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NASDAデイリーレポート

11月15日(水) 若田宇宙飛行士記者会見

記者会見を行う若田宇宙飛行士
 日本時間11月15日午前7時30分~8時30分に若田宇宙飛行士の着陸後初の記者会見が、ジョンソ ン宇宙センターと東京をTV会議システムで結んで行われました。
 若田宇宙飛行士は、笑顔で記者団の質問に答え、ミッションの様子を振り返りました。


若田宇宙飛行士の挨拶
 今日は朝早くからお集まりいただきましてありがとうございます。

 STS-92国際宇宙ステーション(ISS)組立て飛行、通信システムの故障や、電力供給システムの故障など、あたかもシミュレーション訓練をしているようなトラブルが出る中での作業になりましたが、予定されていたISSの組立ての作業を全て完了することができました。これは、ヒューストンのミッションコントロールセンターやモスクワのミッションコントロールセンターの方々、それからハードウェアを実際に設計した技術者の方々、そして軌道上の私達宇宙飛行士、みんなのすばらしいチームワークがあったからこそだと思います。本当に地上で支えてくださった方々に心から感謝したいと思います。

 ISSの中には、飛行の3日目、4日目、9日目に入って作業をしましたが、スペースシャトルに比べて広い空間を持っているなという印象がありました。ロシアから打ち上げられたザーリャモジュール、ISSの最初のモジュールですけれども、その中には、宇宙飛行士が長期にわたって滞在するために必要な色々な物資があり、かなり込み入っているという印象を受けました。別な言い方をすれば、3次元の空間を無駄なく使っているなという感じがしました。

 そして、アメリカのユニティモジュールの中は、私はそこで一晩寝たのですが、非常に広いスペースでした。スペースシャトルのミッドデッキなどと比べると、比べものにならないような非常にゆったりとした空間で、しかも空調のファンの音などは非常に静かで、寝るような時にもとてもすごしやすい快適な環境だなと感じました。 ロボットアームの操縦に関しては、フライトの2日目から9日目まで8日間にわたって連続して操作を行いました。シミュレーションとは違って、美しい地球の姿を楽しみながら、本当に思う存分、操作を楽しむことが出来たと思います。

 現在はヒューストンのNASAジョンソン宇宙センターを中心にして、私達の飛行で得られたデータ、経験などをいち早く今月末に打ち上げられる組み立て飛行(STS-97)のミッションに活かせるように、集中的にデブリーフィング、報告会を行っています。

 日本の実験棟「きぼう」も、打上げが4年後に迫ってきていますが、私がこの飛行で得られた貴重な経験を上手く活かして、「きぼう」の組み立てや、ISSの長期滞在に向けて、ここで気持ちを新たにしてまた頑張っていきたいと思っています。


Q1:疲れはどうですか?
若田:当初11日間のフライトの予定だったのですが、着陸場であるケネディ宇宙センターの天候条件によって2日間着陸が延期されました。軌道上では最初の11日間はとても忙しい毎日でしたが、ゆっくり地球を眺める事も最後の2日間で出来ました。前回のフライトは9日間で今回は13日間と若干長かったですが、帰ってきたあと、また1G、地球の重力の環境に戻ってきて身体が慣れていく課程は、前回の経験があるせいかもしれませんが、とても早かったなと思います。疲れは、帰ってきた時にはあまり感じなかったです。ふわふわした感じは1日半から2日間ぐらいは続きましたけれども、微小重力から1Gの環境に戻って来た時に経験するその身体の感覚というのも2日間の間にだんだん抜けていったなという感じでした。帰ってきてエドワーズ空軍基地の宿舎にあるシャワーを浴びて、自分の身体を流れ落ちる水が重力で下に落ちていくその光景やシャワーの水が落ちる音を聞きながら、やっぱり本当に地球に帰ってきたのだなと実感したことを覚えています。本当は温かいお風呂に入りたかったのですけれども、それは家に帰るまでお預けでした。

