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コラム ―宇宙開発の現場から―

コラム―宇宙開発の現場から―
【紀さんの宇宙あれこれ】 Vol.15 トピックス:ニール・アームストロングさん、サリー・ライドさん死亡と火星ローバー「キュリオシティ」活動開始
 今回は空中発射型ロケット「Launcher Oneランチャーワン」の話をする予定でしたが、メ-ルマガジンの出るタイミングがズレたため、少し間隔があいてしまいました。その間に宇宙活動で特記すべき出来ごとが三つありました。これらはタイミングが大事なのでトピックスとしてお伝えすることにします。と言うことで「Launcher Oneランチャーワン」は逃げていかないので次回にご紹介します。

 はじめの二つは、世界的に知られたアメリカの宇宙飛行士の訃報です。人類で初めて月に足を下ろしたアームストロングさんとアメリカ人女性として初めて宇宙へ行ったサリー・ライドさんが相次いで亡くなりました。人類で初めて宇宙に行ったのは、1961年旧ソ連のユーリィ・ガガーリンさん、初めて宇宙飛行した女性は1963年同じく旧ソ連のワレンチナ・テレシコワさんでした。米ソ冷戦当時、宇宙開発で遅れをとっていたアメリカはもちろん、西側諸国にとって二人の快挙が元気を与えてくれたのは事実だと思います。そこでふたりの業績やその頃の時代を思い出しながらご冥福を祈りたいと思います。
アポロ11号船長ニール・アームストロング宇宙飛行士。アポロ計画時代の宇宙服とヘルメットで。(提供NASA)
アポロ11号船長ニール・アームストロング宇宙飛行士。アポロ計画時代の宇宙服とヘルメットで。(提供NASA)
 アームストロングさんは、今年8月に82歳で亡くなられました。1930年オハイオ州生まれで、子どもの頃から飛行機などに非常に関心があり、車の免許よりも先に飛行機の免許を取得したというエピソードがあります。
 大学卒業後朝鮮戦争にも参加したアメリカ海軍のパイロットでしたが、1955年にNACA(全米航空諮問委員会:NASA(アメリカ航空宇宙局)の前身組織で1958年NASAになる。航空機のNACA翼型は有名、)のルイス研究所のテストパイロットとして入り、その後エドワーズ空軍基地でX-15はじめ多くの超音速機のテストパイロットとして活躍しました。1962年宇宙飛行士に選ばれ、初の宇宙飛行は1966年の二人乗り宇宙船ジェミニ8号で、アメリカ初のドッキングに成功しました。
 そして1969年7月20日、月面着陸を目指した「アポロ11号」の船長として、バズ・オルドリンさんと共に、人類で初めて月に降り立ち約2時間30分月面に滞在し無事地球に帰還しました。
 その様子はテレビで中継され、私も薄い影のような白い宇宙服姿のアームストロング船長がスローモーションで飛び跳ねるように動くのを、やはり重力が小さいのかと思いつつ感激して観ていました。
 このテレビ映像はNASAの深宇宙ネットワークの三つの追跡局の一つオーストラリアのキャンベラにある直径64m(現70m)アンテナで受信したものが世界中に放映されたものでした。
 アームストロング飛行士が月面に降り立った際に述べた「これは人間の小さな一歩にすぎないが、人類にとって大きな飛躍だ。」ということばは、あまりにも有名です。当時は科学技術の発展の可能性が大いに期待されていた時代でした。
 その頃、私はロケットを製造する会社で既に社会人として働いていましたが、宇宙開発においては、まだ何回も失敗し人工衛星打上が成功していない日本と月まで人を運ぶアメリカの技術力と国力の決定的な差を感じました。よく「月とすっぽん」のようだと揶揄されたものでした。
 アームストロングさんは、1971年NASAを辞めた後、一緒に月に行ったオルドリンさんが外に出て目立っていたのに対し、控えめで大学で宇宙工学を教えていました。その後一時ビジネスの世界にも身を置きましたが、特に最近は公の場に姿を現していなかったということです。
後ろ姿であるが月面上のアームストロング船長が写っている数少ない写真。星条旗と月着陸船と位置関係と船長の大きさに注目(提供NASA)
後ろ姿であるが月面上のアームストロング船長が写っている数少ない写真。星条旗と月着陸船と位置関係と船長の大きさに注目(提供NASA)
2012年2月撮影された最近のアームストロングさん(提供NASA)
2012年2月撮影された最近のアームストロングさん(提供NASA)
 サリー・ライドさんは1951年カリフォルニア州に生まれ、子供の頃はテニス選手になるのが夢だったそうです。宇宙飛行士になったキッカケは、スタンフォード大学時代に偶然見た学生新聞の募集広告だったということですから、何が人生の転機になるかわからないものですね。
 1978年、スタンフォード大学で物理学博士号をとった後、NASAへ入り、1983年、スペースシャトルチャレンジャー号にアメリカ人女性としては初めて搭乗し、世界では3人目の女性宇宙飛行士となりました。続いて、翌年の1984年にも同じチャレンジャー号に乗り2回の宇宙飛行を果たしました。

