JAXA宇宙飛行士活動レポート 2012年7月
最終更新日:2012年8月28日
JAXA宇宙飛行士の2012年7月の活動状況についてご紹介します。
星出宇宙飛行士、ISS長期滞在を開始
ソユーズTMA-05M宇宙船(31S)宇宙船の打上げ(出典:S.P.Korolev RSC Energia)
ソユーズ宇宙船(31S)の確認を終えた星出宇宙飛行士ら31Sクルー(出典:JAXA/NASA/Victor Zelentsov)
日本時間7月15日午前11時40分、星出宇宙飛行士ら第32次/第33次長期滞在クルー3名を乗せたソユーズTMA-05M宇宙船(31S)が、バイコヌール宇宙基地から打ち上げられました。
打上げに先立ち、現地時間の7月2日、星出宇宙飛行士らは、最終試験を受けたロシアのガガーリン宇宙飛行士訓練センター(Gagarin Cosmonaut Training Center: GCTC)を後にし、ソユーズ宇宙船の射場があるカザフスタン共和国のバイコヌール宇宙基地へと移動しました。
バイコヌール宇宙基地では、ソユーズTMA-05M宇宙船の機体内部の確認や、打上げ時に着用するソコル宇宙服の気密点検に加えて、打上げからISSへドッキングするまでの手順確認など、打上げに向けた最終準備を行った一方で、打上げ前の伝統的なセレモニーにも参加しました。
打上げに際しては、若田、古川、大西宇宙飛行士が現地入りし、星出宇宙飛行士の家族や招待客の支援のほか、報道関係者に向けた技術解説などの広報対応を行いました。打上げの模様は、日本の各地でパブリックビューイングを行いましたが、米国でも、JAXA主催でヒューストン、ワシントン、ニューヨークの3会場をつないで、この模様を中継しました。この米国でのパブリックビューイングにおいて、ヒューストンのNASAジョンソン宇宙センター(JSC)の会場から、油井宇宙飛行士がオープニングに登場し、イベントの開会挨拶を述べました。
ISSへ接近する「こうのとり」3号機と星出宇宙飛行士(出典:JAXA/NASA)
バイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、2日後の7月17日に無事にISSに到着し、ISS長期滞在を開始した星出宇宙飛行士は、その後、他のクルーと協力しながら、7月21日に種子島宇宙センターから打ち上げられた宇宙ステーション補給機「こうのとり」3号機(HTV3)の到着に伴なう運用など、着実にミッションを遂行しています。
- 星出彰彦宇宙飛行士
金井宇宙飛行士、ESAにて「コロンバス」に関わる訓練を実施
FSLの操作方法について訓練を受ける金井宇宙飛行士(出典:JAXA/ESA-Evi Tabea Blink. )
金井宇宙飛行士は、7月2日から11日にかけて、ドイツのケルンにある、欧州宇宙機関(ESA)の欧州宇宙飛行士センター(European Astronaut Centre: EAC)で、ESAが開発した国際宇宙ステーション(ISS)のモジュールである「コロンバス」(欧州実験棟)に関わる訓練を行いました。
金井宇宙飛行士は、コロンバスの環境制御システムや電力分配供給システム、熱制御システムなどについて、システムを利用することができるレベル(ユーザレベル)の知識を身に付けるための訓練を行い、一通りの訓練を受けた後、ユーザレベルの評価試験を受け、ユーザとして認定されました。更に一歩踏み込み、システムに異常が発生した際の対応や、システムの冗長構成についても学び、システムを利用するユーザレベルの立場の技能に加えて、システムの保全や安全処置などの技能を有するオペレータとしての認定も受けました。
システムの知識の他に、コロンバスに搭載されている実験装置に関わる訓練も行いました。生物学実験ラック(Biolab)、流体科学実験ラック(Fluid Science Laboratory: FSL)、欧州生理学実験ラック(European Physiology Modules: EPM)、欧州引出しラック(European Drawer Rack: EDR)の各ラックのシステム概要や固有の運用方法、搭載機器の概要などについて、訓練を通して学びました。