Q2:エドワーズ空軍基地には、訓練などで行かれたことはあったのでしょうか。着陸がエドワーズになると決まったときはどう思いましたか?
エドワーズ空軍基地に着陸するディスカバリー号
若田:スペースシャトルの着陸場としてはケネディ宇宙センターが主要なサイトですが、それ以外にエドワーズ空軍基地それからニューメキシコ州にあるホワイトサンズにも着陸場があります。
 その3つの着陸場では、スペースシャトルのパイロットが着陸の訓練をするためにガルフストリーム2というジェット練習機を使って着陸時の最終接近の訓練をするのですが、そのために私も何回もエドワーズ空軍基地やニューメキシコのホワイトサンズに行きました。そういうことで慣れ親しんだ着陸場ですし、パイロットのパメラ・メルロイさん、船長のダフィーさん共に空軍のテストパイロット出身の人で、彼らはエドワーズ空軍基地で色々な飛行機操縦の為の訓練、それからインストラクターなどをやっていた非常に馴染みの深い土地で、彼らにとっては昔学んだ母校に着陸したという印象があったのではないかなと思います。着陸した時には、カリフォルニアの青い空が素晴らしかったことを覚えています。

Q3:宇宙開発委員会の基本戦略部会で案がまとまり、その中で有人宇宙飛行が注目されているのですが、ISSを中心でいくことに留まり、日本独自のロケットで宇宙飛行士が宇宙に行くことが盛り込まれなかったことについてどのようにお考えですか?
若田:長期的にはやはり日本が有人宇宙の分野でより大きな役割を果たしていって欲しいと思っています。やはり、そういう方向に進めるかどうかという鍵はこのISSだと思います。
 ご存じのように、「きぼう」は、日本の有人宇宙施設としては初めてのものですから、日本は、H-IIAの開発・打上げと並行して、有人の分野ではISS計画を成功させるために全力をつくす必要があると思います。私もこのプロジェクトに参加する一人として、宇宙飛行士の立場から「きぼう」、そしてISS計画が成功するように貢献したいと思いますし、さらに、そういう成功の過程があって、その先に月面、火星といった新たな領域への挑戦が拡がってくるのだと思います。日本はISSでも非常に重要な役割を果たしていますし、やはりその先に、もっともっと日本が重要な役割を果たしていく領域が出てくるというように思っていますし、期待しています。

Q4:ISSに補給物資を運びましたが、具体的にどういったものを運んだのですか。また、ISS内での作業は他にどういうことがあったのか教えてください。
若田:今回のフライトでは、飛行3日目、4日目、9日目の3回にわたってISSの中に入りました。私はじめSTS-92の宇宙飛行士たちが搬送したものというのは、コンピュータのハードディスクや、もう既にISSに長期滞在のクルーが行きましたが、彼らが使うための手順書やIMAXカメラを、ISSからシャトルへ、またシャトルからISSへと輸送しました。9日目には、ユニティモジュール、それからザーリャモジュールの中で作業を行いました。その中でひとつ私が行った作業というのは、ロシア側からの要求・依頼に基づくもので、ISS長期滞在クルーが長期滞在を始める前にザーリャモジュールの中で病原菌などが発生してないか確認するために、8カ所程度のロッカーの中や、貯蔵パネルの裏側とかといった所に探査棒をあてて生物学的なサンプリングを行いました。これはロシアでは長い間ミールでもやっていることで、そのサンプリングをしたデータによってISS中の汚染状況といったものを確認します。ですから、色々なハードウェア、コンピュータのハードディスクとか手順書といったものに加えて、ISSの長期滞在クルーの為の準備の仕事も行いました。