NASA最初の女性宇宙飛行士候補時代の仲間と訓練休憩中のひと時。向かって左端がサリー・ライドさん。(提供NASA)
NASA最初の女性宇宙飛行士候補時代の仲間と訓練休憩中のひと時。向かって左端がサリー・ライドさん。(提供NASA)
チャレンジャー号のフライトデッキで真剣に作業中のライド宇宙飛行士。(提供NASA)
チャレンジャー号のフライトデッキで真剣に作業中のライド宇宙飛行士。(提供NASA)
サリーライド・サイエンス社の設立など、科学教育に熱心だった最近のライドさん。(提供NASA)
サリーライド・サイエンス社の設立など、科学教育に熱心だった最近のライドさん。(提供NASA)
 1987年にNASAを離れ、スタンフォード大、カリフォルニア大サンディエゴ校などで教鞭をとっていました。2001年、自分の飛行経験を生かすため、科学教育の普及推進を目的としたサリーライド・サイエンス社を設立しました。
 その活動の中でも、世界中の中学生が国際宇宙ステーションに設置されたデジタルカメラを使って、自分の希望する地球上の画像が取れる学習のために利用できる「アースカム」に力をいれていました。
 また、1986年1月打上げ時に起きたチャレンジャー号事故の「スペースシャトルチャレンジャー号事故調査大統領委員会」(ロジャース委員会)と2003年2月帰還時に起きたコロンビア号事故「コロンビア号事故調査委員会」のメンバーを務めました。まだ61歳という若さで去る7月亡くなられましたが、いろいろとこれからも活躍が期待されていたのに残念です。
 さて、2012年の夏、宇宙飛行の貴重な経験をした人材を失ったのですが、一方明るいニュースもあります。それは、まだ人間が行っていない火星で、アメリカのロボットローバー「キュリオシティ」が、地球外で微生物のような生命の痕跡があるか、またそのような生命が存在できる環境が存在するかを発見しようと、本格的な活動をはじめたことです。
 具体的に客観的な証拠が見つかれば、宇宙に対する人々の見方、いや人類のこれからの進み方に大きなインパクトを与えることになるでしょう。
 このローバーの名前「キュリオシティ(好奇心)」は全米から公募の結果12歳の女の子のアイデアで、NASAの正式名称では「マーズ・サイエンス・ラボラトリ」(Mars Science Laboratory:MSL)です。
 火星は人類にとって関心が高く、その探査の歴史も古く1960年旧ソ連から始まり、米ロが大部分ですが40回以上のミッションが試みられています。ロシアは旧ソ連時代から火星探査は成績が悪く約20回のうちほとんどミッションが達成できていません。アメリカは20回強のうち約7割は成功していて明暗を分けています。我が国も「のぞみ」を1998年打ち上げ、火星から1,000kmの地点を通過しましたが、残念ながら火星軌道投入は失敗しました。

 「キュリオシティ」は、2011年11月12日にフロリダ州ケープカナベラル空軍打上基地の41番発射台から、アトラスⅤロケットによって打上げられました。その主な特徴を5つほどあげてみます。

 1.今までで最大の規模と移動能力
 長さ3m、総重量は900kgで、そのうち80kgが科学機器です。「キュリオシティ」は高さ75cmくらいまでの障害物を乗り越えて進むことができます。走行速度は、最大時速90mは出せますが、走行する火星表面の状況、本体の発生電力など種々の条件を考えると平均時速は30mと想定され、2年間では、約20kmの半径内を移動し探査する予定です。これらが実証されれば将来の火星からのサンプルリターンに対しても貴重な情報を得ることが出来るとNASAは期待しています。
 「キュリオシティ」は、2004年に火星に到達した「スピリット」と「オポチュニティ」(Mars Exploration Rover:MER)に比べ5倍の重さがあり、10倍の重量の科学探査機器を搭載しています。これらの機器を駆使し、「キュリオシティ」は火星表面の土と岩石を採取しその場で成分等を分析します。私たちへ世紀の発見となる情報を送ってきて欲しいものです。