「こうのとり」3号機打上げ時の野口宇宙飛行士の活動
野口宇宙飛行士は、7月21日の宇宙ステーション補給機「こうのとり」3号機(HTV3)の打上げに際し、種子島宇宙センターで、招待者の対応などを行いました。
テレビ東京の「宇宙ニュース」との共催企画である「こうのとり」3号機の打上げtweetup(ツイートアップ)においては、打上げ見学に招待した一般の方々に対して、打上げ前日、射点へと移動するH-IIBロケットを目の前に、「こうのとり」やロケットの機体移動に関する技術解説を行いました。
また、打上げには「こうのとり」の名付け親である一般の方も招待しており、野口宇宙飛行士が記念品を贈呈しました。
野口宇宙飛行士、JAXAシンポジウム2012に登壇
トークセッションの様子(出典:JAXA)
野口宇宙飛行士は、7月4日にメルパルクホール東京(東京都港区)で開催されたJAXAシンポジウム2012「宙から視る、宙をつかう」にて、「宙(そら)を匠(つく)るひと~星出飛行士、宇宙へ」と題したトークセッションに登壇しました。
トークセッションは、ナビゲーターの山田玲奈氏(フリーアナウンサー・気象予報士)のもとで進められ、星出宇宙飛行士の国際宇宙ステーション(ISS)長期滞在ミッションを含む、JAXAが行っている有人宇宙活動について、野口宇宙飛行士が紹介しました。
冒頭で、ISS長期滞在を間近に控えた星出宇宙飛行士について紹介し、星出宇宙飛行士滞在中の見どころとなる小型衛星放出ミッションについて、映像などを交えながら解説しました。野口宇宙飛行士は、「ISSを運用すること自体が星出宇宙飛行士のミッション」と付け加え、脚光を浴びる任務以外にも、長期滞在中の通常の任務をしっかりと行うことの大切さについて語りました。ナビゲーターの山田氏からISSでの生活について尋ねられると、自身のISS滞在の経験を振り返り、規則正しい生活を送ることが大半のISSにおいて、宇宙船の到着などに合わせて生活リズムが変わると、それだけで非常に疲れたというエピソードや、休日には地球の写真を撮って過ごしたことなどを紹介しました。
トークセッション中は、ときおり会場からの質問に答えるコーナーも挟まれ、「きぼう」日本実験棟で行われている実験についてや、宇宙飛行士を目指す上での心構えなど、多岐にわたる質問に野口宇宙飛行士が答えました。野口宇宙飛行士は、自身が考える宇宙飛行士の資質のうちのひとつとして異文化交流をあげ、「学校のクラスの中でも文化が色々あると思う。友達と仲良く、そして同じ目標に向かって協力することが大切」と、宇宙飛行士を目指す子供たちにメッセージを送りました。
トークセッションでは、毛利宇宙飛行士が初飛行してから今年で20周年を迎えることにも触れ、「努力は続けているが、表に出る成果は非連続的」と、これまでの日本の有人宇宙開発の歩みを思い返し、「将来は、JAXAの宇宙飛行士がこれまでに得た宇宙船の操縦技術と、世界的に見ても高度な日本のロボット技術とを組み合わせて、人と機械がお互いに補完しあう強靭性を持った日本独自の有人宇宙船を作りたい」と、自身の思いを語りました。
油井・大西・金井宇宙飛行士による活動報告「新米宇宙飛行士最前線!」
宇宙飛行士になってから、1年が過ぎました。色々な経験をさせて頂き、本当に感謝しております。
Twitterでも書かせて頂きましたが、この1年は、非常に充実した一年でした。私にとって、人生を変える出来事が3つもあったのですから…
まず、1つ目の出来事は、母の死です…いつも元気で、私を応援してくれていましたが、過労が原因で急死しました。私に、厳しいことを言ってくれる女性は、殆どいないのですが、母はその数少ない女性の一人でした。私の人生にとって、計り知れない損失ですが、それを乗り越えて頑張っていきたいと思います。
ロシアの街並みは、非常に美しかったです。でも、それ以上にロシア人の心の美しさに感動しました。
