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JAXAの宇宙飛行士

日本の有人宇宙活動の流れ

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1985年、NASAのスペースシャトルを利用した科学ミッションへの参加に向けて、毛利衛、向井千秋、土井隆雄の3名が宇宙開発事業団(NASDA)(現・宇宙航空研究開発機構:JAXA)の宇宙飛行士第1期生として選抜されました。その後、国際宇宙ステーション(ISS)および「きぼう」日本実験棟の組み立て・運用に向けて、1992年に若田光一、1996年に野口聡一、1999年に古川聡、星出彰彦、山崎直子(旧姓:角野直子)の3名が選抜されました。2009年には、国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在する日本人宇宙飛行士候補として、油井亀美也、大西卓哉、金井宣茂の3名が選抜されました

1992年9月の第1次材料実験(FMPT)ミッションで毛利衛が日本人として初めてスペースシャトルに搭乗して以来、JAXAは有人宇宙活動の経験を積み重ね、その経験をもとに、国際宇宙ステーション(ISS)計画に貢献してきました。

ISSの組み立ては1998年11月から開始され、「きぼう」日本実験棟の構成要素は2008年から2009年にかけてISSに運ばれて組み立てられました。2009年7月、日本における初の有人宇宙施設「きぼう」が完成し、その運用開始とともに「きぼう」では日本独自の科学実験や人文活動、教育活動が実施されるようになり、2009年からは日本人によるISS長期滞在ミッションもはじまりました。

日本人宇宙飛行士が初めてスペースシャトルで宇宙飛行した1992年から、本格的な「きぼう」利用時代への突入までの期間を、有人宇宙活動の技術開発の観点から3つのフェーズに整理します。

第1フェーズ:宇宙実験を通して宇宙環境を理解する…

最初のフェーズでは、ISSの運用による本格的な有人宇宙活動時代の到来に備え、NASDA(現JAXA)は共同研究や実験装置の相互利用などの国際協力により、有人での実験が可能なNASAのスペースシャトルミッションに参加してきました。1992年の第1次材料実験(FMPT)(STS-47)ミッションおよび1994年の第2次国際微小重力実験室(IML-2)(STS-65)ミッションを通し、まず宇宙に人を送るに必要な基本的知識の修得や、宇宙の微小重力を利用した宇宙実験に必要な技術の研究開発を行うことができました。

  • 材料実験を中心とした日本初の有人宇宙実験:

    1992年9月12日から20日までの8日間、材料科学者のバックグラウンドをもつ毛利衛がスペースシャトル「エンデバー号」にペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者:PS)として搭乗し、日本の研究者から提案された34テーマの材料・ライフサイエンス系の宇宙実験を実施しました。NASDA(現JAXA)はFMPTミッションで日本としては初めての宇宙実験ミッションを実施し、宇宙実験ミッションに向けた宇宙飛行士の選抜と訓練、宇宙実験に必要な装置の開発、宇宙飛行士の健康管理、ミッション中の地上支援などの経験と技術を修得しました。

  • 国際協力によるライフサイエンスを中心とした有人宇宙実験:

    1994年7月9日〜23日までの15日間、外科医のバックグラウンドをもつ向井千秋がPSとしてコロンビア号に搭乗し、IML-2ミッションに参加しました。IML-2は、日本、アメリカ、ヨーロッパ、カナダ等13カ国の7つの宇宙機関が実験装置や実験テーマを提供した国際協力ミッションでした。NASDA(現JAXA)からは6種類の実験装置を提供し、日本人研究者が提案した主としてライフサイエンス関係の12テーマの宇宙実験が行われ、国際協力による有人宇宙実験ミッションの経験を蓄積することができました。

第2フェーズ:ロボティクスや船外活動を通して技術を蓄積する…

国際宇宙ステーション(ISS)および「きぼう」日本実験棟の組み立て・運用に備えるため、日本人宇宙飛行士にミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者:MS)の道が開かれました。PSはスペースシャトルに搭載された特殊ペイロードを使った宇宙実験の実施を担当するのに対し、MSはペイロード操作に加え、ロボットアーム操作などのスペースシャトルのシステム運用や、船外活動を担当する、いわゆるオールラウンドな宇宙飛行士です。

毛利、向井によるミッションを通して宇宙実験の経験とデータを蓄積したNASDA(現JAXA)は、次のステップとして、STS-72およびSTS-87ミッションへの日本人MSの参加を通して、有人システムを操作したり、船外活動をするために必要な、すなわち全般的な有人宇宙活動に必要な基本的技術の蓄積に努めました。

