マーキュリー計画は、1958年から1963年にかけて行われたアメリカ最初の有人宇宙飛行計画で、6人の宇宙飛行士が宇宙飛行を行いました。
マーキュリー計画の主要な目的としては、
・ |
有人の宇宙船で地球周回軌道を飛行させる |
・ |
宇宙での人の能力を調査する |
・ |
宇宙飛行士と宇宙船の双方を安全に回収する |
などを挙げることができます。 |
マーキュリー宇宙船フレンドシップ7に乗り込むジョン・グレン宇宙飛行士 |
|
これらの目的を確実かつ安全に達成するために、次のようなガイドラインが定められ、マーキュリー計画は進められていきました。
- 出来る限り既存の技術と市販の機材を活用する。
- 最もシンプルで信頼性の高いシステムデザインの方法を採用する。
- 既存のロケットを使用する。
- 最も進歩的で論理的なテスト計画を立案する。
|
以下は、マーキュリー計画の背景です。
1950年ころには大型の液体ロケットが開発され、人を宇宙に送り込むことは可能であることが判ってきました。しかし、米国もソ連(現ロシア)も観測用ロケットしか打ち上げたことがありませんでした。
多くのロケットが、原始的な菌類のようなものから猿(米国の場合)や犬(ソ連の場合)に至る高等な生物までを搭載して打上げ、無事に生還させる事ができました。しかし生物が宇宙でどの位の期間生き続けられるのか、人間が宇宙の厳しい環境で生存できるのかなどについては確証が得られていませんでした。科学者たちは人間が宇宙飛行中に遭遇する状況下でどのように行動するかを予想しかねていました。宇宙飛行は技術的には現実のものになってきたものの、生理学的あるいは心理学的に可能なのかどうかは謎のままでした。
米ソ双方の大型ロケットの開発が速まるにつれ、1950年代の初期には有人宇宙飛行のための医学的な研究も加速されて行われました。テレメトリ技術が発達し臨床データを得られるようになった結果、人間が宇宙に行ったときどのような状態になるか多くのことが判ってきました。1958年のマーキュリー計画の直前の数年間に行なわれた数多くの研究の結果、この計画が成功するとの確証が得られたのです。
このようにして米国は、人間を宇宙に送り込むというマーキュリー計画を国を挙げ推進することになりました。1959年4月9日、NASAのグレナン長官がワシントンの記者会見で、軍のテストパイロットの中から選抜された、カーペンター、クーパー、グレン、グリソム(*1)、シラー、シェパード(*2)そしてスレイトン(*3)の7人の宇宙飛行士を発表しました。
気球で未知の成層圏に乗り出した先駆者をアルゴノートと呼んだのにちなみ、この7人はアストロノートと呼ばれることになりました。
(*1) 1967年1月アポロ1号の火災事故により40才で死去。
(*2) 1998年7月白血病により74才で死去。
(*3) 1993年ガンにより69才で死去。
7人の宇宙飛行士達は、フレンドシップ7など、彼らの宇宙船にそれぞれ名前を付けその最後に数字の7を付けて呼び、彼らのチームワークを名前として示しました。
(もともとアラン・シェパードが搭乗したカプセルの製造モデル番号が7であったため、シェパードがこれを名前の一部に用いたが、クルー全員がこれを最初の7人の宇宙飛行士を意味すると考えて、以後これを使用することになったとも言われています。)
アメリカ初の有人宇宙飛行を行ったのが、宇宙飛行士アラン・シェパードです。宇宙飛行といっても、ロケットを打ち上げて宇宙空間に飛びだしたあと、すぐに地球へ戻ってくる「弾道飛行」と呼ばれるものでした。
ジョン・グレン宇宙飛行士は、3番目に宇宙飛行を行いました。先行の2人が弾道飛行でわずか15分余りで帰還したのに対し、米国人初の地球の周回軌道飛行をするという画期的な業績を挙げ、一躍米国のヒーローとなりました。
マーキュリー計画の4番目の飛行に予定されていたドナルド K.スレイトン氏は、心臓に不整脈の症状があるとの理由で、打上げ2ヶ月前になって急遽 M.スコットカーペンター氏と交替することになりました。スレイトン氏は飛行の機会を与えられないまま、6人のみが飛行してマーキュリー計画は終了したのです。その後、スレイトン氏は、1975年7月、アポロ/ソユーズ・テスト・プロジェクトで初飛行、ソユーズ宇宙船とドッキング飛行をしています。
7人の宇宙飛行士や当時のアメリカの雰囲気については、映画「ライトスタッフ」や「ザ・ライト・スタッフ」(トム・ウルフ著、中央文庫)から知ることができます。
|
マーキュリー計画とスペースシャトル計画の比較
|
マーキュリー計画
(フレンドシップ7) |
スペースシャトル計画
(STS-95) |
打上げロケット |
マーキュリー・アトラス |
スペースシャトル |
地球周回数 |
3周 |
約144周を予定 |
飛行時間 |
4時間55分23秒 |
約8日22時間04分を予定 |
最大重力加速度 |
約8G |
約3G |
帰還場所 |
バミューダ諸島、南東約1300kmの大西洋
上にパラシュートで着水 |
フロリダ州
NASAケネディ宇宙センター |
重量 |
約1,928kg(宇宙船のみ) |
約69,680kg(シャトル機体+メインエンジン) |
最大搭乗人数 |
1名 |
7名 |
居住空間 |
1.02m3 |
9.40m3(1人あたり) |
船内気圧 |
約1/3気圧
(高度8,200mの大気圧に相当) |
約1気圧 |
船内空気成分 |
酸素100% |
酸素21%+窒素79%(地球大気成分と同様) |
|
関連サイト |
- ・オンラインスペースノート(マーキュリー計画)
- http://spaceboy.nasda.go.jp/note/Yujin/J/Yuj05_j.html
- ・スペース百科(マーキュリー計画)
- http://spaceboy.nasda.go.jp/Db/Kaihatu/Hikou/Hikou_J/Mahkturi_j.html
- ・スペース百科(マーキュリー計画飛行実績)
- http://spaceboy.nasda.go.jp/Db/Kensaku_html/Hyo4.idc?
- ・Project Mercury
- http://www.ksc.nasa.gov/history/mercury/mercury.html
- ・This New Ocean: A History of Project Mercury
- http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4201/toc.htm
最終更新日:2003年5月26日
|