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JAXA宇宙飛行士活動レポート

JAXA宇宙飛行士活動レポート 2014年2月

最終更新日:2014年3月14日

JAXA宇宙飛行士の2014年2月の活動状況についてご紹介します。

ISS長期滞在中の若田宇宙飛行士の活動については、JAXA宇宙飛行士によるISS長期滞在ページをご覧ください。

油井宇宙飛行士、ロシアと日本でISS長期滞在に向けた訓練を実施

国際宇宙ステーション(ISS)の第44次/第45次長期滞在クルーである油井宇宙飛行士は、2月前半は1月に引き続きロシアのガガーリン宇宙飛行士訓練センター(Gagarin Cosmonaut Training Center: GCTC)で訓練を行い、2月後半は一時帰国し、筑波宇宙センターで訓練を行いました。

GCTCでは、ソユーズ宇宙船とISSのロシアモジュールについて訓練を行いました。ソユーズ宇宙船に関しては、シミュレータを使用した訓練が中心でした。油井宇宙飛行士は、自動化されているISSへの接近・結合及びISSから離脱後の再突入時の運用において、不具合が生じて自動で飛行を制御できなくなった場合を想定して、ソユーズ宇宙船を手動で操縦する訓練を行いました。ISSのロシアモジュールについては、環境制御・生命維持システムに関わる訓練を重点的に行いました。その他、ソユーズ宇宙船が万が一海上へ不時着した場合に備え、ヘリコプターによる救助を想定した訓練なども行いました。


「きぼう」に関する訓練を行う油井、サマンサ・クリストフォレッティ両宇宙飛行士(出典:JAXA/ESA)

筑波宇宙センターでは、「きぼう」日本実験棟のシステムについて訓練を行いました。油井宇宙飛行士は、訓練の初めに、前回までの訓練で得た知識の再確認を行いました。その後、監視制御システム、電力システム、熱制御システム、環境制御システムといった「きぼう」の主要なシステムについて、運用方法や不具合発生時の対処法などを確認しました。加えて、エアロックやロボットアーム、実験支援システム、構造艤装系についても訓練を行いました。

大西宇宙飛行士、ISS長期滞在に向けたロシアでの訓練を開始

写真:より大きな写真へ

訓練開始にあたり、GCTCの関係者を前に挨拶をする大西宇宙飛行士(出典:JAXA/GCTC)

国際宇宙ステーション(ISS)の第48次/第49次長期滞在クルーである大西宇宙飛行士は、2月中旬から、自身のISS長期滞在に向けたロシアでの訓練を開始しました。

2月に行われたガガーリン宇宙飛行士訓練センター(Gagarin Cosmonaut Training Center: GCTC)での訓練は、ソユーズ宇宙船に関わる訓練が中心でした。ソユーズ宇宙船の座席前面に設置されている操作パネルや、ソユーズ宇宙船の構造、ソユーズ宇宙船内の装置の配置、ソユーズ宇宙船の飛行計画について、講義や実習を通して知識を身につけました。その他にも、ソユーズ宇宙船の軌道上装置制御システム、熱制御システム、電力システムについて訓練を行いました。

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ソユーズ宇宙船のシミュレータ内で熱制御システムに関わる操作確認を行う大西宇宙飛行士(出典:JAXA/GCTC)

写真:より大きな写真へ

ソユーズ宇宙船内の概要説明においてタンクのバルブを開く操作を行う大西宇宙飛行士(出典:JAXA/GCTC)


油井・大西・金井宇宙飛行士による活動報告「新米宇宙飛行士最前線!」



皆さんこんにちは。

いよいよ今回でテストパイロットになるまでの経緯の話は終了です。好評であれば、宇宙飛行士候補者になる迄、なんて、どんどん続けてしまっても良いかもしれませんね。

さて、日本に帰国し、T-2練習機での戦闘機操縦課程を終え、無事にF-15のパイロットを目指すことになった私の次の試練は…

そうです!耐G訓練です。通常、戦闘機に搭乗する際には、Gスーツと言って、空気圧で下半身を加圧できる特殊なズボン?を履いています(これを履くと、耐G性が約2g程向上すると言われています)。ただ、耐G訓練中は、Gスーツを付けずに訓練を行います。