Q5:人類にとって画期的な長期滞在が始まりましたが、その意義についてどのように考えていますか。また、若田さん自身、今後、ISSにどういう形で携わっていきたいのか教えてください。
若田:ISSに関しては、本来の目的であるサイエンスをする、そのために我々はこういう恒久的な実験研究施設を打ち上げて運用する訳です。そこから、本当に何が我々にとって得られるのかというと、結果的に有人宇宙に限らず、様々な分野の宇宙開発が我々にもたらしてくれていることです。天体観測、気象衛星などで我々の日常生活を左右するような重要な情報が出てきていますが、ISSでは生物学的な実験、それから材料の分野の実験などで、私達の暮らしを豊かにしてくれるような新しい技術、具体的には新しいコンピュータのスピードを速めるような半導体、その素材、またバイオテクノロジーを使った新たな薬品の創世、そういったものが期待されます。そういった私達の暮らしを豊かにしてくれるものをISSは生み出していかなければなりません。同時にISSという世界15カ国の協力のもとで進めていくことによって、私はそれが国と国との間を近づけて、本当に平和な世界を作っていく、ひいては世界全体共通の価値観や文化を生み出していく重要なステップではないかと思っています。
 ISSに限らないことですが、宇宙探査、宇宙開発というのは、本当に世界の人々みんなに夢そして希望を与えてくれる素晴らしい仕事ではないかなと思います。本当に宇宙とは限りない所です。非常に荘厳な深く広がる深宇宙。それが、私達になぜ共感を与えるのか、人が行って仕事をすることでなぜ多くの方々が共感してくれるのかと考えると、そこには、計り知れない夢・希望がたくさん残されているからだと思います。私もこの仕事を通じて宇宙というものが、世界中の人々みんなに夢を与えてくれるのだということをお伝えしていければと思います。
 長期滞在に関しては、日本の宇宙飛行士は現在8名います。新たな3人の古川、星出、角野の3人の宇宙飛行士は、最初からISSで長期滞在することを目的につくばで訓練を行っていますが、私も近い将来ISSで長期滞在を是非してみたいと強く感じました。

Q6:米国とロシアのモジュールの違いを具体的に教えてください。
若田:ISSの中は、特にユニティモジュールで、今回私達は残念ながらサービスモジュール(居住棟)の中には入れなかったのですが、広くゆったりとしたスペースを楽しむ事ができましたし、そこで長期間にわたって仕事をすることによって、シャトルとはまた違った意味の仕事になると思います。シャトルというのは、宇宙で短い期間で出来る限りぎりぎりの仕事をするように計画が立てられているのですが、ISSになると3ヶ月から6ヶ月の長期にわたる仕事になり、またペースにかかわってくると思います。そこで行われることも、長期間ならではの科学実験、観測ができると思いますので、そういったものに私も挑戦していきたいと思います。とても楽しみにしています。
 アメリカとロシアのモジュールの違いですが、今回ユニティモジュールがアメリカ製で、ザーリャモジュールがロシア製です。(ザーリャモジュールは)ロシアで作られて、ロシアのロケットで打ち上げられましたが、モジュールの中に使っている色調が若干違うなと感じました。アメリカとロシアの違いというよりも、広さの違いが大きかったです。ザーリャの中は倉庫のように至る所に色々な箱が置いてあり、アメリカではベルクロテープと呼んでいる布製の粘着テープがいたる所にザーリャモジュールの中に貼り巡らされています。いやと言うほどベルクロテープが貼りついていたなと感じがしました。それは、狭い空間の中に色々なものを置かなくてはいけないということでそのための工夫なのですが、それに比べてアメリカのユニティモジュールの中は外直径約4mあり非常に広い空間であると感じました。スペースシャトルは上下左右の感覚がすぐにわかるのですが、ユニティモジュールやザーリャモジュールは点対照に出来ているので、上下左右の感覚が、そこに付いている物をよく見渡さないと、どちら側が左舷でどちら側が右舷か、どちら側が天井でどちら側が天底かというように、方向感覚をマスターするのがスペースシャトルに比べるとISSでは非常に難しいなと感じました。

