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JAXA宇宙飛行士活動レポート

JAXA宇宙飛行士活動レポートに連載している油井・大西・金井宇宙飛行士が綴るコラム記事“新米宇宙飛行士最前線!”のバックナンバーです。
最終更新日:2014年1月24日

皆さんこんにちは!先日は、空港での待ち時間に、Twitterでお相手をして頂き、どうも有難うございました!お陰様で、私も有意義な5時間を過ごさせて頂きました!今後も機会があれば、よろしくお願い致します!

さて、12月は、少し長いお休みを頂きましたので、色々なことを考える時間がありました。そして、自分の人生を振り返る時間もありました。今日は、過去を振り返って私の経験を一つお話してみたいと思います。(あまり参考になるかわかりませんが、私が完全な人間ではないことが、よくわかって頂けると思います。)

実は、私が自衛隊でテストパイロットになるまでには、様々な紆余曲折があったのです。その全てが結果として宇宙飛行士になるためには重要だったのですから、人生というのは不思議なものです。そもそも、私が防衛大学校に進学したのは、パイロットなりたいとか、国防の重要性を認識していたからとか言ったものではありませんでした。大好きな勉強を続けるためには、それしか方法がなかったと言うのが正直な理由で、それによって天文学者や宇宙飛行士になるという夢は諦めざるを得ませんでしたから、当時の私にとっては、非常に辛い選択でした…

そんな中、防衛大学校の1年生の時に行われた航空身体検査と心理適性検査で、私は幸運にもパイロットになるための条件を満たしている事がわかりました。それを知った時、私は「可能性があるなら、パイロットもかっこいいな!」程度の気持ちで、パイロットを希望し始めました。一方で、折角パイロットになるのなら、かっこいい戦闘機に乗りたかったですし、そのために航空自衛隊に入りたいと思うようになったのです。

ただ、私が航空自衛隊に入れるかどうかの保証は全くありませんでした(実は、防衛大学校は、入校した際には自分がどの自衛隊に入るのか決定していません。2年生になる際に、適性、各自衛隊が求める人材、本人の希望等を元にして決定されるのです)。とにかく、航空自衛隊に進みたいという学生は沢山いて、希望通りになるかは運次第だったのです。その時、上級生から聞いた噂は「1年生の時の学業の成績がクラスで1番であれば、必ず希望通りになる。」というものでした。この噂が面白いのは、1番成績が良くても、1番成績が悪くても良いと言うものでした。調べてみると、噂の信憑性はかなり高そうでした(笑)。防衛大学校の1年生は、色々な意味で大変ですし、忙しいのですが、本当に一生懸命勉強しましたよ!(消灯時間が決まっているのですが、もっと勉強したい学生は、許可を得て24:00まで勉強できるのです。私はほぼ毎日この時間延長を希望していました。)

無事に航空要員(将来航空自衛隊に入る学生)になり、様々な訓練を受ける機会がありました。3年生の夏の訓練で、ある重大な事件?がおきます。航空自衛隊の仕事をよく知るという目的で、戦闘機部隊の研修があったのです。その際、小型ジェット機への体験搭乗もありました。その際、私は高Gに耐えられずに、あえなく気絶!顔面蒼白で航空機を降りました…(地上の重力の強さを1Gとして、その加速度の大きさを表します。例えば2Gといえば、重力の2倍の力がかかるので、体重も2倍ですね。高いGがかかると、体の血液も足の方に下がっていってしまい、脳に行く血液が少なくなってしまいます。特殊な呼吸方や、身体に力を入れるなどして、脳に十分な酸素を送らないと失神してしまうのです。)

そこで、すっかり自信を喪失した私は、パイロット以外の道を探し始めます。空に関する事を勉強したいと思った私は、以降航空自衛隊の気象予報官の道を目指し始めました。防衛大学校を卒業し、航空自衛隊の幹部候補生学校に進みました。ここを卒業する際に、自分の将来の職種が最終決定されるのです。ここで、最終的な航空身体検査が行われ、私はパイロットになる身体的な適性があると認められたのですが、職種の第一希望には、「パイロット」ではなく「気象」と書き、書類を提出しました。