 2.17の目(カメラ)
 自立して活動し、走行するための情報を得るために17台のカメラが搭載されています。マスト周りに7台、ロボットアーム先端に1台、ローバー本体に9台の合計17台がそれぞれの役目を持って情報を集めます。
NASAの火星ローバー3世代左よりソジャーナ、オポチュニティ(スピリット)そしてキュリオシティ。大きさの違いに注目。2009年JPL訪問時撮影(提供SAITO NORIO)
NASAの火星ローバー3世代左よりソジャーナ、オポチュニティ(スピリット)そしてキュリオシティ。大きさの違いに注目。2009年JPL訪問時撮影(提供SAITO NORIO)
キュリオシティに搭載されている17台のカメラの位置の説明図。(提供NASA/JPL-Caltech)
キュリオシティに搭載されている17台のカメラの位置の説明図。(提供NASA/JPL-Caltech)
 3.電力源
 電力源としては、プルトニウム238の崩壊熱を利用するラジオアイソトープ電池(Radioisotopic Thermoelectric Generator:RTG)が使われています。1日に2.5kWhの電力を提供出来ます。この電池は長寿命ということで太陽から遠い深宇宙探査のボイジャー、パイオニア、木星探査ガリレオや土星探査カッシーニなどに使われており、2006年に打ち上げられたNASAの冥王星探査機ニュー・ホライズンズにも採用されています。このタイプの電池はわが国では使用されていません。当然ながら、打上げ時の事故や再突入による落下が起きてもプルトニウムが飛散せず、守られるように保護層で覆われ十分な安全対策が取られているとのことです。
 実はこの原子力電池はリチウム電池実用化以前には心臓ペースメーカーにも使われた時期がありました。

 4.火星への降下方式
 火星には薄いとはいえ、成分は炭酸ガスが大部分の大気が地球の大気圧の約0.7%で存在します。今までの探査機ではエアロシェル(大気圏突入時の熱と空力に耐える耐熱材シールド構造)、パラシュート、エアバック等の方式が取られてきましたが、今回はエアロシェル+パラシュート+逆噴射推進方式の野心的な組合せで成功しました。

打上げ前エアロシェルの耐熱カバーの中に収納された「キュリオシティ」。はやぶさの帰還カプセルと大きさは違うが形状的には類似しているのに注意。(提供NASA/JPL-Caltech)
打上げ前エアロシェルの耐熱カバーの中に収納された「キュリオシティ」。はやぶさの帰還カプセルと大きさは違うが形状的には類似しているのに注意。(提供NASA/JPL-Caltech)
スカイクレーンで吊るされ逆噴射で降下し、火星表面にタッチダウンの瞬間の想像図。約2秒後にワイヤーが火工品で切られスカイクレーンは離れた地点へ落下する。(提供NASA/JPL-Caltech)
スカイクレーンで吊るされ逆噴射で降下し、火星表面にタッチダウンの瞬間の想像図。約2秒後にワイヤーが火工品で切られスカイクレーンは離れた地点へ落下する。(提供NASA/JPL-Caltech)
 5.プログラムの書き換え
 「キュリオシティ」の記録装置容量は約4ギガバイトしかないですが、他の人工衛星でも採用されているプログラムの書き換え方式が取られています。活動のフェーズにあったプログラムを地上から送り更新する、プログラムの複雑化を避けると共に万一のトラブルにも対応できる自由度のある設計になっています。
 それから「キュリオシティ」本体のことではありませんし、またあまり目立っていませんが、「キュリオシティ」の着陸成功には、現在も火星を周回している三つの探査機が寄与しています。
 アメリカの2つの火星周回衛星2001マーズ・オデッセイ(2001年打上げ)マーズ・リコネッサンス・オービター(2005年打上げ)とESAのマーズ・エクスプレス(2003年打上げ)が取得した各種データが着陸地点の選定、着陸時支援や追跡運用に使われています。
 「キュリオシティ」は着陸後の各種機能も問題なく、早速近傍を撮影した画像は河川敷のような所で、確実に過去に水が流れていた状況を送ってきました。これから約2.2年の運用期間でどんな発見をしてくれるか本当に楽しみです。

グランドキャニオンに類似する着陸地点の風景。崖の下方には河川敷のような玉砂利が散らばる平地がある。(提供NASA/JPL-Caltech/MSSS)
グランドキャニオンに類似する着陸地点の風景。崖の下方には河川敷のような玉砂利が散らばる平地がある。(提供NASA/JPL-Caltech/MSSS)
過去に水が流れた跡を思わせる玉砂利を含んだ割れた岩石(左)。右は類似の地球上の岩石。(提供NASA/JPL-Caltech/MSSS and PSI)
過去に水が流れた跡を思わせる玉砂利を含んだ割れた岩石(左)。右は類似の地球上の岩石。(提供NASA/JPL-Caltech/MSSS and PSI)
 最後に日本のことに関してちょっとお知らせです。
 日本の現状は、将来に対する目標、特に有人宇宙活動に対して明確な戦略が残念ながら示されていません。というより、現在の我が国の経済環境ではスローダウンしそうな雰囲気もあります。我が国より後発であった諸国が追いつき、追い越しつつある現実を思うと残念というか寂しささえ感じてしまいますが、どうしても次世代へつながる道を作らなければいけないと思います。
 このような状況の中で、JAXAの一部の若手中心の有志職員が「有人宇宙ミッション検討のミエル化」活動を昨年から進めています。この結果を主にしてユニークな冊子「日本の宇宙探検」にまとめました。興味深い情報も入っていますのでご関心ある方は、どうぞご一読ください。(書店でも売られています。)

 次回は「Launcher Oneランチャーワン」を紹介したいと思います。(続)
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