Connecting dots
Steve Jobsが2005年にスタンフォード大学の卒業生に贈った有名なスピーチの中で、「点と点を繋ぐ」と言う話をしている。「今取り組んでいること、直面していること、それらの一つ一つの意味を人は知ることはできない。しかし後になって振り返ると、それらはすべてつながっているということがわかる。そのことを信じることで未来を切り開くことができるのだ」と。
1978年
「おれ、これ買う、買ってうちでやる!」
作家の小松左京氏が当時“大人買い”したのは発売されたばかりのApple IIと、ゲームStar Trekだ。1978年2月に出版された「文藝春秋デラックス 宇宙SFの時代」と言うムック本にその「新しい文明」に喜々とする様子が臨場感たっぷりに描かれている。SFドラマの向こう側のものでしかなかったコンピューターが手元に来て、ゲームとはいえ宇宙大作戦を体験できる興奮が伝わってくる。
『そのうち誰でもがコンピューターを手にして、宇宙に行ける時代が来る。』
ちょうどその年、公開されたばかりのStar Warsの最新の合成技術を駆使した迫力のある特撮映像の世界のなかで自分もそんな気分に浸っていたものだ。当時はApple II を一式そろえるのに100万円程もして高校生には遥か高値の花だったのだけれども、今となれば10分の1の価格になったMacBookで原稿を書いている。Jobsが点を繋いでくれたおかげだ。
ロシア語との出会い
大学に入学したとき、英語ですら不得意だったのに何か新しい言語をやりたいと高望みして、たぶん気まぐれからロシア語の教科書と辞書を買った。ロシア語の世界はまだソビエトの鉄のカーテンの向こう側だったというのに!そのためか、買っては見たものの5分の1も読みおわらないうちに、お蔵入りになった。最初の7課ぐらいまでに赤鉛筆で引いた線が残っている。小さく薄いドットだ。それからずいぶん後、ソビエトがなくなった後、ロシア語ともう一度すれ違う機会があって“スタンダード40”と言う本を1冊買ったが、一通り目を通しただけでしまいこんだ。このときもひとつの点で終わった。
秘密都市 Camapa(サマラ)
点がつながる機会は2002年の夏に突然訪れた。仕事でロシアに出かけることになったのだ。ロシアが運用する科学実験専用の無人宇宙船BIONを利用した小動物実験の協力を調整するためだ。NASA・エイムス研究所とパートナーを組み、ロシアと調整することになっていた。BION宇宙船やソユーズロケットの製造工場あるサマラという町に行くのだと言う。サマラは第二次大戦中、ソビエト政府がドイツの侵攻から逃れるために多くの政府・軍事施設を移して兵器の生産の中心となっていたところだ。長い冷戦中は秘密都市のひとつとして隠されていた場所だが、ソビエトが崩壊してロシアになり、行き来することが出来るようになった。2002年といえばプーチン政権もまだ始まったばかりでロシア経済状態も良いとはいえない時代だった。初めてロシアに行くのにあたり、「ロシア語しか通じないぞ、モスクワのシェレメティボ空港は国内線ターミナルとの間の移動も白タクで行くようなところだ、レストランや土産物店で外国人はドル建ての高い価格で払わなければならないぞ」と難しそうな話で脅かされた。それで出張が決まってすぐ、昔買った教科書を探し出し主な例文を暗記した。ズドラストウィチェ、スパシーバ、スコーリカ、ドーラガ、ニ・パニマーユといった必須?表現を覚えこんだ。これらのフレーズは結構役に立った。
サマラはモスクワから飛行機で1時間半ほどの距離なのだが、乗り継ぎが良くなくモスクワで1泊する。幸い通訳も同行しているNASAの一行と空港で合流し一緒にホテルまで行くことが出来た。ホテルは建物の外見は立派だが中はアパートのようなつくりで、入り口からして、巨大な鉄の門で閉ざされていた。しかも到着するなり管理人にレギストラーツィア(登録)のためとかでパスポートを取り上げられてしまい、まずは軟禁のような状態だ。水道水もなんだか濁っているが、飲み水がほしかったので、正露丸を溶かし込んで強引に飲用にした。結局終日ホテルから出ることなく、翌日護送されるように空港に戻り、サマラ行きの飛行機に乗った。
アパートのようなホテル |
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モスクワから飛行機で1時間40分ぐらい |
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ボルガ川沿いに広がるサマラ市街地 |
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ボルガ川を望む |
