先日、9月にカナダで訓練を受けてロボットアーム・オペレーターの資格を取得しました。その後11月より、ヒューストンのジョンソン宇宙センターで、引き続きロボットアームの訓練を受けています。
カナダで学んできたのは、宇宙ステーションに備え付けの「カナダアーム2」というロボットアームの基本。どういう仕組みで動いているのか、故障が起こったらどう対処するのか、操作方法はどのようなものか、まったく知識のないゼロの状態から教わってきました。
一方、ヒューストンに戻ってからの訓練は、習ってきた基礎知識をもとに、①ロボットアームの先端に宇宙服を着た宇宙飛行士を乗せて船外活動のサポート、②「こうのとり」をはじめとする宇宙船を、ロボットアームを使って捕まえる(われわれは「キャプチャー」と呼んでいます)訓練を重ねます。
ヒューストンでの訓練を始めてびっくりしたのは、訓練のやり方が、カナダとは全く違うことでした。
カナダの訓練は、座学から始まり、基本知識を勉強。その後、教官と一緒にシミュレーターで実際にアームを操作。慣れてきたところで、自分ひとりで操作を行うための練習を繰り返し、最後に試験。まるで自動車教習所のようなスタイルです。
今どきの若者を「マニュアル世代」などと悪く言うこともありますが、わたしは典型的なマニュアル人間なので、こと細かく「こうする」「ああする」と教えてもらうと、夢中になって勉強が進みます。
習ったことを、状況に応じてきちんと実施すれば、テストでも良い評価をもらうことができるので、頑張れば頑張っただけの成果が得られるように感じられるのです。
一方、ヒューストンに戻ってからの訓練は、雰囲気が全然違いました。
宇宙ステーションで使われているような手順書を渡され、「じゃ、見ててあげるから、ひとりでやってみて。基本はカナダでやってるんだからできるでしょ」と、教官の一言。
ロボットアームを動かすための手順の基本は習ってきましたが、急に、実際の宇宙ステーションのオペレーションに近い形でシナリオを流すのは初めてです。
全長17メートルの巨大なロボットアームを宇宙ステーションにぶつけでもしたら大惨事ですから、おっかなびっくり、何度も安全を確認しながらアームを動かしていきます。
すると教官から「時間は1時間以内ね。そんなゆっくりだと最後まで終わらないよ。もっと急いで、急いで」とプレッシャーがかかります。
安全を考えてなるべく宇宙ステーションに近づかないように操作をしていると、船外活動中の宇宙飛行士(教官が演技をするだけですが)が、「もうちょっとアームを近づけてくれないと手が届かないよ」などと、わざと難しいところに誘導されます。
わたしだけに限らないと思うのですが、人間誰だって失敗するのは嫌ですから、なるべくそれを避けるように行動しがちです。
しかし、ヒューストンでの訓練では、あえて細かく説明をしなかったり、プレッシャーをかけたり、ときにはわざと悪い状況に誘導したりして、故意に生徒に失敗をさせ、その失敗から物事を学ぶというプロセスを大事にしているように思えます。
毎回の訓練セッションのあと(たいてい何かしらのミスをして)に、何が悪かったか、どんなことに気をつければ良いかをみっちりとデブリーフィングされるので、「自分は本当にダメだなぁ」と落ち込むこともしばしばです。
注意を受けた失敗を繰り返さないように、自分なりのスタイルを確立していかないといけないのですが、「普通はこうやる」という基本の形がないので、そこが難しくもあり、また面白いところでもあります。「カナダ式」に比べて、個人の資質や創造性に左右されるような気がして、ちょっと難しく感じています。
ところで、このように現実には起こりえないような悪い状況を設定して訓練を行うというのは、宇宙飛行士に限らず、たぶん管制官の訓練でも同様だと思います。
シミュレーションの中では、次から次に機器の故障や不具合が発生し、その中で宇宙ステーションや宇宙船の安全を守り、ミッションを成功させないといけません。優秀な管制官チームの場合は、数々の不具合を見事にリカバーして任務を達成することもありますが、うまく対処ができずに終わってコントロールセンター全体が重く暗い雰囲気に包まれるのをクルー役(インストラクターと一緒になって、管制官に訓練を行う側)として何度か見たことがあります。
その根底には、訓練において失敗することは悪いことではなく、その中で、次に失敗しないためにはどうすれば良いのかという学びの機会を得ることが重要であるという、強い考え方があるように思われます。
自分はこれまでに、こういった教育を受けたことがなかったので、失敗のたびにストレスを感じる反面、なかなか面白い教育方法だと興味も惹かれます。
アメリカ特有のスタイルなのか、あるいは宇宙開発の業界のスタイルなのか・・・?
個人的な経験になってしまいますが、上記の「カナダ式」でも「ヒューストン式」でもない教育を、以前に受けたことがあります。
もうずいぶん前になってしまいましたが、外科医として勉強を始めた頃は「人のやり方を見て真似る」というところから始まりました。手術に入っても最初は手出しは許されず、指導医や先輩医師のやり方を見るだけ。手術に入るたびにテキストで手順を勉強し、イメージトレーニングを重ね、1~2年すると、簡単な作業だけ、手伝いをさせてもらえるようになります。何度も目で見て、勉強して、イメージトレーニングを続けてきているので、初めてのことであっても、何とかこなすことができます。うまくできるようになると、「じゃあ、次はこれをやってみろ」と、また別の部分を任されるようになります。こうやって、少しずつ「できること」が増えていき、最後には複雑な大手術も、最初から最後までひとりで行うことができるようになるのです。
これは職人の徒弟制度にも似た、日本的な(?)アプローチであるような気がします。「型より入って、型より出る」といいますが、先生や先輩の真似をしながら学び、だんだん自分のスタイルを確立するというは自分の性に合っていたような気もします。
結局のところ、教育方法・訓練スタイルに「これが正しい」という正解はありません。生徒が必要な技能を身につければ良いだけのことです。
新人宇宙飛行士としての自分の仕事は、訓練を受けて技能・知識を身につけることなのですが、こうやっていろいろな方法論に出会うのが面白くも思えます。