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コラム ―宇宙開発の現場から―

コラム―宇宙開発の現場から―
【紀さんの宇宙あれこれ】 Vol.4 ソユーズとソユーズ(2)ソユーズロケット
外形はV-2ロケットにそっくりなR-1ロケット
飛行中のR-7ロケット
今回は「ソユーズとソユーズ」のソユーズロケットについてお話します。
旧ソ連(ロシア)には「ロケットの父」と呼ばれるコンスタンチン・ツィオルコフスキー(1857年9月17日~1935年9月19日)のような人が存在しましたが、実用のロケットのベースは、アメリカ同様に第2次世界大戦中に開発されたドイツのV-2ロケットです。
ご存じの方も多いと思いますが、V-2ロケットは1944年9月ロンドンを初めて攻撃し、市民を恐怖のどん底へ陥れ、戦争の形態を変えるという意味を暗示したことになりました。ロシアのロケットは R-1(押収したV‐2ロケットを組み立てたもの、ロシア語標記ではP-1)を基礎に、R-5などを経て大陸間弾道弾(ICBM)として、旧ソ連国産ロケットR-7が開発され、このロケットによって1957年10月4日人類初の人工衛星「スプートニク1号」が打上げられました。

スプートニク1号が打上げられた当時の世界情勢は、米ソの冷戦状態の真最中で、正に国家の威信をかけた宇宙開発競争時代でした。ソユーズロケットを知る上にも、そのころの背景を一寸だけ振り返ってみたいと思います。
米ソ両国とも先ず軍事力強化に関して、従来からの大型爆撃機の強化派と核弾頭を搭載する新規ミサイル開発派が激しく争っていました。
相手の軍事力を知るためには航空機での探査が有効ですが、米国では、旧ソ連の情報が非常に入手し難いので1956年ごろから、普通の高度では領空侵略は探知され墜撃されるので、U-2という高高度(2万m以上)を飛行する偵察機を極秘にCIA(アメリカ中央情報局)が開発し、旧ソ連を高高度から極秘に偵察していました。実はチュラタム(現バイコヌール)基地の巨大なR-7打上げ施設も撮影していましたが、詳細な情報は掴んでいませんでした。このU-2は1960年5月ソ連のミサイルにより撃墜され、パイロットが捕虜になり国際事件を引き起こすことになりました。
ところで、当時西側には、その存在が知られていませんでしたが、ロシアのロケット開発を指導していた人物はセルゲイ・コロリョフでした。フォン・ブラウンと共に米ソでの宇宙開発の中心人物だった訳ですが、フォン・ブラウンが彼の存在を知ったのはその死後(1966年)だったそうです。

ガガーリンとコロリョフの珍しい2ショット
コロリョフは、第2次世界大戦以前からロケット開発に従事していましたが、同僚の告発により、シベリアの強制収容所で過酷な環境の生活を強いられ、体調を著しく崩し、恩師らの嘆願でやっと1944年に罪が許されました。
この同僚とはロケットエンジン設計者のワレンチン・グルーシュコで、その後のロケット開発では何かにつけ二人には確執がありました。最高権力者のフルシチョフが仲直りを試みたがうまくいかなかったいう逸話があり、如何に最先端の科学技術推進で業績を上げることと、人間関係をうまくやることは全くの無関係だといういい例ですね。(どの分野でも同じようですが。)
それでは、少し技術的なお話をすることにしましょう。
R-7ロケットは、人工衛星を打上げたので、直ぐに核弾頭を搭載してICBMとして使われるという恐怖を西側に与える、所謂示威効果は絶大だった訳ですが、実態は大きく3つの理由でICBM向きではなかったのです。 一番目の理由は多量の酸化剤としての液体酸素を入れるのに時間がかかる。二番目は巨大な打上げ施設が必要なので敵側に隠せず、いざという時に先制攻撃を受けてしまう。三番目はロケットが大き過ぎて移動するのが大変である。このような理由で初めに意図されたミサイルとしてではなく、人工衛星や有人宇宙船打上げでの活躍の道が広がったのでした。
他方、当然ながらミサイル用には、貯蔵性の良い燃料を使い、R-7に比べコンパクトな設計で、サイロに隠したり、潜水艦搭載や車両で移動できるR-12(1962年故ケネディ米大統領時代のキューバ危機の引き金になったミサイル)、R-16、R-36(冷戦時代SS-9として恐れられていた)など兵器として多くのロケットが開発されました。

