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JAXA宇宙飛行士活動レポート

JAXA宇宙飛行士活動レポートに連載している油井・大西・金井宇宙飛行士が綴るコラム記事“新米宇宙飛行士最前線!”のバックナンバーです。
最終更新日:2014年3月14日

皆さんこんにちは。

いよいよ今回でテストパイロットになるまでの経緯の話は終了です。好評であれば、宇宙飛行士候補者になる迄、なんて、どんどん続けてしまっても良いかもしれませんね。

さて、日本に帰国し、T-2練習機での戦闘機操縦課程を終え、無事にF-15のパイロットを目指すことになった私の次の試練は…

そうです!耐G訓練です。通常、戦闘機に搭乗する際には、Gスーツと言って、空気圧で下半身を加圧できる特殊なズボン?を履いています(これを履くと、耐G性が約2g程向上すると言われています)。ただ、耐G訓練中は、Gスーツを付けずに訓練を行います。

これまでに何度も失敗している耐G訓練…今回の訓練では、Gスーツ無しに、8gに耐えなければなりません…はっきり言って不安ばかりで、カプセルの中に入った時点で、何とも言えぬ緊張感が生まれます。加速が開始され、オペレーターの声がいつもどおりに聞こえます。

オペレータ:「2g…3g…」

私:「グレー・アウト! フックッ! フックッ…」

と、ここまではいつもどおり…

オペレータ:「3g…4g…5g…」

私:「フックッ…(キツイ…でも、まだ大丈夫!)」

オペレータ:「6g…7g…」

私:「フックッ…(キツイ…しかも少し疲れてきた…)」

オペレータ:「頑張れ!…8g…」

私:「フックッ(やった!でも、ここで気を抜くと気絶する!まだまだ、耐えないと!)」

オペレータ:「OK!減速!…7g…6g…5g…4g………停止!」

私:「やった!遂に耐えたぞ!」

その後のブリーフィングでも「グレイアウトが早いということは、本来の耐G性は低いのかもしれないが、その後の持久力で乗り切ったね!素晴らしい!」とのコメントを頂きました。ようやく、普通の人にとっては、それほど大きくない壁、しかし、私にとっては巨大な壁であったGを克服したのでした。(余談になりますが、Gに弱く、3回も気絶した経験は、戦闘機操縦の上で本当に役に立ちました。気絶する迄の段階をよく知っているので、直前まで無理ができますが、その一線を超えることはありませんでした。)

さて、耐G訓練の後には、F-15での飛行訓練が始まりました。F-15の機種転換及び部隊で戦闘の基本を学ぶ際に、私の留学経験がとても役に立ちました!

対戦闘機戦闘の理論は、戦闘機の進歩に合わせて変わって行きますが、私達が米国で学んだ理論は日本でも比較的新しいものでしたので、当時NEW BFM(Basic Fighter Maneuvers)と呼ばれていました。その基本を米国で学ぶことが出来ましたので、F-15での戦闘の基礎についても、比較的取り組みやすかったのです。そして、個人的に心理学を学んでいた事も、非常に役立ちました。戦闘の理論と心理学をバランスよく学ぶ事により、自分で言うのも何ですが、バランスの良い考え方をしたパイロットになれたと思っています。

例えば、航空機やミサイルの性能は、物理の法則に従うだけですから、気合を込めたからといって、早く旋回したり、射程が伸びたりするわけではありません。他方、航空機の性能が上がってくると、私の苦手だったGも沢山、長い間かけることが出来るわけで、そういう面では、気合が十分に入っていないと、航空機の性能は100%引き出せないわけです。当時、そして今も周辺国と我が国の戦闘機の数と性能は、日本が劣勢ですから、航空機の性能を100%完全に引き出す能力がなければ、勝機はありません。自衛隊の戦闘機部隊の訓練は日々本当に厳しいものでしたが、それらも何とか乗り越え、一人前の戦闘機パイロットになることができました。

その頃、私にとって重要な、次の進路を選ぶ時期がきました。ずっと、戦闘機の部隊に居たいのは山々でしたが、他方で多くの異なる経験をしたい事もあり、正直迷いました。もう数年間戦闘機の部隊に残り、テストパイロットになる事が出来る飛行経験(時間)を得てから、テストパイロットコースを選ぶか、別の道を選ぶか…ここで、私は防衛大学校での訓練指導教官を希望し、母校に戻る事にしました。それは、教育に興味があるとともに、教育の重要性を認識していたからでもあります。

