の行動データを集めました。彼らはお互いの体を運搬することにより、大きな物体を移動するテストを行った他、衛星の固定用テーブルをマニュアルで調整することにより、大型の工具の使用を実証し、またエアロック内で宇宙服を固定するブラケットにお互いの体を固定することにより、重い物体の位置を微調整する能力をテストしました。フライト後には、水面下での訓練が実際のEVA経験にどのくらい近いのかを明らかにするため、彼らはヒューストンのNASAジョンソン宇宙センターにある無重量環境訓練施設(WTEF)の水の入ったタンクの中で自分たちの作業を繰り返して行い、その違いを評価しました。


STS-57、1993年6月21日〜7月1日:G.デビィド・ロウ、ピーター・ワイゾフ
 デビィド・ロウとピーター・ワイゾフ宇宙飛行士は、エンデバー号の荷物室で5時間50分のEVAを行い、工具類、安全テザー(命綱)、大きな質量物の取り扱いを試験しました。彼らのEVAは、もともと4時間20分を予定していましたが、ユーレカ衛星のアンテナの展開修理を行うため延長されました。再度、NASAの問題発生時に対するEVAによる迅速な対応と、あらかじめ余裕を持った計画を作成することの利点を実証しました。この飛行では、ナンシー・シャーロック宇宙飛行士がシャトルのロボットアームを操作しました。


STS-51、1993年9月12〜22日:ジェームス・ニューマン、カール・ウォルツ
 ディスカバリー号の荷物室でジェームス・ニューマンとカール・ウォルツ宇宙飛行士は、ISSの組立とハッブル宇宙望遠鏡の修理の両方に利用される、工具類や固定足場のテストを行いました。また、宇宙服のグローブの温度特性をテストしました。前のEVA時に、寒い軌道上の夜の期間に、宇宙飛行士は、指の部分の感覚麻痺と寒さによるふるえを報告しました。宇宙飛行士は、ISS上では、日陰となる期間にも作業を行うので、NASAはEVA中の宇宙飛行士の温度低下を防ぐため、シャトルの宇宙服の改修作業を始めました。


STS-61、1993年12月2〜13日:ストーリ・マスグレーブ、ジェフリー・ホフマン、
 トム・エイカーズ、キャッシー・ソーントン
 最初のハッブル宇宙望遠鏡サービスミッションは、NASAがISS組立の最初の段階で計画していたミッション規模における、シャトル上での複雑なEVAミッションを遂行する能力を持つことを実証しました。ベテラン宇宙飛行士のストーリ・マスグレーブおよびジェフリー・ホフマン、キャッシー・ソーントン、トム・エイカーズ宇宙飛行士は、5回の複雑なEVAを障害なく実施し、EVA経験の有益性とNASAのEVA訓練、計画立案、成熟した運用を示しました。彼らは問題に直面しましたが、STS-61のEVAクルーは合計4回のEVAを遂行する十分な余裕を持っていました。この飛行では、クラウデ・ニコリエール宇宙飛行士がシャトルアームを操作しました。


STS-64、1994年9月9〜29日:マーク・リー、カール・ミード
 1984年の有人機動ユニット(MMU)の飛行以来となるテザー無しでのEVAが行われました。マーク・リーとカール・ミード宇宙飛行士は、EVA時のレスキュー用の簡単な装置(SAFER)のテストを行いました。この装備はいわゆる「ライフジャケット」であり、宇宙飛行士がISSから誤って離れてしまった時に自ら帰還できるようにするために使う救命装置です。この飛行では、スーザン・ヘルムズ宇宙飛行士がディスカバリー号のロボットアームを操作しました。


STS-63、1995年2月3〜11日:マイケル・フォール、バーナード・ハリス
 STS-63は最初のEVA開発飛行試験(EDFT)を行ったミッションであり、優先度の高い作業であるISSのEVA試験を行いました。ディスカバリー号がロシアのミール宇宙ステーションと近接運用を完了した後に、マイケル・フォールとバーナード・ハリス宇宙飛行士は6時間51分のEVAを行い、大きな質量の物体の取り扱いと宇宙服の保温性に関する改修部分をテストしました。非常な寒さを生じたため、ミッション・コントロール・センターは、早めにEVAを終了することにしました。この飛行では、ロシアのウラジミール・チトフ宇宙飛行士がシャトルのロボットアームを操作しました。


STS-69、1995年9月7〜18日:ジェームス・ボス、マイケル・ガーンハート
 この2回目のEVA開発飛行試験(EDFT)では、ジェームズ・ニューマン宇宙飛行士がエンデバー号のロボットアームを操作しました。ジェームス・ボスとマイケル・ガーンハート宇宙飛行士は、指先のヒータを含む宇宙服の改修部分をテストし、快適な暖かさであることを確認しました。さらに、彼らはISSで使用する予定の止め具類、電動工具類、ISSに設置される隕石および軌道上のデブリから保護するシールドと断熱ブランケットを交換する工具をテストした他、夜の期間や日陰で作業を行う際に使用する新しい宇宙服用ヘルメットライトをテストしました。