2つ目の出来事は、ロシアへの留学です。正直、前職の影響もあり、私はロシアが好きではありませんでした。その行動が理解できない、不可解な国でもありました。そのような中で、多くのロシア人と接する機会があり、自分のこれまでの考えの誤りに気づきました。相手のことをよく知らずに、一方的に相手を嫌っていた自分を恥じました。以降、ロシアを理解するために、語学、文化、歴史を猛勉強中です。国と国との関係では、相互理解と相互援助によるWin-Winの関係が重要です。私が接したロシアの方々の多くは、親日的でした。また、平和的でもありました。何が相互理解を妨げているのか、それを見出し解決するのも、私の将来の夢の一つとなりました。
クルーの集合写真。NEEMO16で学んだ経験は、今後の宇宙飛行士人生で、大きな意味を持つと思います。
3つめの出来事は、NEEMO16への参加です。こちらも、これまで、無知が故に有人小惑星探査について否定的な考え方をしていた自分を反省しております。やはり、何かを判断する時は、片寄った情報ではなく、できる限りバランスの取れた情報を元に判断する必要がある事を痛感しました。今では、月・小惑星探査の両方を知りながら、公平な意見が言えるようになりました。また、今回のミッションでは、多忙なスケジュール、複雑なミッション、言語の壁を乗り越えて、クルーとしての責任を果たす事ができた事で、自分が大きく成長したのを感じます。ここを乗り越えられた理由の一つは、私がテストパイロットとしてのバックグラウンドを持っていたというのも影響していると思います。テストパイロットは、新しい物やコンセプトを評価するのが仕事です。今回のミッションは、まさにそのようなミッションだったので、水を得た海亀でした。(笑)
これら、3つの事件は、私の人生の考え方や今後の行動に大きな影響を与え、これからも与え続けて行くことでしょう。
あっ!1つ番外編的な変化があります。米国生活で、徐々に脂肪が増えていた体を最近元に戻すことが出来ました。
1年前、飛行士としての認定を受けた3人の新米!
実は、この時少しづつお腹に贅肉が…
昔は、スリムだったのにね~!(笑)
頑張って鍛え直し!
スリムという感じでは無いが、歳の割には頑張っている?
6ヶ月かけて徐々に体を絞り、大学生時代とほぼ同じ体型に戻しています(学生時代より、筋肉量は増えています)。これまで、このような事が出来なかったのは、自分が心の中で、それは不可能だと決めつけていたからです。何かを成し遂げる時の一番大きな壁は、自分の心の中にある事を学んだのも大きな収穫でした。
いずれにしても、宇宙飛行士1年目は、充実した1年間でした。次の1年も今年同様、1/1年に感じられるように、新しい挑戦を続けていきたいと思います。若い方は42歳のおじさんに負けない様に、私と同世代の方は私と一緒に頑張って、日本の明るい未来を築きましょう!
※写真の出典:NEEMO16の写真の出典はJAXA/NASA。それ以外の写真の出典はJAXA。
"ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの"
という有名な書き出しで始まる詩を書いたのは、詩人 室生犀星ですが、犀星にとって故郷がどのようなものであったかという解釈についてはともかく、今の私にとって、日本という国そのものが、ここアメリカのヒューストンという異国の地で、折に触れて思い出す故郷というものであることは疑いの余地がありません。
「出身はどちらですか?」
私が昔から、人に訊ねられて答えに困っていた質問です。
自分の出身はどこなのだろう・・・。文字通り、この身が生まれ出たところという意味では、それは東京ということになるでしょう。ウィキペディアによると、私の出身は東京都らしいのですが、これはそこから来ているのでしょうか。
では、公式のJAXAホームページには何て書いてあるのだろうと思って見てみると、経歴のところに「東京都に生まれる」と書いてあります。さすがJAXA、しっかりと、事実だけが書かれています。
ふむふむ、では油井さんは??
「長野県に生まれる」
もちろんそうですね。油井さんと言えば、長野県の川上村です。ではでは、金井さんは??