防衛大学校での教官としての勤務は、私の自衛隊勤務の中で最も楽しい勤務の一つでした。一方で、教官として若い人達の考え方に影響を与えるという行為に畏れ多いものを感じました…果たして、自分はそれに相応しい人物なのかと…この辺りの話を書き始めると、今回テストパイロットになる迄を書ききれないので、またの機会にしますね。

さて、テストパイロットになる事を目指していた私ですが、防衛大学校の指導教官になったが故の問題もありました。それは、テストパイロットになるための飛行経験が不足していた事です。教官をしていると、当然のことながら年間の飛行時間は激減します。そして、残念ながら飛行技術を伸ばす事も難しくなってしまいます。正直、自分がテストパイロットになる自信が100%あった訳ではありませんでした。しかし、多くの方々に相談に乗って頂きつつ、自衛隊で最も厳しい訓練の一つであるテストパイロットコースを希望し、岐阜基地に赴任しました。私達のコースの仲間は、戦闘機パイロット3名、輸送機パイロット2名の計5名。私は前述の通り、飛行経験はその中で最も不足していました。しかしながら、学生長として仲間をまとめる事になり、正直苦労の連続でした。鈍った飛行感覚を取り戻す間もなく、厳しい訓練が開始され、自分の事で手一杯の状態でしたが、学生長として皆をまとめる役割もありました。こんな中で、私はチームの大切さを痛切に感じました。私が大変な時、テストパイロットコースの仲間がいつも私を助けてくれましたし、家族も私が訓練に集中出来るように、様々なサポートをしてくれました。教官も厳しく指導しつつも、温かく見守って下さりました。私が厳しいテストパイロットコースを卒業できたのは、まさに多くの方々の助けがあったからなのです!

「無事に訓練を乗り越え、テストパイロットになり、これから試験飛行を行える!」と思ったら…人生そんなに甘くはありません!自衛隊には、幹部学校という学校があり、そこに指揮幕僚課程という部隊の指揮や指揮官を補佐する能力を身につける為の1年間のコースがあるのです。なんと、テストパイロットコース卒業後、直ちにそのコースに行くチャンスを頂きました。問題は、テストパイロットとしての実務を経験をせずに指揮幕僚課程に行くと、テストパイロットとして岐阜に戻って来るのが非常に難しい事でした…またまた、悩みどころですが、結局、指揮幕僚課程に進むことにしました。新しい経験をする機会を無駄にしたく無かったからです。

指揮幕僚課程は、私にとって最も多くの事を学んだ1年と言っても過言ではないでしょう。この話はまた、別の機会に!

さて、「テストパイロットコースの直後に指揮幕僚課程に行くと、テストパイロットとして岐阜に戻れない」という自衛隊内の長年のジンクス…私の熱烈希望で、叶えてもらいました(笑)!この時私は34歳。ついに、テストパイロットとしての仕事をする機会を得たのです!そして、これが私「宙亀」のテストパイロット→宇宙飛行士という「ライト・スタッフ」物語の始まりでした。ただ、他方で私が宇宙飛行士候補者に選抜された際、JAXAの方から「油井さん程様々な経験をしている人は珍しい。」と言って頂きました。もし、様々な経験から得た知識や技能が評価されたのであれば、私の「ライト・スタッフ」物語は、自衛隊に入る決心をした私が17歳の時に始まっていたのでしょうね。自分の希望どおりにならないことや、思いがけない人生の選択肢の出現など、色々な事がありましたが、自分の人生の目標と積極的な気持ちを常に忘れずに努力を重ねる事が、結果的に他の方々の支援を得ることに繋がり、良い結果を生むのかな?などと考えています。

さて皆さん!3ヶ月分の日記を使って、私がテストパイロットになるまでについてを簡単に紹介させて頂きました。如何でしたか?実は、紙面や時間の制約で、紹介出来なかった事も沢山あります。可能であれば、機会を見つけて更に様々な事を書いてみたいです。皆さんも、私に書いて欲しい事などリクエストがあれば、遠慮なくご意見を下さい!皆さんと一緒に、素晴らしい宙亀日記を作りあげていけたらと思います!

写真

岐阜基地のT-2型航空機の写真です。今は退役して使用していません。101号機は試作機で、様々な試験を行いましたから、視認性を高めるためにこの様な色をしています。航空機の先端に付いているピトー管(空気流の動圧と静圧の差で対気速度を計測するのですが、その圧力を図るための物)も、試験用の標準ピトー管です。各航空機の試作初号機は、このピトー管が付いていますよ。

※写真の出典はJAXA


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