Q7:ISSでの仕事を長期的に見ればサイエンス以外にも色々な分野に門戸を解放した方がいいのではないかという議論がありますが、体験者としてISSでこういうものができるのではないかということがあったら教えてください。
若田:ISSでの主目的はサイエンスで、様々な分野の科学、理工学実験、天体、地球観測といったものが重要なものになると思います。私が期待しているのは、そういうところから、私達の暮らしを物質的な意味で豊かにしてくれるような技術、科学データ、そういったものをISSがもたらしてくれる事を期待しています。それと同時に、精神的な文化、芸術といった面での私達の人間としての心の内の豊かさをさらに拡げてくれるような経験というのも、宇宙という今まで我々が感じた世界と違うひとつの空間から新たに生まれてくるのではないかと期待しています。
 私はエンジニアですけれども、私が短歌を詠むよりも、本当にそういうセンスのある方、実際に芸術家であったり様々な文化的な仕事をなさっている方、そういう方々が、将来宇宙に行って実際にどういうことを感じて、どういうメッセージを地球にいる私達に伝えてくれるか、そういったこと楽しみにしています。

Q8:宇宙では実際に夢をみましたか?
若田:今回はフライトの最初の方で大きなトラブルが出たので、もうあまり悪夢を見る必要がなかったせいか、ユニティモジュールに初めて入ったときの印象で、今まで感じたことがないようなゆったりとしたすごく広い空間に自分がISSの中をふわふわ漂って浮かんでいるという印象があったためか、無限の空間の中で自分が漂っているような夢を見た記憶があります。前回のSTS-72の時には、人工衛星の所にロボットアームで取り付けるグラプルフィクチャーという取っ手があるのですが、その取っ手が取れて回収作業ができないという取り越し苦労の夢を回収前に見たのですが、今回はそういうことはありませんでした。

Q9:将来宇宙飛行士になりたいと考えている青少年、子供たちへのメッセージをお願いします。
若田:私は5歳の頃にアポロ11号の月着陸を見て、とても宇宙への憧れを強くした世代の一人です。その当時は(宇宙飛行士は)遠い手の届かない所にある憧れのような印象しかなく、当時は、旧ソ連の人とアメリカの人達だけが宇宙へ行って仕事がすることができた訳です。それと同時に私は、飛行機にすごく興味を持っていて、飛行機を作りたい、飛行機に携わる仕事をしたいというそういう強い希望をもって学校で勉強したと思います。宇宙開発事業団の宇宙飛行士として選ばれる前には、航空会社で飛行機の構造の仕事をしていました。常に、私は自分の興味の対象が何処にあるのか、実際にやりたいことが何であって、そのために、どうしたらいいのか、目標を常にはっきり持ってきたような気がします。幸運なことに航空機のエンジニアとしての仕事、その延長線上にこの宇宙飛行士という仕事があったと思いますが、宇宙飛行士と一言でいっても様々な人が必要なのです。科学者であったり、医学者であったり、パイロットであったり、技術者であったりと。ですから、将来宇宙飛行士を目指したいと思う人は、しっかりと自分の興味が何処にあるかということと目標をしっかり持ってそれに向かって努力してもらいたい。自分の分野で誰にも負けないというくらいに一所懸命仕事をして頑張れば、必ずその先に宇宙に行って仕事をするチャンスが巡ってくると思います。

Q10:帰還後、宇宙にいた時のことを夢にみることはありますか。
若田:実際に宇宙で経験した時のイメージ、Z1トラスを取り付ける時の光景、TVカメラ、それからスペースシャトルの外に広がる光景、本当に美しく青い地球、それからそこに月が昇ってくるような光景など、非常に宇宙で印象的に感じた光景を帰ってきてすぐに夢で見ました。いま宇宙から帰ってきて1~2週間たちましたが、自分がずっと夢を見ていたような、かなり昔に自分が宇宙に行ったようなそういう感じがしています。これは前回のフライトよりも今回強く感じました。今回、宇宙から帰ってきて、宇宙で撮った写真、ビデオを見ていて、その映像に現れてくる自分を見ていると一連の夢を見ているような気がします。その為に長い間訓練を重ねてきましたし、軌道上で地上とはまた違う分刻みの忙しいスケジュールを毎日こなして帰ってきて若干ゆっくりと休めるような時間が取れているのですが、そういう状況では宇宙飛行全体が夢のような感じがしています。