これまでに何度も失敗している耐G訓練…今回の訓練では、Gスーツ無しに、8gに耐えなければなりません…はっきり言って不安ばかりで、カプセルの中に入った時点で、何とも言えぬ緊張感が生まれます。加速が開始され、オペレーターの声がいつもどおりに聞こえます。

オペレータ:「2g…3g…」

私:「グレー・アウト! フックッ! フックッ…」

と、ここまではいつもどおり…

オペレータ:「3g…4g…5g…」

私:「フックッ…(キツイ…でも、まだ大丈夫!)」

オペレータ:「6g…7g…」

私:「フックッ…(キツイ…しかも少し疲れてきた…)」

オペレータ:「頑張れ!…8g…」

私:「フックッ(やった!でも、ここで気を抜くと気絶する!まだまだ、耐えないと!)」

オペレータ:「OK!減速!…7g…6g…5g…4g………停止!」

私:「やった!遂に耐えたぞ!」

その後のブリーフィングでも「グレイアウトが早いということは、本来の耐G性は低いのかもしれないが、その後の持久力で乗り切ったね!素晴らしい!」とのコメントを頂きました。ようやく、普通の人にとっては、それほど大きくない壁、しかし、私にとっては巨大な壁であったGを克服したのでした。(余談になりますが、Gに弱く、3回も気絶した経験は、戦闘機操縦の上で本当に役に立ちました。気絶する迄の段階をよく知っているので、直前まで無理ができますが、その一線を超えることはありませんでした。)

さて、耐G訓練の後には、F-15での飛行訓練が始まりました。F-15の機種転換及び部隊で戦闘の基本を学ぶ際に、私の留学経験がとても役に立ちました!

対戦闘機戦闘の理論は、戦闘機の進歩に合わせて変わって行きますが、私達が米国で学んだ理論は日本でも比較的新しいものでしたので、当時NEW BFM(Basic Fighter Maneuvers)と呼ばれていました。その基本を米国で学ぶことが出来ましたので、F-15での戦闘の基礎についても、比較的取り組みやすかったのです。そして、個人的に心理学を学んでいた事も、非常に役立ちました。戦闘の理論と心理学をバランスよく学ぶ事により、自分で言うのも何ですが、バランスの良い考え方をしたパイロットになれたと思っています。

例えば、航空機やミサイルの性能は、物理の法則に従うだけですから、気合を込めたからといって、早く旋回したり、射程が伸びたりするわけではありません。他方、航空機の性能が上がってくると、私の苦手だったGも沢山、長い間かけることが出来るわけで、そういう面では、気合が十分に入っていないと、航空機の性能は100%引き出せないわけです。当時、そして今も周辺国と我が国の戦闘機の数と性能は、日本が劣勢ですから、航空機の性能を100%完全に引き出す能力がなければ、勝機はありません。自衛隊の戦闘機部隊の訓練は日々本当に厳しいものでしたが、それらも何とか乗り越え、一人前の戦闘機パイロットになることができました。

その頃、私にとって重要な、次の進路を選ぶ時期がきました。ずっと、戦闘機の部隊に居たいのは山々でしたが、他方で多くの異なる経験をしたい事もあり、正直迷いました。もう数年間戦闘機の部隊に残り、テストパイロットになる事が出来る飛行経験(時間)を得てから、テストパイロットコースを選ぶか、別の道を選ぶか…ここで、私は防衛大学校での訓練指導教官を希望し、母校に戻る事にしました。それは、教育に興味があるとともに、教育の重要性を認識していたからでもあります。

防衛大学校での教官としての勤務は、私の自衛隊勤務の中で最も楽しい勤務の一つでした。一方で、教官として若い人達の考え方に影響を与えるという行為に畏れ多いものを感じました…果たして、自分はそれに相応しい人物なのかと…この辺りの話を書き始めると、今回テストパイロットになる迄を書ききれないので、またの機会にしますね。