STS-72、1996年1月11〜20日:リロイ・チヤオ、ダニエル・バリー、ウィンストン・スコット
 3回目のEVA開発飛行試験(EDFT)では、エンデバー号で2回のEVAが行われました。リロイ・チヤオとダニエル・バリー宇宙飛行士が最初のEVAを行い、2回目はチヤオとウィンストン・スコットがEVAを行いました。この飛行では、日本の若田光一宇宙飛行士がロボットアーム(RMS)を操作しました。彼らは、宇宙服内の冷却水を止めるバイパス・システムを含む宇宙服の保温性の改修に対する試験を行いました。また、宇宙飛行士の使う工具の保持とEVAクルーを作業場所に固定する際の補助具としてのポータブル作業プラットフォーム(PWP)、ISSの与圧モジュールとトラス間で流体パイプや電気配線を接続するための硬いアンビリカル・ライン、隣接するトラス・セグメントを模擬したパネル間の流体と電気供給ラインのコネクターの接続作業、ISSでのコンティンジェンシー時のEVAの工具、ORU(軌道上交換ユニット)交換工具、電力ラインの交換用工具一式、身体を保持するためのテザー(BRT:Body Restraint Tether)をテストしました。これは、環状部を回転することにより、BRTを堅くし、宇宙飛行士や工具を確実に固定するものです。


STS-76、1996年3月22〜31日:リンダ・ゴドウィン、リチャ−ド・クリフォード
 4回目のEVA開発飛行試験(EDFT)は、1974年のスカイラブ・プログラム以来、宇宙ステーションの外部で行う初めてのアメリカの船外活動(EVA)となりました。リンダ・ゴドウィンとリチャ−ド・クリフォード宇宙飛行士はミールのドッキング・モジュールの外側に実験装置を取り付けました。さらに、アメリカの宇宙飛行士が着るEMUとロシアの宇宙飛行士が着るOrlan-M宇宙服を着た宇宙飛行士のどちらでも使える、新しい互換性のあるEVA機器の利用が可能であることをテストしました。例えば、互換性のある足場の固定具はアメリカの円形の手すりでも、ロシアの四角い手すりでもどちらでも固定できます。ISSには互換性のあるハードウェアが充分に搭載される予定であり、ロシアのOrlan-M宇宙服を装着した宇宙飛行士が、アメリカのセグメントでEVAを行うアメリカの宇宙飛行士の手助けを行うことも可能です。


STS-82、1997年2月11〜21日:マーク・リー、スティーブ・スミス、グレッグ・ハーバウ、ジョー・タナー
 2回目のハッブル宇宙望遠鏡のサービスミッションは、NASAにさらなる複雑なEVA経験をもたらしました。マーク・リー、スティーブ・スミス、グレッグ・ハーバウ、ジョー・タナー宇宙飛行士は、4回のEVAを行い、ISSで計画されている大型のORUの大きさに類似した新しいコンポーネントの取り付けを行いました。ハッブルの断熱材の剥がれを修理した計画外の5回目のEVAは、NASAのEVAへの適応性と余裕を持たせた作業を再び証明しました。宇宙飛行士達は、ISSで使用する機能強化を図った宇宙服をテストしました。この飛行では、スティーブ・ホーレイ宇宙飛行士がロボットアームを操作しました。


STS-86、1997年9月25〜10月5日:スコット・パラジンスキー、ウラジミール・チトフ
 5回目のEVA開発飛行試験(EDFT)で、スコット・パラジンスキーとロシアのウラジミール・チトフ宇宙飛行士は、フライトモデルのSAFERのテスト、アメリカおよびロシアの宇宙服のどちらでも使用できる足場の固定装置(フット・レストレイント)、およびミール宇宙ステーションの外側で、その他の機器類をテストしました。チトフ宇宙飛行士はアメリカの宇宙服を着てEVAを行った最初のアメリカ国外の宇宙飛行士となりました。
ロシアは、1993年にISSのパートナーとして参加しました。ロシアは、EVAでの組立や保守等様々な経験を含めて、約20年間連続的に宇宙ステーションを運用した経験があり、これらの経験を新しいISSの開発に取り入れることができました。これまで、ロシアの宇宙飛行士達は、ミール宇宙ステーションの外で80回以上のEVAを実行してきました。


STS-87、1997年10月29日〜11月7日:土井隆雄、ウィンストン・スコット
 6回目のEVA開発飛行試験で、日本の土井隆雄とウィンストン・スコット宇宙飛行士は、コロンビア号の外に出て、ISSの外部に設置される大小のORU(軌道上交換ユニット)を、手で扱う技術と装備品をテストを行いました。彼らは、小型のクレーンであるORU移動装置(OTD)を使用し、土井宇宙飛行士とスコット宇宙飛行士がISSで計画されている最も困難な作業である、ORUの運搬作業(かさばるうえ、扱い難いバッテリの移動)を模擬的に行いました。さらに、彼らは移動、運搬機器の位置決めのテストおよび、ソケットやハンドル、宇宙飛行士や装備品を保持するための、新しいリジッド(硬い)・テザーのテストを行いました。


最終更新日:1999年 7月12日

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