DNA修復に及ぼす宇宙環境の影響に関する研究

代表研究者 小林 泰彦(日本原子力研究所)


図 1
あらかじめ地上で照射したγ線の線量に対する放射線抵抗性
細菌の生存曲線
図2 宇宙及び地上で誘導合成されたDNA修復系蛋白質
(PprA蛋白質)のバンド(電気泳動で分画した後に
抗体を用いて蛍光染色して検出したもの)
図3 乾燥細胞と培養液を封入したシリコンチューブ内部の模式図

実験の目的
 人間が長期間宇宙で活動する際には、宇宙環境の様々な要因の中でも特に宇宙放射線被曝と微小重力のもたらす危険性を評価しておく必要がある。軌道上で被曝する放射線のレベルは地上の約10倍と言われているが、宇宙放射線の中には地上における自然放射線には存在しない極めて高エネルギーの鉄などの重粒子線が含まれているのが特徴である。それらの人体への影響は、加速器を用いた重粒子線照射実験によってある程度推定することが可能だが、地上での実験結果を実際の宇宙環境におけるリスク評価に適用する際には、生物が本来持っているDNAの放射線による損傷を修復する能力が微小重力などの宇宙環境によってどう影響されるかを考慮しなければならない。これまでにも日本を含め各国の研究者が放射線と宇宙環境の相互作用について研究を進めてきた。その中では微生物を試料として用いた実験では相互作用は認められないという結果が一般的であり、一部には宇宙環境が放射線障害の回復に抑制的に働くという報告もあるが、まだ統一的見解は得られていないのが現状である。
 我々は1994年の第2次国際微小重力実験室(IML-2)において、放射線抵抗性細菌の放射線障害からの回復反応が宇宙環境下では地上より促進されるという現象を見い出した。さらに1996年のSTS-79においては、この宇宙環境下での回復促進作用には反応時間依存性があることが示唆された。そこでDNAの損傷修復過程を分子レベルで解析することによって、この機構を解明することが本実験の目的である。

過去の宇宙実験での成果
 宇宙放射線による影響を除いてその他の宇宙環境がDNA修復過程に及ぼす影響を明らかにするため、極めて高い放射線抵抗性を有する細菌デイノコッカス・ラディオデュランス(Deinococcus radiodurans)を用いて、第2次国際微小重力実験室(IML-2)及びSTS-79において、あらかじめ地上でγ線照射したDeinococcus radioduransの放射線障害からの回復反応を宇宙環境下で調べた。その結果、宇宙環境下では地上で行った対照実験試料に比べて生存率が有意に高くなった。さらに、シャトル軌道上で11時間回復反応を行わせた場合(IML-2)と、反応時間が6.5時間に制限された場合(STS-79)とでは、その回復促進効果の程度が異なり、宇宙環境下では放射線障害からの回復反応が反応時間に依存して地上より促進されることが示された(図1)。一方、同細菌の放射線感受性変異株であるrec30株では、この促進効果が現われなかった。また、宇宙環境下では、DNA修復に関与するとして我々が新規に発見したpprA遺伝子にコードされる蛋白質(PprA蛋白質)の誘導合成が促進されることが明らかとなった(図2)。

実験の概要
 微小重力の影響を調べるための生物材料は、それ以外の宇宙環境要因(一時的な加重力、振動、光、温度、宇宙放射線など)に対して耐性でなければならない。放射線抵抗性細菌Deinococcus radioduransは、は、乾燥状態でも懸濁状態でもその生存に加重力、振動、光などは影響を与えないし、無酸素の懸濁状態でも数十時間は影響を受けない。生育至適温度は30℃であるが、4℃以下でも生存できる。また、野生株は放射線に対しては極めて耐性で、6 kGyまでのγ線照射でも生存率は全く減少せず、銀河宇宙線のような高LET放射線に対してもγ線と同程度の耐性を持っている。また、この細菌は、放射線照射で生じるDNA2本鎖切断を効率良く修復でき、この修復には照射後に誘導合成される蛋白質が重要な役割を担っていることがわかっている。さらに、この細菌には、DNA損傷の修復が完了するまでは細胞分裂を開始しないという特徴があり、かつ修復系蛋白質の誘導合成と修復反応に時間がかかるため、その間に起こる反応に対する微小重力の影響を観察しやすい材料である。
 以上の特徴を利用して、本実験では次のような実験方法を採用した。この放射線抵抗性細菌の野生株や放射線感受性変異株を凍結乾燥して生理的に休眠状態にした上で、予め60Coのγ線を地上で照射してからスペースシャトルに搭載し、軌道上の微小重力環境下で培養液を加えることによって初めて修復反応を開始させる(図3)。一定時間後に冷凍庫に移して修復反応を停止させ、その状態で地上に回収して生存率を調べる。同時に地上でも宇宙と同一の操作を行い、両者の生存率及びDNA修復系蛋白質の誘導合成量を比較することによって、修復反応に与える微小重力の影響を解析するというものである。この方法によれば、宇宙線の影響は予め地上で照射したγ線よりもはるかに低い線量に過ぎないために無視でき、またこの細菌の、凍結乾燥状態では照射損傷を修復する機能が停止したままで長期間安定に保存できるという性質を活かして、放射線障害からの回復反応だけを宇宙と地上とで厳密に比較することが可能となる。

期待される成果とその応用
 宇宙環境下におけるDNA修復系蛋白質の誘導合成と回復促進作用の反応時間依存性を調べることによって、一連の回復反応の中で宇宙環境の影響を最も強く受けるステップを明らかにする。これらの結果から、生物が本来有しているDNA修復能に対する微小重力などの宇宙環境の影響を厳密に明らかにすることができれば、宇宙での長期間にわたる人間活動の際の宇宙放射線被曝やその他の宇宙環境の複合的なリスク評価を正しく行うための基礎的な知見が得られると期待される。図1あらかじめ地上で照射したγ線の線量に対する放射線抵抗性細菌の生存曲線図2宇宙及び地上で誘導合成されたDNA修復系蛋白質(PprA蛋白質)のバンド(電気泳動で分画した後に抗体を用いて蛍光染色して検出したもの)図3乾燥細胞と培養液を封入したシリコンチューブ内部の模式図


Last Updated : 1998. 5.27