みなさま、こんにちは。米国ヒューストンでの宇宙飛行士修行は続いています。認定前の候補者訓練ほど毎日ぎっしりの授業・・・ということはなくなりましたが、語学の勉強をしたり、NBLという巨大プールで宇宙服を着て船外活動の訓練をしたり、毎週のようにT-38というジェット練習機に乗ったりという日々です。
米国で訓練を受けていて感じるのは、予算のかけ方の凄さです。語学に関しては、宇宙センター内に語学ラボを作って何人もの講師を常駐させる。巨大プールには実物大の宇宙ステーションの模型を沈めて、水中用に改造した実物宇宙服を着て訓練を行う。さらには軍隊で練習用に使われているジェット機を何機も運用して、宇宙飛行士の訓練をしています。
さて、前回のコラムでは、日本での訓練のことを報告しようとして脱線してしまいましたが、今回は、日本の訓練のことを書いてみたいと思います。
国際宇宙ステーション計画の一翼を担う責任として、日本も宇宙ステーションの訓練の一部(主に日本実験棟「きぼう」と補給宇宙船「こうのとり」について)を世界各国の宇宙飛行士に実施しなければならないということになっています。
NASAのようにたくさんの予算を使って、立派な施設やさまざまな機材を自由に使えるわけではありません。また、日本人宇宙飛行士を鍛えるだけで良いわけではなく、世界各国の宇宙飛行士を、風土も習慣も言語も特殊な日本に連れてきて訓練するのですから、なるべく訓練に集中してもらえるような環境作りにも、気を使わねばなりません。
わたし自身は、つくばに出向いて行って訓練を受ける側ですが、訓練を提供する側からしたら、いろいろな苦労や大変さ、あるいは工夫があるのではないかと思います。
訓練側の苦労や工夫を、宇宙飛行士の立場の自分がすべて知ることはできませんが、今回の訓練での印象的な体験を、一例として紹介させていただきます。
宇宙飛行士の訓練では、宇宙ステーションで使われているものとまったく同じ機械や装置を使って練習を行うことができれば、それに勝ることはありません。しかし、宇宙で実際に使われる装置や機械は、それ自体が特注品であったり、宇宙ステーションで使用するため、さまざまな安全審査基準をクリアしなければいけなかったりするため、訓練用にもう一台作ろうとすると、とても高価なものになってしまいます。
そこで日本の訓練で使用した究極のモックアップ(模型)がこちら(写真1)。なんとインストラクターお手製の、1/2紙モデルです!折り紙文化の日本っぽいと、ちょっと感銘を受けました。当然、模擬度においては、相当低いものですが、この装置の訓練は、写真内に写っている二つの灰色のボックスの交換というもの。三次元的な角度がついていて、単にまっすぐ挿入してもうまくいかないというのが、訓練のキモどころです。
写真1;白い紙で作られた装置の中に、わずかに見えている灰色のボックスが交換する部品です。装置の上にのっている新しいボックスと交換しないといけないのですが、微妙な角度がついていて、練習しないとうまく挿入することができません。
NASAだったら、実物大のリアリティーのあるモックアップを作って訓練するのでしょうが、重い金属製のボックスを、微妙に角度をつけて挿入するのは重力環境では難しいですし、下手をしたらケガをしたり、せっかくのモックアップを壊してしまうこともあるかもしれません。
その点、紙製でしかもサイズが小さいこのモックアップなら、手軽に何度も角度を変えて練習できますし、ケガをしたり、物を壊す心配もありません。実物との違いについては、宇宙ステーションに打ち上げた実物の写真を見せてもらったり、筑波宇宙センターに大切に保管されている予備品を見学させてもらったりして、イメージを補いました。
もちろん、これはあくまで例であって、筑波宇宙センターにあるモックアップがすべて紙製、手作りの訓練機材というわけでは、もちろんありません。「きぼう」の精巧な実物大モックアップは、世界でも筑波宇宙センターにしかありませんし、「きぼう」に備え付けのロボットアームやエアロックなど、お金がかかっても模擬度の高い機材が訓練にためには最適であるというものに関しては、非常に精密なシュミレータを使った訓練を行っていますので、どうぞ心配しないでください。
しかし、この紙製のモックアップの一例は、アメリカと違って規模の小さい日本なりのうまい訓練のやり方を、よく表しているように思います。
