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NASAケネディ宇宙センターのVAB(Vehicle Assembly Building)の前で、Myo Labの実験チームメンバーとともに。 (前列中央が二川先生)

2004年11月 ニューヨークで開催されたASGSB(American Society for Gravitational and Space Biology)の学会にて。 (右端が二川先生)

二川先生の実験テーマ「Myo Lab」がいよいよ開始されます。 先生は、以前にも宇宙実験に参加されたことはあるんでしょうか。

「ええ、実は2度あります。 もともと僕は、模擬宇宙環境で動物の筋肉がどのように萎縮するかを調べていました。 宇宙環境を再現するために尾部懸垂という方法を使うんですが、たとえばラットの尻尾を吊ったままの状態にしておくと、後ろ足の筋肉が宇宙と同じように萎縮するんです。 しかし、模擬は模擬ですから完璧なデータをとることはできません。 それで、なんとか宇宙で実験できないものかと考えていた時に、たまたま宇宙関係のある研究会で、国立精神・神経センターの武田伸一先生という方にお会いしたんです。 そこでつい、練習試合だけでなく宇宙で本番の試合がしたい、なんてことをポロッと申し上げたところ、武田先生がご自身の宇宙実験に誘ってくださり、共同で宇宙実験をさせて頂けることになりました。 これが98年で1回目です。 結果的にこの実験が、Myo Labにつながる大きな一歩となりました」

では、2回目は。

「2003年2月に、スペースシャトル・コロンビアの空中分解事故がありましたよね。 実は、あのコロンビア号に僕らの実験サンプルも入ってたんです。 僕は共同研究者として参加していました。 事故の直前に、代表研究者の先生と打ち合わせをした時には、事故が起きるなんて夢想だにしていませんでしたから、『いよいよサンプルも戻ってくるし、これからが本番だ。いい仕事をしないとな』なんて言われて別れたんです。 そうしたら、帰りのタクシーの中で電話がかかってきて、シャトルが墜落した、と。 その時は、にわかに信じられませんでした。 家に帰って実際にテレビで空中分解の場面を観ても、やはりこれは夢なんじゃないかと思い、自分の顔を何度も叩いたり、つねったりしたのを覚えています」

一般の方々にとってももちろんですが、宇宙実験に関わる研究者にとってあの事故は大変な衝撃でしたね。

「ええ、宇宙実験とその関連の計画はすべてストップしましたからね。 僕らも、ものすごいショックを受けてしばらく放心状態だったんですが、そうこうするうちにJAXAのコーディネータの方がやって来られたんです。 ここで諦めてはいけない、宇宙実験のコミュニティを立ち上げてもう一度頑張ろう、とおっしゃって。 それをきっかけに僕らも奮起しまして、これまで交流がなかった先生方とも密に情報交換をするようになりました。 困難に負けず、何が何でも宇宙実験を成功させなければ、という想いで皆が結ばれたんでしょうね。 こういった経緯もありますし、はじめて代表研究者として臨む実験でもありますから、Myo Labには非常に強い思い入れがありますね」



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