「東京都生まれ。その後、千葉で育つ」
あ!うまいこと書いてある・・・。
そうなんです、この生まれたところと、そのあと育ったところが違うという人にとっては、出身地というのは(時として)非常にややこしくて難しい問題なのです。
東京都で生まれた私は、その後父の仕事の都合で各地を転々として育ちました。
兵庫、大阪、再び兵庫、岡山、再び東京、横浜。中でも小学校3~5年という多感な少年時代を過ごした岡山や、中高一貫の私立校で6年間を過ごした横浜は、とても思い出深い土地です。
それら色々な場所で過ごしてきた時間、そのどれ一つとして欠けても、今の自分という人間はないでしょう。そういうことを考えていくと、どれか一つの土地を自分の出身地としてあげることは、とても私には出来そうにありません。
「東京都に生まれる。その後、各地で育つ」
というのが、一番しっくりくるような気がします。
そんな出身地不定の私ですが、ひとたび日本という国を飛び出すと、「日本人」という一つの揺るぎないアイデンティティーで、周囲から認識されるようになります。また、周りにはアメリカ人、ロシア人、カナダ人をはじめとする様々な国の人たちがいます。
宇宙飛行士という仕事の面白さは、一つにはそういった色々な国籍の宇宙飛行士と一緒に仕事が出来ることにあると、私は思っています。
そしてアメリカでの訓練や生活を通して、日本やアメリカについて新しい発見をすることも多々あります。
先日、こんな発見がありました。
私はスポーツ競技は全般的に苦手なのですが、観るほうは大好きで、特にオリンピックや高校野球を観るのは三度の飯より好きと言っても過言ではありません。
そんな私にとって、今年の夏は、そのオリンピックと高校野球が同時にやって来るという、まさに四年に一度のお祭りの年だったのです。
しかし悲しいかな、アメリカでは高校野球を観ることは出来ませんし、オリンピックで日本の選手の応援をすることもままなりません。ちょうど訓練もかなり忙しい時期で、専ら結果だけをインターネットで確認する日々が続いていました。
ある日、NASAの宇宙飛行士用のジムで自転車を漕ぎながら、テレビでスポーツニュースを観ていました。もちろん、話題の中心はロンドンオリンピックです。
一通り、結果のレポートが終わって、画面に日本でもお馴染みの「国別メダル獲得数ランキング」が映し出されます。はっきりとは覚えていませんが、確か当時、日本の金メダル獲得数は二つで、ランキングでは十何位といった順位だった頃だと思います。
ランキングの上から順番に、その当時一位だった中国、二位アメリカと表示されます。
そして三位・・・、なんと日本が表示されました。
これは一体どういうことだろうと、首をかしげるのも束の間、その理由がわかりました。ランキングが、金メダルの獲得数ではなく、各メダルの獲得数を合わせた合計で表示されていたのです。その基準では、その瞬間、日本は紛れもなく第三位でした。
意外な気持ちで、しばらく画面を見つめたまま、自転車を漕ぎ続けました。アメリカに来て三年、この国が実力主義だということは何度もその実例を目にしてきました。そのアメリカで、金メダルも銀メダルも銅メダルも、同じ一つのメダルとしてカウントされていることが、私の意表をついたのです。そこには、メダルの色は関係なく、頑張った選手たちに敬意を表する姿勢が感じられました。そして、ランキング=金メダルの獲得数という意識で凝り固まっていた自分。
アメリカという国の、いつもと違った側面を見たような気がしました。
随分と話が長くなってしまいました。しかも、訓練とは全然関係のない話題です。それでも、このような話を書こうと思ったのは、今回のロンドンオリンピックで、日本選手団の活躍から私自身大きな勇気をもらったからです。スポーツとは土俵が違いますが、私も日本人宇宙飛行士の一員として頑張っていきたいと思っています。
余談ですが、冒頭の詩。私はてっきり望郷の想いを歌った詩なのだと長年思っていたのですが、実はそう単純な話ではないということを今回のコラムを書くにあたって知りました。冒頭の部分のあと、故郷は帰るべきところではない、といった趣旨の内容が続きます。室生犀星にとって、故郷がどのようなものであったのか、興味が尽きません。
みなさん、こんにちは!旅行鞄を片手に、旅から旅の訓練生活を続ける、新米宇宙飛行士の金井宣茂(かないのりしげ)です。
7月の訓練は、欧州宇宙機関(ESA)で行われました。常夏のヒューストンから大西洋をひとっ飛びに、まだ夏が始まる前のさわやかさが残るドイツのケルンに入りました。大聖堂で有名な街の中心街から20分ほど南に車を走らせた郊外、ドイツ航空宇宙センターの敷地内に、ヨーロッパ宇宙飛行士訓練センターがあります。その名のごとく、欧州宇宙機関に所属するヨーロッパ各国の宇宙飛行士が訓練の拠点として活動しており、アメリカ・ロシア・日本など、世界各国から宇宙飛行士を受け入れて訓練を行う施設です。