さて、R-7ロケットは中心にコアロケット1本、その周りに補助ロケットが4本付いて、ロシアのおばあさんがすそ広がりのスカートをはいたような形になっていますが、主な理由は当時大推力の出るエンジンが無く、苦肉の策として既存エンジンを束ねた結果で最大外形が10.3m、高さ33m、発射質量約280トンにもなりました。(現用のソユーズはもう少し大きい)

組立て工場から射点へ列車で輸送中のソユーズロケット(ソユーズ-FG)のノズル。推進用のエンジン20個と機体制御用の小型エンジ12個がよくわかる。
有人打上げロケットソユーズFGの打上げ、ノーズフェアリングの先に緊急脱出用のロケットタワーが見える。
写真(左)をよく見ると一本の補助ロケットの推進用エンジン(RD107)は大きなエンジン4個で構成され、外側に機体姿勢制御用の小型エンジンが2個付いています。真ん中にある2段ロケットといわれるコアロケットは、地上から燃焼を始めるので、基本設計はRD107と同じですが、タンクも長くなり、長時間燃焼に耐えるエンジンRD108が使われ、補助ロケット分離後機体制御ができるように4個の小型エンジンが付いています。推進薬は毒性の無い、燃料がケロシン、酸化剤が液体酸素です。
ソユーズロケットは、スプートニクを打上げた原型R-7ロケットから、ガガーリンを乗せたボストーク、2,3人乗りのボスホート、8の字軌道の通信衛星や月・惑星探査機打上げのモルニアなどを経て、有人、無人両方に使えるソユーズUが1973年に登場しました。ソユーズUの性能向上のために3段目にイカールやフレガートの上段ステージを使ったのがソユーズU/イカール、ソユーズU/フレガートです。ソユーズUはソユーズTM-34の打上げを最後にISSへの有人飛行は2002年から改良されたソユーズFGになり、宇宙船もソユーズTMAに引き継がれました。
古川宇宙飛行士もソユーズFGで打上げられました。






2011年7月13日に打上げられた、最新バージョンのソユーズ2-1.aロケット、有人ロケットと違う衛星打ち上げ大型ノーズフェアリングに注目。
ESAの仏領ギアナのクールー射場に建設中のソユーズロケット射点。2011年10月打上げ予定。
ソユーズロケットの広がりとしては、ヨーロッパとロシアとの共同会社スターセムが本年もソユーズ2-1a及びソユーズ2-1bロケットで人工衛星の打上げに成功しています。また仏アリアンスペース社は南米ギアナのクールーに以前から射場を整備していましたが、ソユーズSTロケット1号機を本年10月打上げ予定です。条件が整えば将来的にソユーズロケットでクルーから有人飛行が可能になるかも知れませんね。

色々なソユーズロケットが出てきて混乱しそうですね。要は基本的なロケットの仕組みを変えず、エンジンの性能向上、高性能3段の組合せ、電子機器の高度化等を行い、性能と信頼性を向上し、安全性の確保を非常にうまく進めて世界から評価を得ているということだと思います。
その証拠はソユーズの打上げ総数は、今までのファミリーバージョンを含めて、2011年7月の最近のソユーズ2-1aの打上で1,770回を越えています。
今年も、クールーの2回を含めるとあと9回打上げが予定されています。
ロシアの情報は知られていないことが多いと思いますが、ソユーズロケットの一端を知っていただければ幸いです。
次回は、今回触れられなかったN1ロケットと、これからの有人宇宙活動の鍵を握ることになるかも知れないファルコン9とドラゴンのお話をしたいと思います。(続)
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