言葉の違いも、日本にとっては不利な点です。
訓練で使われる言語は英語です(被訓練者が日本人だけなら日本語で実施することもありますが、そういった機会は稀です)。インストラクターとして認定を受けた先生方は、もちろん英語は堪能なのですが、そうはいっても母国語ではありませんので、微妙なニュアンスの違いや、単語の使い方に国ごとの差異があったりします。またロシアやヨーロッパの宇宙飛行士は英語を母国語としませんので、どうやったら訓練内容をきちんと理解してもらえるかということに関しては、わたしが想像する以上の難しさがあると思います。
筑波宇宙センターでの訓練では、言葉による説明だけではなく、写真やビデオを使って説明したり、(模擬度は低くても)手作りのモックアップを準備して実際に宇宙ステーションの中で作業をするイメージづけをしたり(写真2)、あるいはコンピュータのバーチャルリアリティを使ってあたかも「きぼう」や「こうのとり」の内部にいるかのような映像を使ったりと、言葉のハンディを、“より直感的に理解しやすい資料の提示”という方法で、逆に日本だけの強みとしてしまっているのにも感心してしまいます。
写真2;「こうのとり」内部に非常用の消火器を設置するためのスペースを模擬しています。取り出すときに引っかかりやすく、消火器を少し斜めにして出し入れする必要があるのですが、英語で事細かに説明するより、実際と同じサイズのもので体験してみれば一瞬で納得できます。
余談になりますが、訓練で用いられるビデオ教材は、宇宙ステーションに実際の作業をする際の参考資料として使用されることがあります。日本が準備するビデオ資料の質の高さは、ミッション参加中のクルーから非常に高い評価を受けています。これもまた、日本ならではの強みの一つとして、国際ステーション計画参画の各国の中でも、独自性を放っています。
ところで、訓練を受けて何かを学ぶというのは、何も宇宙飛行士に限ったものだけではありません。医者の免許をとっても、先輩についてさまざまな手術のやり方を学ばないと一人前の外科医にはなりません。JAXAに入社したエンジニアも、先輩に手取り足取り仕事のやり方を教えてもらいながら、少しずつ実際のプロジェクトで活躍できる専門知識や技術を学びます。
自動車教習所で自動車の免許をとるために勉強するのもそうですし、学校で勉強をするのだって、“教わる”・“学ぶ”という点では同じことでしょう。
“学ぶ側”の立場は誰でもすぐに理解できるでしょうが、“教える側”の苦労やノウハウというのは、少し注目されにくいところがあるかもしれません。
国際宇宙ステーションに宇宙飛行士が滞在するようになって10年以上が経過し、人間が宇宙に生活するということは、今では当たり前のこととなりました。しかし、水も空気もない宇宙空間での人間の活動というのは、昔と変わらず、常に危険との隣り合わせの世界であることに変わりはありません。
一つのミスが、ミッションの失敗や、ときには人命や宇宙船を大きな危機にさらす可能性につながりますから、訓練内容をいかに正確に理解させ、知識や技術を習得させるかというのは非常に大きな命題です。
その中で培われた“教える”ノウハウというは、何も宇宙開発の分野でなく、他の分野にも応用のきく、一つのスピンオフ(技術の他分野への転用)であると考えます。
どうやったら短期間に労力を少なく技術を習得できるのか、学んだ技術をうまく活用できるのか、実際の場でミスをしないようにするか・・・などなど。「ちょっとしたコツ」と言ってしまえば取るに足らないものに思えてしまうかもしれませんが、たとえば医療の世界で、あるいは技術開発の現場で、はたまた学校教育の現場や、ビジネスの世界で、いかようにも応用のきく、とても有用なテクニックがあるように思われます。
こういった目に見えない情報や知識は、何も教育や訓練に関するものだけではないはずです。他の分野での知見やノウハウを宇宙の分野に生かし、宇宙業界の経験や知識を他の業界に活用してもらう。そういう交流の場が今後どんどん広がっていけば良いと思います。また、そうなるようにわれわれが頑張っていかないといけません。
日本での「きぼう」の訓練を体験すると、そういった小さなひとつひとつの工夫こそが、世界をリードする日本の独自性につながってくるのだと、しみじみと感じさせられます。
※写真の出典はJAXA