Q11:Kuバンド通信システムが使えなくなったことで出来なかった企画はありますか。
若田:Kuバンドのシステムが故障したことによって、テレビのダウンリンクが長時間にわたって出来ませんでした。それから、スペースシャトルでは初めてレーダなしのランデブーをせざるを得ない状態になりました。レーダなしのランデブーでは、そこは船長の腕の見せ所なのですが、これまでの訓練の成果を遺憾なく発揮して、燃料消費も非常に少ない効率的なランデブーを船長がやったということで、今回とても高い評価を受けています。
 私に関しては、TV映像が使えなくなったということで、例えばZ1トラスやPMA-3をISS側に取り付けるときのコンピュータによる画像解析システム、これはスペースビジョンシステム(SVS)というのですが、それを地上に生中継でダウンリング出来なかったために、地上からのサポートが若干難しくなったという状況がありました。ですから、軌道上で我々が判断をして必要な情報を声で地上に伝えて、映像がない分地上側を支援してあげる必要がありました。TV映像が使えなくなると、軌道上での私達の作業を皆さんに伝えるための映像がなかなかおろせなくなりました。限られた時間しか皆さんに我々の活動の映像を見ていただけなかったことが残念でしたが、特に出来なかったという作業はありませんでした。今回はダフィー船長が特別に軌道上から生中継で数回にわたって私が日本語で日本の皆さんにメッセージを伝えることを許してもらったのですが、これはダフィー船長の特別な計らい、およびNASAの、日本の皆さんが応援してくださるのだから、出来る限り我々の宇宙活動をそのまま声で伝える機会を与えたいという配慮があったからこそ出来たことで、とても感謝しています。逆にKuバンドが壊れたことで、全く予定になかった事なのですが、生中継で直接皆さんにメッセージが発信できよかったと思います。

Q12:若田さんの発言ではよく、「チームワーク」という言葉が出てきますが、若田さんがチームワークをうまく保つために一番努力していることはどういうことですか?
若田:チームワークはこのような国際協力プロジェクトを進めていくためのキーだと思います。ISS計画のどういう局面が難しいか、これは、私の個人的な考えですが、やはり国際間のコーディネーションが一番難しい所だと思います。アメリカが月に人間を送った時、これはアメリカの国ひとつでやったのですが、冷戦という構造のもとで、旧ソ連側はソ連でプロジェクトを持っていましたし、アメリカ側はアメリカの中でプロジェクトを持って、かなり短い間でそのプロジェクトを完結させたという経緯があります。
 技術的にはチャレンジングだったかもしれませんが、言葉も違う、文化も違う、習慣も違う、そういう人達が集まって協力して仕事をする時に、各グループ間のコーディネート、調整が一番難しい所ではないかと思います。コーディネーションさえ上手くいけば、技術的な課題は二の次であると思います。これは、世界の宇宙開発の真の姿だと思います。このように世界が協力していくことによって、本当の意味での地球人的な価値観、文化が生まれてくるのではないかと思いますし、その方向に間違いはないと思います。何処が難しいかというと、例えば会議の仕方とか、国によってかなり習慣の違いがあるなと感じました。ロシアに行って、色々な訓練、会議などを行っても、またアメリカの中、NASAの中で色々仕事をしていても習慣が多少違うのかなと思うのですけれども、何処の国にいても、チームの中での存在感、それからそこに若田がいるということを認めてもらうためには、議論をとことんする、そういうことが大切ではないかなと思います。自分の信じる・思うことを、本当に正しく相手に伝えて、決着がつくまでとことん議論をするという姿勢は、NASAのアメリカの中でもロシアの中でも存在感を認めてもらうために、とても大切なことではとないかと思います。これは、ここ何年かアメリカで生活しながら感じたことです。