さて、テストパイロットになる事を目指していた私ですが、防衛大学校の指導教官になったが故の問題もありました。それは、テストパイロットになるための飛行経験が不足していた事です。教官をしていると、当然のことながら年間の飛行時間は激減します。そして、残念ながら飛行技術を伸ばす事も難しくなってしまいます。正直、自分がテストパイロットになる自信が100%あった訳ではありませんでした。しかし、多くの方々に相談に乗って頂きつつ、自衛隊で最も厳しい訓練の一つであるテストパイロットコースを希望し、岐阜基地に赴任しました。私達のコースの仲間は、戦闘機パイロット3名、輸送機パイロット2名の計5名。私は前述の通り、飛行経験はその中で最も不足していました。しかしながら、学生長として仲間をまとめる事になり、正直苦労の連続でした。鈍った飛行感覚を取り戻す間もなく、厳しい訓練が開始され、自分の事で手一杯の状態でしたが、学生長として皆をまとめる役割もありました。こんな中で、私はチームの大切さを痛切に感じました。私が大変な時、テストパイロットコースの仲間がいつも私を助けてくれましたし、家族も私が訓練に集中出来るように、様々なサポートをしてくれました。教官も厳しく指導しつつも、温かく見守って下さりました。私が厳しいテストパイロットコースを卒業できたのは、まさに多くの方々の助けがあったからなのです!

「無事に訓練を乗り越え、テストパイロットになり、これから試験飛行を行える!」と思ったら…人生そんなに甘くはありません!自衛隊には、幹部学校という学校があり、そこに指揮幕僚課程という部隊の指揮や指揮官を補佐する能力を身につける為の1年間のコースがあるのです。なんと、テストパイロットコース卒業後、直ちにそのコースに行くチャンスを頂きました。問題は、テストパイロットとしての実務を経験をせずに指揮幕僚課程に行くと、テストパイロットとして岐阜に戻って来るのが非常に難しい事でした…またまた、悩みどころですが、結局、指揮幕僚課程に進むことにしました。新しい経験をする機会を無駄にしたく無かったからです。

指揮幕僚課程は、私にとって最も多くの事を学んだ1年と言っても過言ではないでしょう。この話はまた、別の機会に!

さて、「テストパイロットコースの直後に指揮幕僚課程に行くと、テストパイロットとして岐阜に戻れない」という自衛隊内の長年のジンクス…私の熱烈希望で、叶えてもらいました(笑)!この時私は34歳。ついに、テストパイロットとしての仕事をする機会を得たのです!そして、これが私「宙亀」のテストパイロット→宇宙飛行士という「ライト・スタッフ」物語の始まりでした。ただ、他方で私が宇宙飛行士候補者に選抜された際、JAXAの方から「油井さん程様々な経験をしている人は珍しい。」と言って頂きました。もし、様々な経験から得た知識や技能が評価されたのであれば、私の「ライト・スタッフ」物語は、自衛隊に入る決心をした私が17歳の時に始まっていたのでしょうね。自分の希望どおりにならないことや、思いがけない人生の選択肢の出現など、色々な事がありましたが、自分の人生の目標と積極的な気持ちを常に忘れずに努力を重ねる事が、結果的に他の方々の支援を得ることに繋がり、良い結果を生むのかな?などと考えています。

さて皆さん!3ヶ月分の日記を使って、私がテストパイロットになるまでについてを簡単に紹介させて頂きました。如何でしたか?実は、紙面や時間の制約で、紹介出来なかった事も沢山あります。可能であれば、機会を見つけて更に様々な事を書いてみたいです。皆さんも、私に書いて欲しい事などリクエストがあれば、遠慮なくご意見を下さい!皆さんと一緒に、素晴らしい宙亀日記を作りあげていけたらと思います!

写真

岐阜基地のT-2型航空機の写真です。今は退役して使用していません。101号機は試作機で、様々な試験を行いましたから、視認性を高めるためにこの様な色をしています。航空機の先端に付いているピトー管(空気流の動圧と静圧の差で対気速度を計測するのですが、その圧力を図るための物)も、試験用の標準ピトー管です。各航空機の試作初号機は、このピトー管が付いていますよ。

※写真の出典はJAXA





いま、私はロシアの「星の街」に来ています。

ちょうど日付が変わって、3月14日になりました。

ちなみに、このコラムの公開予定日も3月14日(笑)そもそも原稿の締め切りは1週間前のはずでした。

書きたてホヤホヤの情報が即日公開できるというのも、ネット社会のすごいところですね。

JAXAのHP担当者の方にはとんだ迷惑な話ですが、どうかご容赦を。

「星の街」と聞くと、それは通称であってきっと他にちゃんとした街の名前があるに違いないと思われるかもしれませんが、なんと正真正銘、ロシア語で「星の街」というのが、この小さな街の名前なのです。