1991年には、国際宇宙ステーション(ISS)および「きぼう」日本実験棟の組み立てミッションへの日本人宇宙飛行士の参加に向けて第2回目の日本人宇宙飛行士の募集が行われ、1992年に若田光一が宇宙飛行士候補として選抜されました。若田はNASAが実施する第14期宇宙飛行士訓練コースに参加し、1993年にNASAよりMSとして認定されました。1995年に行われた第3回目の日本人宇宙飛行士の募集では、1996年に野口聡一が宇宙飛行士候補者として選抜されました。野口は1996年8月からNASAが実施する第16期宇宙飛行士養成コースに参加し、1998年にMSとして認定されました。また、PSとして認定を受けていた土井孝雄もNASAのMS訓練コースに参加し、1996年にMSに認定されました。

  • ロボティクスを活用したシステム運用技術の修得:

    日本人初のMSとして、若田光一が1996年1月11〜20日スペースシャトルミッションSTS-72に搭乗し、ロボットアームを操作して日本の宇宙実験フリーフライヤSFUを回収しました。NASDA(現JAXA)は宇宙飛行士の選抜を始めとし、ランデブ運用やロボットアーム操作などのスペースシャトルの高度な運用・操作技術のための訓練の経験を蓄積しました。

  • 船外活動技術の蓄積機会:

    1997年11月19日〜12月5日に実施されたSTS-87ミッションでは、土井隆雄は日本人宇宙飛行士として初めての船外活動(Extravehicular Activity: EVA)を実施し、ISSの組み立てや保守に用いられるEVA機器とその作業手順の検証に加え、予定外の衛星のマニュアル捕捉を行いました。このEVA技術は、若田が実施したロボットアーム操作とともに、ISSの組み立てとその後の長期滞在による宇宙実験やシステム運用のために必要不可欠な要素です。その成功と貴重な経験を蓄積できたことは、ISS計画の実現に向けた大きな前進でした。

第3フェーズ:国際宇宙ステーション計画への貢献…

ISSの組み立ては1998年11月から始まり、各構成部が40数回のフライトに分けて、スペースシャトル及びロシアのロケットにより打ち上げられてきました。

JAXAは第1フェーズで得た「宇宙実験のための有人技術」と、第2フェーズで得た「全般的な有人宇宙活動技術」をベースに、ISSの組み立てと運用における日本人宇宙飛行士の参加を通して、ISS計画に貢献してきました。

ISSの本格運用時代に備えて、1998年2月から日本人宇宙飛行士の募集・選抜が開始され、1999年2月に古川聡、星出彰彦、山崎直子(旧姓:角野直子)の3名の新たな宇宙飛行士候補者が誕生しました。古川、星出両名は、2001年1月に宇宙飛行士として認定され、山崎候補者は2001年9月に宇宙飛行士として認定されました。

日本初の有人宇宙施設である「きぼう」日本実験棟の組み立てミッションは2008年3月から開始され、「きぼう」は2009年7月に完成を迎えました。2009年からは、ISS長期滞在クルーは「宇宙の多目的研究所」としてのISSの本格運用に向けて、3名から6名に増員されました。

  • ISS組立てミッション/ISS長期滞在に向けた技術の蓄積:

    1998年10月に実施されたSTS-95ミッションに向井千秋宇宙飛行士がPSとして搭乗し、将来の長期宇宙滞在に必要な宇宙医学分野の実験を行いました。

    2000年10月には、ISSの7回目の組み立てミッションであるSTS-92に若田光一が搭乗し、ロボットアームを操作してISSの組み立て作業を行いました。

  • 飛行再開ミッションおよび飛行安全性・信頼性向上への貢献:

    2003年2月、スペースシャトル「コロンビア号」事故により、スペースシャトルは飛行を中断し、ISSの建設も一時中断されました。この間、ISS長期滞在クルーの交代や物資の補給はロシアの宇宙船のみで行われました。この事故を受けてNASAは事故原因の調査を徹底的に行い、安全で、確実性・信頼性の確保された飛行を目指して、さまざまな取り組みを行いました。

    コロンビア号事故後、飛行再開第1号となったSTS-114ミッションには、野口聡一がMSとして搭乗しました。野口聡一は当該ミッションで3回の船外活動を行い、軌道上での修理技術試験を行うと共に、ISSの建設・保守に係わる作業を実施しました。また、新たに採用された安全対策として、打ち上げ/上昇時に外部燃料タンク(External Tank: ET)の分離の様子をビデオ撮影するなど、数々の重要な任務を遂行しました。