Q13:若田さんのロボットアームの技術が高く評価されていますが、どういうところが高い技術に結びついているのか教えてください。
若田:
ロボットアームの技術の高さということに関してましては、私に与えられた訓練をどの訓練も無駄にしまいということと、それから一度間違えるのはいいけれども、絶対に二度と間違えるなということを自分に言い聞かせながら、そういったことを自分のモットーとしてやってきたと思います。今回はISSの色々なモジュールを取り付ける為に、今後何回も使われていく共通結合機構という初めて使うドッキング装置のような物を使って、2つの大きな構成要素をISSに取り付けましたけれども、その為に、訓練というよりも、色々なブレーンストーミングをしながら、本当に正しく取り付けが出来るのかという評価の為の会議、それから、その為のシミュレーションを使った評価、訓練ではないその前の段階の色々な技術的な仕事にかなりの時間を使ってきました。色々な問題があっても、あきらめないで最後まで頑張ったというところで、色々な人が共感してくれて、アメリカのメーカーの方とか、NASAの飛行管制官の方々が、色々私のプランに協力して素晴らしいプランを作ってくれたと思います。そういう人達の協力があって、初めて今回のような完璧な運用プランが立てられたのではと思います。

Q14:2日間地球をじっくり眺める機会をもてたそうですが、地球を見て思ったこと、印象に残ったことを教えてください。
若田:
地球を見て、一番印象的だったのは、残念ながら日本上空を飛行するのは我々が起きている時間帯は夜だけだったのですが、フライトの8日目、日本上空、東京上空近くだったと思うのです、通過したときに日本列島全体がもっと北の方樺太の方から、沖縄、台湾の方まで見えたと思うのですが、その日本がものすごい速さで近づいてきて、通り過ぎて、またものすごい速さで遠ざかっていったのです。その時に日本列島が、地図の上に宝石をちりばめたような印象がありました。地図にダイヤモンド、豆電球をたくさんちりばめたような、色々な各都市の明るさというのが印象的でした。日本海は、漁船なのか、かなり明るい点が見えました。本当に大都市のような明るさだったのですけれども、そういう光景がとても印象的でしたし、同時に非常に速く遠ざかっていく日本列島、段々自分の前から大きかった日本列島が、ものすごく速く小さくなっていく、そういう光景を見ながら、やっぱりスペースシャトルは、時速28,000kmぐらいのものすごい速さで飛んでいるのだなと改めて感じました。
 2日間飛行が延期されたことによって、我々のISSそれからスペースシャトルの軌道というのは、1日に大体数度ずつ、4度か5度ずつぐらい西へ西へずれていくので、フライトが長くなれば長くなるほど、日本を昼間の時間に通過できる機会が増えていきました。最後の2日間ぐらいは、就寝時間近くに日本上空を飛ぶことができ、初めて日本を昼間飛ぶことができました。カメラが用意されていなかったので、写真撮影が出来ませんでしたが、日本列島はほとんど雲がなかったです。奥羽山脈が印象的でした。緑と少し赤茶色のような、赤い緑というのか、とても鮮やかな奥羽山脈が非常に印象的だったのを覚えています。

Q15:埼玉県ゆかりの物をもっていったそうですが何を持っていったのでしょうか。
若田:
今回数点の日本食をもっていきました、白いご飯、おみそ汁にカレーも持って行きました。特に、埼玉ゆかりの物として、草加煎餅を持っていきました。前回もお煎餅を持っていったのですが、今回は10枚ぐらい持っていきました。10数センチ直径があるような大きなお煎餅でした。私だけでなく、リロイ・チャオさんとか、同じMSのジェフ・ワイゾフさんとかみんな喜んで食べてくれました。塩辛い、香ばしい味付けというのが、宇宙ではとてもおいしく感じられました。ふわふわ浮いた状態で食べると、お煎餅がぱりっと香ばしい感じで割れ、細かい破片が飛び散り、みんなで口を近くに持っていって食べるというほほえましい光景が何度かありました。無重量だと食べ方を気を付けないと破片が飛び散ってしまうなという印象がありました。味はとてもおいしく楽しくいただけました。

