6S飛行計画(2003年5月4日現在)
打上げ日時 |
2003年 |
4月26日午前 9時54分 |
(バイコヌール夏時間) |
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4月26日午前 7時54分 |
(モスクワ夏時間) |
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4月25日午後10時54分 |
(米国中部夏時間) |
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4月26日午後 0時54分 |
(日本時間) |
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射 場 |
カザフスタン共和国 バイコヌール宇宙基地 |
使用ロケット |
ソユーズ-FGロケット 5号機 |
搭乗人数 |
2名(打上げ時) |
ドッキング日時
(ソユーズTMA-2) |
2003年 |
4月28日午前 9時56分 |
(モスクワ夏時間) |
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4月28日午前 0時56分 |
(米国中部夏時間) |
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4月28日午後 2時56分 |
(日本時間) |
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ISS分離日時
(ソユーズTMA-1) |
2003年 |
5月 4日午前 2時43分 |
(モスクワ夏時間) |
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5月 3日午後 5時43分 |
(米国中部夏時間) |
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5月 4日午前 7時43分 |
(日本時間) |
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帰還日時 |
2003年 |
5月 4日午前 6時 7分 |
(モスクワ夏時間) |
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5月 3日午後 9時 7分 |
(米国中部夏時間) |
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5月 4日午前11時 7分 |
(日本時間) |
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6S前後のISSの形状 |
6Sミッション後ISSは以下のようになります。
なお、ソユーズ宇宙船用シートライナー(座席シート)は各クルー専用に成形されているため、軌道上で第6次長期滞在クルーと第7次長期滞在クルーのシートライナーを置き換えます。
6Sフライト後(5S帰還前)
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ソユーズTMA-2宇宙船(6S)が米国時間4月28日に、ザーリャのドッキングポートへドッキングします
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6Sフライト後(5S帰還後)
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第6次滞在クルーは「ピアース」(ロシアのドッキング室)のドッキングポートに結合している5SのソユーズTMA-1宇宙船に乗り換えて米国時間5月4日にISSから分離します
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打上げ/回収計画 |
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6Sでの打上げ物資 |
6Sでは155kgの補給品をISSに運びます。この中には62kgのロシアの食料、米国の最低限必要な物資約55kg(CHeCS(Crew
Health Care System: クルーの健康維持器具:トレッドミル(TVIS)の予備部品、筋力トレーニング装置(IRED)の予備部品)、二酸化炭素除去装置(CDRA)エアセレクタバルブ2台とフィルタ、コンピュータのディスク、宇宙服のEVAグローブ、バッテリ、米国の食料セット4個など)とロシアの荷物が含まれています。
ロシアは環境制御・生命維持系や医学機器、衣服、手順書(ODF)、カメラ器材、消耗品など28品目(9個の科学実験機器を含む)を運びます。
ロシアが運ぶ科学実験機器は以下の通りです。
- スターメール(日本のIHIエアロスペース社が委託)
- Intercellular Interaction(無重量環境下での細胞の特性と細胞間の活動の研究)
- MCK(Mesenchymal Stem Cells)(骨髄の間葉幹細胞の振る舞い)
- Konyugatsiya(バクテリア接合法を使用した遺伝子導入法のテスト)
- Gematologia(血液細胞の特性の調査)
- Flyuorrestsentsiya
- その他継続される実験機器の一部(Uragan、Diatomeya、Relaksatsiya)
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5Sでの回収物資 |
5Sでは約13kgの機器や物資をISSから回収します。うち米国分は4kgであり、非常に少ないため、内部のTVカメラ/照明装置2台を外し、その分、実験試料などを回収することにしました。