  • 「きぼう」組み立てミッションを通して有人宇宙飛行技術を蓄積:

    2008年3月から「きぼう」日本実験棟の組み立てが開始されました。3便にわたり軌道上に運ばれる「きぼう」の第1便にあたるSTS-123(1J/A)ミッションでは、「きぼう」船内保管室が打ち上げられISSに取り付けられました。当該ミッションには土井隆男が搭乗し、ロボットアームで船内保管室をISSに取り付け、設置後のモジュールの起動や入室準備を支援しました。

    2008年6月、「きぼう」の第2便にあたるSTS-124(1J)ミッションで、「きぼう」船内実験室とロボットアームが打ち上げられISSに取り付けられました。「きぼう」の中心部を完成させるこのミッションには星出明彦が搭乗し、ロボットアームを操作して船内実験室のISSへの取り付けや、船内保管室の移設などを支援しました。「きぼう」の中心モジュールである船内実験室がISSに設置されたことで、「きぼう」の運用に必要なテレメトリ/コマンド機能が軌道上で整備され、筑波宇宙センター(TKSC)の「きぼう」運用管制室から「きぼう」を直接制御することができるようになりました。



    2009年7月、「きぼう」の第3便にあたるSTS-127(2J/A)ミッションで、「きぼう」船外実験プラットフォームと船外パレットが国際宇宙ステーション(ISS)に打ち上げられました。当該ミッションに先立ち、ISS第18次/第19次/第20次長期滞在クルーのフライトエンジニアとしてISSに滞在していた若田光一が中心となって、これらの「きぼう」船外構成要素を「きぼう」に組み立てる作業を行い、軌道上で「きぼう」の完成を支援しました。約4ヶ月の長期滞在を終えた若田は当該ミッションで帰還しました。

    「きぼう」組立てミッションにおいて、日本の技術力と日本人宇宙飛行士の活躍は世界の注目を集め、ISS計画においてJAXAは存在感を示しました。


  • ISS長期滞在を通して有人宇宙飛行の技術、経験、知識を蓄積:

    若田光一は、2009年3月にスペースシャトルによるSTS-119(15A)ミッションで打ち上げられ、日本人として初めてのISS長期滞在を開始しました。若田は第18次/第19次/第20次長期滞在クルーのフライトエンジニアとしてISSに約4ヶ月間滞在し、軌道上で「きぼう」の完成を迎え、2009年7月にSTS-127(2J/A)ミッションで帰還しました。ISS長期滞在中、若田は、「きぼう」の実験施設を使用した日本の実験運用のほか、ISSフライトエンジニアとしてISSの日常業務(システム運用・保守)に携わりました。若田のISS長期滞在により、JAXAは、日本人宇宙飛行士による軌道上での「きぼう」の機能・性能や運用性設計等の確認を行うことができました。また日本人宇宙飛行士と地上運用要員の連携により「きぼう」のシステム運用・管制技術を向上させることができました。さらにJAXA独自の長期的な医学データ(重力、宇宙放射線等の医学的影響)の取得、健康管理(栄養・体力評価、精神心理)の経験・ノウハウを蓄積しました。


    野口聡一は、2009年12月にロシアのソユーズ宇宙船で国際宇宙ステーション(ISS)に向かい、日本人として始めて半年間にわたるISS長期滞在を遂行しました。野口は日本人として始めてソユーズ宇宙船のフライトエンジニアを務めたほか、「きぼう」での科学実験や人文利用活動、ISS組立て・保守作業を遂行しました。野口のISS長期滞在中、STS-133(19A)ミッション(2010年4月)で山崎直子が補給物資や科学実験装置をISSに運搬しました。当該ミッション中は、野口および山崎の2名の日本人宇宙飛行士が軌道上で共同作業を展開しました。長期滞在中に野口が宇宙から地球に向けて発信したTwitter「AstroSoichi」では、軌道上の生活や作業の様子が紹介され、野口が撮影した地上の美しい画像は世界中の注目を集めました。

    日本人宇宙飛行士のISS長期滞在は今後も継続的な実施が計画されており、2011年には古川聡、2012年には星出彰彦、そして2013年終わり頃から若田光一がISS長期滞在クルーとしてISSで科学実験や利用活動を繰り広げます。

  • ISS利用の時代へ:

    JAXAは、これまでの日本人宇宙飛行士による実績や、ISSと「きぼう」の利用を通して、有人宇宙技術の向上と開発、さらには、一般の人々、すなわち人類が活動領域を宇宙にまで拡げるために必要となる技術基盤の構築を図っていく予定です。

最終更新日:2011年5月19日

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