数日後、私は教官からの呼び出しを受け、教官室にいました。

教官:「お前は、パイロットになるための適性があるのに、なぜパイロット希望じゃないんだ?」

私は、これまでの経緯を説明しました。

教官:「お前は、可能性があるのに、チャレンジする前に諦めるのか?それは間違っている!お前がパイロットに本当になれるかどうかは分からない!お前が希望する気象については、パイロットになれなかった場合に再度選択出来る可能性があるが、パイロットになる可能性は今しかないんだぞ!」

私は、その言葉を聞き、よく考え抜いた上で、書類を書き換えました。「第一希望:パイロット」私は、ついにパイロットになるための長く厳しい訓練を開始するスタートラインに立つ決心をしたのです!

さて、パイロットを目指すことが決まった私達は、パイロットの訓練コースへ!まずは飛行以外の訓練から入ります。その中の一つが、耐G訓練です。遠心力を利用して人工的に高G環境を作り出すカプセルに乗り込み訓練を受けるのですが、私はその訓練でもあえなく失神…自分がパイロットを目指すことに対する駄目出しを最初に受けたような気分でした…

そして、その訓練の直後、いよいよ飛行訓練を間近に控えた私達は、とても偉い将官の訓示を聞く機会がありました。

将官:「この中で、戦闘機パイロット以外を希望する者はいるか?」

私を含む3人ほどが手を挙げます。(Gに耐えられず気絶した経験がある私は、輸送機であれば大きなGがかからないので務まるかもしれないと考えていました。何より、人や物を運ぶのも大切な仕事です!)

将官:「今、手を挙げた者!今後一切その様な事を言う事は許さん!戦闘機パイロットを目指せ!」

私:(大変な事になってきたぞ…)

以降、書類上私の希望は常に「戦闘機パイロット」でした(苦笑)。

実際の飛行訓練が開始されました。ここでの詳しい事は、また別の機会にお話ししますね。

訓練は厳しく、実際に何人かの仲間は、パイロットになることが出来ずに別の道を再選択していきました…

次の大きな人生の選択は、パイロットになるための教育を全て日本で受けるコースと、一部を米国で受けるコースの選択でした。パイロットとしての訓練を約1年強継続したところで、どちらの道に進むかが決定されます(当時の話で、現在は少し状況が異なります)。私は国内での訓練を希望し、それを書類に書きました。理由は2つありました。

①国内での訓練では英語を勉強しなくても良いので、米国での訓練コースよりも早くパイロットになれる
②海外での訓練コースは、卒業後必ず戦闘機パイロットになるコースに進む

私は、書類上戦闘機パイロット希望でしたが、実はまだ心の中では輸送機のパイロットになりたいと思っていたのです。

そして、いよいよ国内組、米国組の決定の発表の日が来ました!

そこで、私は信じられない状況に直面します。

教官:「只今から、米国組の名前を発表する!○○、××、油井!?…」

私:(あれ??何かの間違いか?)

発表の後、早速教官のもとへ確認に向かいました。

私:「すいません…私は国内組希望の筈ですが…」

教官:「おお!すまん!あれ俺が書き換えたから!」

私:(絶句)

教官:「心配するな!お前ならできる!」

私:(一体何を根拠にそんなことを…)

それまで英語が話せなかった事や、米国で私の運命を変える「あの映画」に出会った事を考えると、この教官の決定は、私が宇宙飛行士になる上で非常に大きな意味を持つのですが、その時の私には、その事を知る由もないのでした…(続く)

私の優柔不断さが伝わりますか?後半では、私自身が変わっていきますよ!

写真

自分の進路に悩みに悩んでいた頃の私…20年以上前の話です。

※写真の出典はJAXA


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