Q16:21世紀を迎えるにあたって、若田さんの夢を教えてください。
若田:
21世紀への夢ということですが、有人宇宙の分野で仕事に携わる者として、宇宙から21世紀、これまでと同様に、世界の人々に夢を与え続ける空間であって欲しいなと思いますし、これを確信しています。21世紀がどういう風になっていってもらいたいのかという個人的な希望ですが、宇宙開発を通して、世界の人々が協力して、助け合いながら、色々な英知を集めて、協力していくことによって、本当の意味での平和な世界、そして私は"地球人の世紀へ"という表現を使いましたが、一国のみならず世界の人々が宇宙に出ていくその段階になって、地球人としての考え方、価値観、そして文化というものが生まれてきて欲しいなと思います。これをリードしていくひとつの柱は、ISSのような多くの国がサポートする、国際協力プロジェクトではないかなと思っています。同時に21世紀においては、国際協力という形の中で技術大国である日本がますます宇宙開発の分野でも重要な役割を果たして、いって欲しいと思っています。

Q17:日本の有人宇宙活動の意義についてどう考えているのか教えてください。
若田:今回のフライトも含めて、有人宇宙活動に関して一番大切なのは、安全、セイフティーだと思います。NASAは、そこには全く妥協しません。当然、リスクがあるけれども、そのリスクを最小にするための最大限の努力をはらっています。実際に安全が確認出来ない限り、打上げはしない、宇宙での仕事はしないというポリシーをつらぬいていると思います。NASAに関しては、マーキュリー計画からの30年来の有人の蓄積があって、初めてここに至っているのだなと。我々は、日本人としてハードウェアの開発、そういった意味でも学ぶところがあると思います。安全の面では、色々学ぶ所があるのではと思います。それは、日本のH-II、H-IIAのロケットの開発にも同じ事が言えると思います。ミッションの成功、それからそこに実際に携わる方々の安全、そういった事を第一において、開発が進められて来ていると思いますし、そこで作られてきているハードウェア、ソフトウェア、それから運用形態、そういったものを考えてみると日本の技術というのは、NASAに追いつく所にきていると私は思っています。私が、日本の「きぼう」モジュールの設計審査会などに参加して、NASAの技術者たちが日本のモジュールの設計はどうなっているのか、運用はどうなっているのか、というものを審査するときにそこに備わっているポリシー、仕事の成熟度、仕事の確かさ、そういったものをNASAの方々は、高く評価しています。それを私は誇りに思っていますし、日本の技術は、NASAの方でも高く信頼されているという印象を受けています。
 日本の有人活動の意義ということで、難しい話題だと思います。宇宙開発というのは、各国際パートナーが協力して、進めていくということが大切かと思いますけれども、それと同時に各国が自分たちの技術を高めていくというプロセスを通して、パートナーであるけれども、お互いに切磋琢磨によって本当の意味での技術革新が進んでいくのではないかと思います。日本は非常に高いレベルにある技術を持っていて、アメリカやロシアと共にこの分野で世界のリードをしていくためのポテンシャルを持っているわけですから、そういうポテンシャルを持った国としてお互いに切磋琢磨していけるような技術を磨いていくことが大切ではないかなと思います。日本が有人活動を日本独自に進めていくかどうかは難しい問題ですが、国際協力で得られる我々のベネフィットと自分たちの独自技術で進めていく時、そこから分かれてくるベネフィットのバランスを常に考えて宇宙開発を進めて行かなければいけないのではないかなと思っています。

最後に



STS-92ミッションパッチ
若田:本日私が着ていますのは、実際に私がスペースシャトルの中、宇宙空間の中で着た作業着です。今回は、予定されていた飛行期間は、11日間でしたので、こういうシャツを11枚持って宇宙に行きました。毎日着替えられるのですが、延長して帰還が延びてしまったので、2枚は結構汗くさいシャツを2日間にわたって着ている必要がありました。ここにありますのが、私達宇宙飛行士7人がデザインしたクルーのロゴです。打上げと帰還の時、また船外活動をするような際は、専用の服が必要ですけれども、軌道上では、重力が無い部分が違うけれども、それ以外は、温度、湿度といったものは地球上にいるときと同じような状況ですので、ポロシャツみたいなものを着て快適に作業ができます。

最終更新日:2000年11月22日

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