"ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの"
という有名な書き出しで始まる詩を書いたのは、詩人 室生犀星ですが、犀星にとって故郷がどのようなものであったかという解釈についてはともかく、今の私にとって、日本という国そのものが、ここアメリカのヒューストンという異国の地で、折に触れて思い出す故郷というものであることは疑いの余地がありません。
「出身はどちらですか?」
私が昔から、人に訊ねられて答えに困っていた質問です。
自分の出身はどこなのだろう・・・。文字通り、この身が生まれ出たところという意味では、それは東京ということになるでしょう。ウィキペディアによると、私の出身は東京都らしいのですが、これはそこから来ているのでしょうか。
では、公式のJAXAホームページには何て書いてあるのだろうと思って見てみると、経歴のところに「東京都に生まれる」と書いてあります。さすがJAXA、しっかりと、事実だけが書かれています。
ふむふむ、では油井さんは??
「長野県に生まれる」
もちろんそうですね。油井さんと言えば、長野県の川上村です。ではでは、金井さんは??
「東京都生まれ。その後、千葉で育つ」
あ!うまいこと書いてある・・・。
そうなんです、この生まれたところと、そのあと育ったところが違うという人にとっては、出身地というのは(時として)非常にややこしくて難しい問題なのです。
東京都で生まれた私は、その後父の仕事の都合で各地を転々として育ちました。
兵庫、大阪、再び兵庫、岡山、再び東京、横浜。中でも小学校3~5年という多感な少年時代を過ごした岡山や、中高一貫の私立校で6年間を過ごした横浜は、とても思い出深い土地です。
それら色々な場所で過ごしてきた時間、そのどれ一つとして欠けても、今の自分という人間はないでしょう。そういうことを考えていくと、どれか一つの土地を自分の出身地としてあげることは、とても私には出来そうにありません。
「東京都に生まれる。その後、各地で育つ」
というのが、一番しっくりくるような気がします。
そんな出身地不定の私ですが、ひとたび日本という国を飛び出すと、「日本人」という一つの揺るぎないアイデンティティーで、周囲から認識されるようになります。また、周りにはアメリカ人、ロシア人、カナダ人をはじめとする様々な国の人たちがいます。
宇宙飛行士という仕事の面白さは、一つにはそういった色々な国籍の宇宙飛行士と一緒に仕事が出来ることにあると、私は思っています。
そしてアメリカでの訓練や生活を通して、日本やアメリカについて新しい発見をすることも多々あります。
先日、こんな発見がありました。
私はスポーツ競技は全般的に苦手なのですが、観るほうは大好きで、特にオリンピックや高校野球を観るのは三度の飯より好きと言っても過言ではありません。
そんな私にとって、今年の夏は、そのオリンピックと高校野球が同時にやって来るという、まさに四年に一度のお祭りの年だったのです。
しかし悲しいかな、アメリカでは高校野球を観ることは出来ませんし、オリンピックで日本の選手の応援をすることもままなりません。ちょうど訓練もかなり忙しい時期で、専ら結果だけをインターネットで確認する日々が続いていました。
ある日、NASAの宇宙飛行士用のジムで自転車を漕ぎながら、テレビでスポーツニュースを観ていました。もちろん、話題の中心はロンドンオリンピックです。
一通り、結果のレポートが終わって、画面に日本でもお馴染みの「国別メダル獲得数ランキング」が映し出されます。はっきりとは覚えていませんが、確か当時、日本の金メダル獲得数は二つで、ランキングでは十何位といった順位だった頃だと思います。
ランキングの上から順番に、その当時一位だった中国、二位アメリカと表示されます。
そして三位・・・、なんと日本が表示されました。
これは一体どういうことだろうと、首をかしげるのも束の間、その理由がわかりました。ランキングが、金メダルの獲得数ではなく、各メダルの獲得数を合わせた合計で表示されていたのです。その基準では、その瞬間、日本は紛れもなく第三位でした。
意外な気持ちで、しばらく画面を見つめたまま、自転車を漕ぎ続けました。アメリカに来て三年、この国が実力主義だということは何度もその実例を目にしてきました。そのアメリカで、金メダルも銀メダルも銅メダルも、同じ一つのメダルとしてカウントされていることが、私の意表をついたのです。そこには、メダルの色は関係なく、頑張った選手たちに敬意を表する姿勢が感じられました。そして、ランキング=金メダルの獲得数という意識で凝り固まっていた自分。
アメリカという国の、いつもと違った側面を見たような気がしました。
随分と話が長くなってしまいました。しかも、訓練とは全然関係のない話題です。それでも、このような話を書こうと思ったのは、今回のロンドンオリンピックで、日本選手団の活躍から私自身大きな勇気をもらったからです。スポーツとは土俵が違いますが、私も日本人宇宙飛行士の一員として頑張っていきたいと思っています。
余談ですが、冒頭の詩。私はてっきり望郷の想いを歌った詩なのだと長年思っていたのですが、実はそう単純な話ではないということを今回のコラムを書くにあたって知りました。冒頭の部分のあと、故郷は帰るべきところではない、といった趣旨の内容が続きます。室生犀星にとって、故郷がどのようなものであったのか、興味が尽きません。