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JAXA宇宙飛行士活動レポート

JAXA宇宙飛行士活動レポートに連載している油井・大西・金井宇宙飛行士が綴るコラム記事“新米宇宙飛行士最前線!”のバックナンバーです。
最終更新日:2013年7月17日

6月のとある晴れの木曜日。ヒューストンのNASAジョンソン宇宙センターに、アメリカ中から往年の宇宙飛行士たちが集まっていました。

2年に1度行われるAstronaut Reunion(リユニオン)に参加するためです。リユニオンというのは、私たち日本人の感覚で言うところの同窓会のようなものです。退役した宇宙飛行士が医学検査も兼ね、かつて宇宙飛行に向けた訓練の日々を過ごしたヒューストンに帰ってくるのです。

プログラムは懇親会や各種ブリーフィング、施設見学などで、その時の一番新人の宇宙飛行士クラスがその事務局を担当するのが慣わしになっています。つまり、私のいる2009年クラスが今回の幹事だったというわけです。

今年のリユニオンに合わせ、もう1つのイベントがジョンソン宇宙センターで執り行われました。昨年8月に他界した、ニール・アームストロング飛行士の追悼式典です。

ニール・アームストロング飛行士は、あの人類初の月面着陸を成し遂げたアポロ11号のコマンダー(船長)で、「月面に初めて降り立った人間」として知られています。また彼がその時に発した、「これは1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」という言葉も世界中で有名になりました。

アメリカの、いえ世界の宇宙開発史に不滅の栄光を刻んだアポロ11号。そのコマンダーの死を悼み、ジョンソン宇宙センターを挙げての式典が営まれたのです。

アポロ11号の他の2名のクルー、バズ・オルドリン飛行士とマイケル・コリンズ飛行士。アポロ17号コマンダーで、現時点で「月面に降り立った最後の人間」であるユージン・サーナン飛行士(現時点で、というのを強調しておきたいと思います!)を始め、多くの著名な宇宙飛行士が式典に参加しました。

バズとマイケルを始め、ニールのことを良く知る友人たちによるスピーチがありましたが、皆が口を揃えて話したのは、ニールがいかに優秀な宇宙飛行士であったかということと、そして彼の常に冷静で慌てることがなかったという人となりについてでした。

例えばマイケルなどは、NASAによる『マーキュリー7』に続く第2世代の宇宙飛行士の選抜試験で最終試験まで進んだ際、父親から「宇宙飛行士になれそうか?」と聞かれ、こう答えたそうです。

「自分がなれるかどうかはわからない。ただ1つ言えることは、ニール・アームストロングは選ばれるだろうということだ」

実際にニールはこの時選ばれた9人の宇宙飛行士『ニュー9』の1名になりました。マイケルは落選し、この次に行われた選抜試験で見事合格しています。

アポロ11号の月面着陸は、ニールの周囲の環境を激変させましたが、それでもニール自身は何ら変ることがなく、その名声を笠に着るようなことがついになかったと聞きます。

人間の評価というものは、その人が生を全うしたときになって初めて、もしくはそれよりもずっと後になってようやく決まるものなのかも知れないな、などど考えながら私はその式典に参列していました。

大きなホールでの式典が終わり、次に宇宙センターの入場門近くにある木立ちでTree Dedication Ceremonyが行われました。ニールの功績を称え、大きな1本の樫の木が彼に捧げられるのです。

その樫の木の前には、ニールが月面に残した最初の足跡が、写真から3Dモデルに変換されて作られた「レプリカ」として飾られていました。親しい友人たちがバラの花をその木の前に供えていきます。その中に彼の2人の息子、リック・アームストロングとマーク・アームストロングがいました。遺族を代表して、その兄弟2人が順番にスピーチを行いました。

写真:木の前に供えられたバラの花とニールが月面に残した足跡のレプリカ

木の前に供えられたバラの花とニールが月面に残した足跡のレプリカ

最初に、弟のマークが木陰に設置されたマイクの前に立ちました。

「私はもうずっと長い間、親父の影の中で生きてきました」

そこでマークは一呼吸おいて、自らの父に捧げられた大きな木を仰ぎ見ながら、こう続けました。

「親父、今こうして話している間も、私は親父の影の中にいるよ」

これには会場中がどっと沸きました。偉大すぎる父を持つ子として、余人には想像のつかない苦労や苦悩もあったでしょう。それを爽やかなジョークに変えた見事な瞬間でした。

続いて兄のリックの番です。ウィットに富んだ弟のスピーチの後で、どんなスピーチを披露するのか、私は興味津々で聞いていました。父そっくりの顔に、穏やかな表情を浮かべながらリックは話し始めました。

「親父には多くのことを教わりました。今日はその中の1つを紹介したいと思います。

・・・あれは私が12歳の時です。世の一般的な12歳の男の子というのがそうであるように、私もまた恐れを知らない子供でした。

当時、我が家には原動機付きのダートバイクがあって、これまた世の一般的な12歳の男の子がそうであるように、私はいつも親父にそれに乗らせてくれとせがんだものでした。

ある日、しつこくせがむ私を親父はガレージに連れて行きました。私は興奮しました。

親父はこう言いました。『バイクに乗せてやってもいい。ただし、1つだけ条件がある。』

私はそらきた、と思いました。どうせちゃんと勉強をしろだの、家の手伝いをしろだの、そんなところだろう、と。どんな条件を出されても、その時は呑むつもりでした。

ところが、親父はおもむろにバイクを床に寝かせてこう言ったのです。

『これを立ち上げてみろ』、と。

私は、そんなことは造作もないと、バイクを立たせようとしました。・・・ところが。

バイクは、ただの1インチさえも、持ち上がらなかったのです。

これには私は一言も返す言葉がなかった。

こんなこともありました。ある晩、ベッドで目を覚ますと、部屋の中に煙が充満していたのです。何が起こっているのかわからず呆然としていると、親父が部屋に飛び込んできて、『火事だ!』と言って私を急いで外へ連れ出したのです」

そこでリックは少し言葉を詰まらせ、涙ぐみながら父の木を見上げると、天に向かって語りかけるように続けました。

「―――親父。親父には、大きな借りがあるなあ」

リックのスピーチは、私の胸を打ちました。

人類初の月面着陸で、その名を歴史に刻んだニール・アームストロング飛行士。その彼が、1人の父としても偉大な男であったことを印象づける、見事なスピーチでした。

写真:“Missing man formation”でジョンソン宇宙センター上空を飛行するT-38

“Missing man formation”でジョンソン宇宙センター上空を飛行するT-38

セレモニーの締めくくりは、4機のT-38によるFly-overです。V字型の綺麗な編隊を組んだT-38が、こちらに向かって飛んでくるのが見えました。あの中には私のクラスメートも数人、パイロットとして、もしくは後席要員として乗っているはずです。ジョンソン宇宙センターの真上まで来ると、4機のうちの1機が一気に機首を上げ、天に向かって急上昇していきます。

”Missing man formation“と呼ばれる隊形です。

会場の人々は皆一様に、4機のT-38が見えなくなるまで、いつまでもいつまでも空を見上げていました。

※写真の出典はJAXA/NASA


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