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クルー |
6Sフライトでは、以下の2名がソユーズ宇宙船に搭乗しISSへ向かい、ISSに滞在していた3名の第6次長期滞在クル-が帰還します。
第7次長期滞在クルー
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ISSコマンダー
ユーリ・マレンチェンコ(Yuri Ivanovich Malenchenko)
1961年12月22日 ウクライナ生まれ。
ロシア空軍大佐。ロシアテスト宇宙飛行士。1987年から1989年にかけて宇宙飛行全般の訓練を受ける。
1994年7月1日~11月4日までミールに126日間滞在(この間、プログレスM-24のドッキング失敗、クバントモジュールへの軽い衝突などの緊急事態も経験済み)。STS-106(2A.2b、2000年9月)でも飛行。3度のEVA経験有り(STS-106でもEVAを実施)。
宇宙滞在日数は合計137日間にのぼる。今回が3回目の宇宙飛行となる。
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エドワード・ルー(Edward Tsang Lu)
1963年7月1日 マサチューセッツ州生まれ。
応用物理学博士。 1994年12月にNASA宇宙飛行士として選抜され、1年後に宇宙飛行士として認定された。STS-84(1997年5月)でミッションスペシャリスト、STS-106(2A.2b:2000年9月)でミッションスペシャリスト、ペイロード・コマンダーとして飛行。宇宙滞在時間は合計504時間。STS-106ではEVAを担当し、ズヴェズダとISS間の配線接続等を行った。
今回が3回目の宇宙飛行となる。
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第6次長期滞在クルー(帰還)
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ISSコマンダー
ケネス・バウアーソックス(Kenneth D. Bowersox)
1956年11月14日 バージニア州生まれ。
米海軍大佐、機械工学修士。
1987年に宇宙飛行士候補に選抜され、1年後に宇宙飛行士となる。STS-50 (1992年6~7月)とSTS-61(1993年12月)でパイロットとして飛行。STS-73(1995年10~11月)とSTS-82(1997年2月)でコマンダーとして飛行。
滞在中にEVAを2回実施した。
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フライトエンジニア1
ニコライ・ブダーリン(Nikolai Mikhailovich Budarin)
1953年4月29日 ロシア生まれ。
RSCエネルギア社の技術者を経て、1989年に宇宙飛行士候補となる。1989~1991年にかけて基礎訓練を受けた後、国家試験に合格。テスト宇宙飛行士にも認定される。1995年6月27日から9月11日まで第19次滞在クルーとしてミールに滞在。1998年1月28日から8月25日まで第25次滞在クルーとしてミールに滞在した。
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フライトエンジニア2
ドナルド・ペティット(Donald Pettit)
1955年4月20日 オレゴン州生まれ。化学技術博士、ロスアラモス国立研究所在職時に化学・物理学分野の宇宙実験等に関与。
1996年から約2年間の訓練を経て宇宙飛行士となる。第6次長期滞在クルーのバックアップクルーとして訓練を受けていた。
STS-113は、初めての宇宙飛行であった。ISSサイエンスオフィサーに任命された。滞在中にEVAを2回実施した。
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STS-113(11A)で打ち上げられた第6次長期滞在クルーは、約5ヶ月間ISSに滞在し、合計2回のEVAを行いました。
コロンビア号事故の影響により、予定していたSTS-114での帰還からソユーズ宇宙船による帰還に変更されました。
なお、ソユーズ宇宙船で宇宙から米国人が帰還するのは民間人のチトー氏を除いて今回が初めてです。
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ソユーズ宇宙船 |
6Sフライトでは、ソユーズTMAの2号機が飛行します。
ソユーズTMA宇宙船は、米国の宇宙飛行士も利用できるようにクルーの身長制限、体重制限などを緩和(より大柄な飛行士や小柄な宇宙飛行士に対応)するため1999年後半から改造に着手した新しい宇宙船であり、アメリカの予算を使用して改造が行われ、2002年10月の5Sフライトで初飛行しました。
ソユーズTMA宇宙船は内部が改造されたのみであり、外観はソユーズTMと同じです。
ソユーズTMAは、以下のように改良されています。
- 身長体重制限の緩和
ソユーズTM 身長164cm~182cm以内、体重56~85kg
ソユーズTMA 身長150cm~190cm以内、体重50~90kg
- クルーの座席構造の変更、衝撃吸収ダンパーの改造
- 着陸時の重量制限を変更するため、ソフトランディング・システム(着地数秒前に噴射する衝撃緩和用固体ロケットモータ)の改造
- カプセルをより正確な場所に着地させるなど、運用性を向上させるため、オンボードコンピュータやソフトウエアのアップグレード
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ソユーズTMA宇宙船
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