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日本電信電話公社時代 (1985年頃、実験室にて。電気炉は当時も今もほとんど同じ形です)

ふわっと’92実験の打合せが終わった後の記念撮影 (左からコズロフさん、向井千秋さん、マーク・C ・リーさん、木下先生、N ・ジャン・デイビスさん、メイ・C ・ジェミソンさん、毛利衛さん)

結晶研究を始めたのはいつ頃ですか。

「大学の研究室で結晶を作るようになったのが最初です。 当時は、結晶を作ること自体が目的ではなく、作った結晶の光の性質を調べていました。 水の中にある化合物を溶かして、ちょうど氷の結晶を作るような要領で冷やしてやると、次第に結晶が成長してきます。 透明の、まるで繊細なガラス細工のような結晶で、いやあ、いいなあ、きれいだなあと思いながら大学4年生の1年間と修士課程の2年間を研究に没頭して過ごしました」

その後も、結晶研究を続けられたのですか。

「修士を終えて、日本電信電話公社(現在のNTT)に入社したのですが、残念ながら結晶研究からは遠ざかってしまいました。 配属先は公社内の研究所で、コンデンサーの材料となる物質を研究しました。 それから2、3年も経たないうちに光ファイバーが発明され、それが通信に使えることがわかりまして、世界中が光ファイバー研究に夢中になりました。 公社でも、『少しでも高性能の光ファイバーを作ろう』というわけで、私も3、4年程、光ファイバー研究に取り組みました」

まさに技術革新のまっただなかにいらしたんですね。 研究者としては、ものすごく面白い経験だったのではないですか。

「確かに、大変に面白い時代でしたね。 光ファイバーの中の水分や不純物を取り除けば、100キロ先でも光を減衰させることなく伝えられる、ということが分かってきた時期でしたから。 では、どうしたら不純物を含まない光ファイバーを作れるかということで、私たちもさまざまな方法を検討しました」

その後は、半導体結晶の研究に進まれたのですか。

「はい。 私が入社して10年目くらい(1980年ごろ)に、IC(integrated circuit、集積回路)やLSI(Large Scale Integration)という言葉が使われるようになってきました。コンピュータが一般人に身近になってきた時代です。 その後も、半導体集積回路は進歩を重ね、さらに高密度に素子を搭載できるようになっています。 こうして振り返ってみると、ものすごい進歩の中で、常に先端的な研究に携わってこられたという意味では、研究者として大変に恵まれていたと思いますね。 このころ、上司に「宇宙実験をやってみないか?」と声をかけられたのが、宇宙との最初の関わりです」

以前にも宇宙実験を実施されたのですか。

「はい。 毛利衛さんが搭乗した『ふわっと‘92』というスペースシャトルミッションに参加しました。 このときも、種類は別ですが半導体の実験を行いまして、面白い結果が得られました。 今回の実験はその実験結果を踏まえたものです。 その後、縁あってJAXAで研究することになり、現在に至ります」



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