日本が、国際宇宙ステーションの一部として、日本実験棟「きぼう」を運用しているのと同じように、ヨーロッパも独自の実験棟「コロンバス」を24時間体制で運用しています。今月は、このコロンバス実験棟で、宇宙飛行士として仕事をするための訓練を行いました。
電力や空気などの資源(リソース)はアメリカが管理をする部分から供給を受けなくてはなりませんが、「コロンバス」内部で独自に、電力を配分したり、空気を循環させたり、人間が生活するのに最適の室温や湿度を保ったり、宇宙での科学実験を行ったり、またそれらの活動をコントロールするコンピュータを備えていたりと、「コロンバス」そのものが小さな宇宙ステーションとしての機能を備えています。宇宙飛行士は、さまざまなシステムに不具合があった場合に備えて、何が問題なのかを判断し、ミュンヘンにある管制センターからの指示に従って、必要な処置を講じる必要があります。
来月分のネタを少しバラしてしまいますが、8月に予定されている日本実験棟「きぼう」に関する訓練では、日本独自のロボットアームや、物品を宇宙に出し入れするためのエアロックなど、少し(かなり?)複雑な独自システムを勉強しないといけないので、比較的シンプルな「コロンバス」のシステムで、しっかりと宇宙ステーションの基礎を勉強する機会を持てたのは、とても有意義でした。
さて、ヨーロッパ訓練センターの教官・スタッフは、欧州機関の各国から優秀なエンジニアが集まっています。日本から見れば一つのヨーロッパのように考えがちですが、各国それぞれが、独自の歴史、言語、文化を持っており、お互いにそれらを尊重し許容しつつ、一つの目的に向かって仕事をする現場の雰囲気は、“国際”宇宙ステーションを運用するのに、実に似つかわしいというのが正直な実感でした。
思い返してみると、JAXAで仕事をするようになって、自分の考えている「世界」というものが、日に日に大きく広がってきているように感じます。
宇宙飛行士になる前は、生活や仕事をする場として現実感を感じられる限界は、日本国内がせいぜい。外国といえば、テレビやハリウッド映画を通してアメリカが思い浮かぶくらいが精いっぱいでした。
宇宙飛行士候補者に選ばれて、ヒューストンで訓練を始めると、アメリカの宇宙飛行士と一緒に訓練を受ける機会に恵まれました。つたない英語で、毎日の業務を行っていると、なんだか世界を股にかけて仕事をしている気分になったものです。でも、今にして思えば、アメリカ=世界というような単純なイメージだったように感じます。
その後、宇宙飛行士の認定を受け、ロシア、ヨーロッパと世界のさまざまな場所を訪れるようになり、自分が思っていた以上に、世の中には、多様なモノの考え方・感じ方があるのだと肌で感じ、身を持って体験させていただいています。
JAXAは宇宙開発に関して、アジアの国々とさまざまな国際協力を行っていますが、アメリカとも、ロシアとも、ヨーロッパとも違う、アジアならではの宇宙開発に対する取り組みや、アイデアというものが、きっとあると考えています。
また、今はアメリカ・ロシア・日本・ヨーロッパ・カナダで協力して運用している宇宙ステーションですが、将来は、南米・中東・アフリカなどの国々も参加した、まったく新しい形の有人宇宙開発が始まるかもしれません。
アメリカとロシアという二つの大国の競争から始まった宇宙開発ですが、一つの国が巨大な予算をかけて最先端の技術を競い合う時代は過ぎ、各国がそれぞれの得意分野で貢献しながら、“人類”としての一つの大きな目標に向かって協力する体制が進んでいます。
政治や経済の利害関係もあり、世界の国々が協力して活動を行うというのは、ときに困難な場合もありますが、宇宙開発は、自分の主張することは主張し、相手のために譲るところは譲るという、「理想的な国際協力関係」を成功させている一つの例あるように思えます。
個人的な意見になってしまいますが、この成功の理由として、昔から「和をもって貴し」とする日本が、その中で大きな役割を果たしていることが挙げられるのではないかと考えています。
“日本人”宇宙飛行士として、宇宙ステーションでしっかりとした仕事をする上で、技術や知識を身につけるのはもちろんですが、各国の宇宙開発の現場に直接足を踏み入れ、さまざまな経験を積むことも、また大切ではないかと強く感じています。
※写真の出典は、JAXA/ESA-Evi Tabea Blink
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