ところが到着してみると、サマラの町はモスクワとはまったく違った。人々は陽気でのんびりしているし、言葉はわからないが親切だ。物価も安い。ホテルは古いがヨーロッパ風のしっかりしたつくりでサービスも良い。なんといっても夏の訪れをみんなで楽しんでいるのが良くわかる。古き良き日々の面影を感じる町なのだ。
肝心の宇宙船の工場に入ると、製作途中のソユーズロケットが何本も並んでおり、ソビエト時代から製造を担当している年配のエンジニアの説明によれば、注文から1年で納品できると自身満々である。ロケットも普通の工業製品という感じだ。宇宙船の組み立て工場では共同研究を行っていると言うヨーロッパ宇宙機関のエンジニアが何人も来ており、実験装置の最終組付け作業を行っていた。この宇宙船は、有人のソユーズ宇宙船とほぼ同じ設計であり、宇宙飛行士が乗るカプセルに人の代わりに実験装置を詰め込んでいる。打ち上げの後、宇宙空間を一定期間飛行し、地球に帰還するフリーフライヤーである。(生命科学実験用のBIONと材料実験用の姉妹機FOTONがある、環境制御能力が少し違う。) |
実験装置を組み付け中のFOTON宇宙船 |
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帰還したカプセル(展示品)に乗る |
打ち合わせが終わると昼食の時間だったが、伝統に従い午後2時ごろから4時ごろで遅いうえに長く、豪華だ、一言ずつ挨拶を述べて乾杯するというロシア式の洗礼もある、「皆さんとお会いできてうれしい」というロシア語を仕入れておいて切り抜けた。昼食がディナーと言う感じだ。長い食事のあと、仕事に戻り一日の議事録をまとめ終わると、これからボルガ川に出てクルーズしようという話になった。その時点で午後5時ぐらいだったが、まだ真昼間のように明るく暖かい。川沿いに出るとそこは砂浜になっており川と言うよりビーチのようだ。売店もたくさん出ており、1から9までの番号で中身が区別されていると言うバルチカビールが売られていた。たくさんの人でにぎわっていて、湘南海岸のような雰囲気だった。
ボルガ川を泳ぐ
船着場からボートが出ると、ロシア人たちは早速水着に着替え始めた。なんとこれから中州まで行って泳ぐのだと言う。え、あなたたち、夏のロシアに来るのに水着もって無いの 信じられないわー、まあ パンツで泳げばいいじゃない」と言うのだ。アメリカ人の若手エンジニアと顔を見合わせて、「やるっきゃないよね」と二人で川に飛び込んだ。
水は温かく、流れも緩やかで、泳いで見ると快適だった。
サマラでの打ち合わせを何とかこなし、モスクワを経由して帰途についたが、空港からの帰りがまた一山だった。いかにも怪しげな人がロビーにいついている。せっかく早くついたのに、時間ギリギリにならないと搭乗手続きが始まらない。ゲートが開いても、係官は急ぐ様子も無く全員の手荷物をすみからすみまでチェックする。そんなこんなで出発時間は迫ってもいつ順番が来るのかもわからない。ちょうどそのとき添乗員さんに率いられた日本語を話す団体旅行客の一団がそばをとおりかかった。団体に混ぜてもらう格好でその方向についていったら簡単な手続きでゲートを通過し、成田への出発時刻までには機内へと進むことができた。
その後、このプロジェクトはいろいろな理由で日の目をみなかったため、サマラを再訪する機会は無く、ボルガでの水泳も一回だけの思い出となってしまった。
再びConnecting dots
それから10年が過ぎ、国際宇宙ステーションの重要なパートナーであるロシアと行き来が絶えない時代が来た。星出宇宙飛行士は、ソユーズ宇宙船で地上と国際宇宙ステーションを行き来したし、実験動物のメダカはバイコヌール宇宙基地で飼育して、宇宙に飛び立ち一部はロシアの大地に帰ってきた。あの暗くて怖かったシェレメティボ空港は、昔日の面影をほとんど残さない現代的なターミナルに生まれ変わり、パスポートコントロールの係官はこちらが一生懸命“ズドラストウィチェ”と言うのに対して「コンニチハ!」と切り返してくる。荷物の預け入れで中身をいちいち見られることは無い。市内のホテルでもレストランでも英語が通じるし、ATMで簡単にルーブルを引き出せる。旅行者を管理する“レギストラツィア”制度も今は懐かしいものとなったし、一人旅でおなかをすかせてもマクドナルドがある! こうしてロシア語をめぐる点と点は一つの線につながったのだが、あれ以来ロシアに行くときにはスーツケースに忘れずに入れるようにした水着の出番はまだ来ない。こちらのドットはいったい何につながるのだろうか。
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