モスクワから北東へ約30kmくらいの所に星の街はあります。街の端から端まで、ゆっくり歩いても15分くらいしかかからない小さな小さな街です。その街のおよそ3分の1くらいのスペースを占めるのが、「ガガーリンコスモノート訓練センター」になります。その名の通り、ロシアの宇宙飛行士の活動拠点です。

国際宇宙ステーションに長期滞在する宇宙飛行士は、国籍問わず、ここ星の街でソユーズ宇宙船と、宇宙ステーションのロシア区画に関する訓練を受けることになります。

訓練期間は、担う役割によってかなり差が出てくるのですが、先日ソユーズ宇宙船のフライトエンジニアに任命された私の場合、これから実際の搭乗までの期間の半分近くをこの街で過ごすことになります。その、いくつかのセッションに分けて実施される訓練の、最初のセッションがちょうど数時間前に終わったところで、明日は久しぶりにヒューストンに戻ることになっています。

長期間を過ごすことになるので、星の街にはNASA関連の施設もいくつかあるのですが、その中にNASAコテージと呼ばれる施設が3棟あり、私たちJAXAの宇宙飛行士も訓練中はそのコテージを間借りして、アメリカの宇宙飛行士と共に生活します。コテージとは言っても、日本人の感覚からするとれっきとした家で、リビングルームもあればキッチンもあるので、とても快適ですよ。

写真

星の街にある、NASAコテージ

私にとって、この街の唯一の難点と言えるのが、外食産業がほぼ無いに等しいという点です。レストラン、というかカフェのようなお店が1店舗あるだけです。

当然、食事は自炊が基本になります。夜は、誰か一人が作ってくれた料理をみんなで一緒に食べるというのも頻繁にあります。

普段料理をしない私にとって、これはひじょーーーーにチャレンジングです。正確に言うと、「料理ができない私にとって」と白状すべきでしょう。それなら練習すればいいじゃないかという声が聞こえてきそうですが、まあ人には得手不得手というものがあるわけでして・・・

忙しくて、なかなか料理を練習する時間も取れないと言い訳しておきましょう。

先輩飛行士の中でも野口飛行士や古川飛行士などは、なかなか料理がお上手だったようで、「ソーイチは色々と作ってくれた」ですとか、「サトシのカレーは美味しかった」などなど、肩身の狭くなるような思い出話をベテラン飛行士から聞かされることもしばしばです(汗)

かと思えば、H先輩などは私と同程度の料理スキルだったようで、H先輩と一緒にフライトしたNASAの飛行士が、「○○は日本人なのにおコメも炊けなかった。そんな日本人がいるとは思わなかった」と当時の衝撃を語っており、これにはかなり勇気付けられました。

H先輩、ありがとうございます!

余談ですが、コテージのキッチンにはいつ、どこの誰が置いていったのかわからない食材・調味料が沢山あるのですが、星の街に到着した初日、まずはお茶でも飲んで落ち着こうと思い棚を漁っていたところ、なんと緑茶のティーパックを発見。これ幸いとお湯を注いで飲もうとした時、ふとお茶の色がダークブラウンになっていることに気付きました。時間が経って茶色になっている緑茶はよく経験がありますが、お湯を注いでいる瞬間から茶色です。「あれ、ほうじ茶だったかな・・・?」と不思議に思ってパッケージを確認すると、賞味期限がなんと2010年(笑)これはと、棚や冷蔵庫の中身を改めて確認すると、他にも2年もの・3年ものがゴロゴロと。これには思わず1人で笑い転げてしまいました。

さて、ソユーズの訓練です。

私がパイロット時代に身につけた訓練に臨むに当たってのテクニックの1つに、

「とにかく先輩の話をよく聞く」

というものがあり、今回ロシアに来る前に過去に同じフライトエンジニアの訓練を受けた先輩何人かにアドバイスを聞いてみたところ、

「脅かすようですいませんが、おそらく最初からかなりの勉強量が必要で、私は受験生の頃を思い出しました」(古川飛行士談)

・・・・げ。

「It will be challenging.」(リック・マストラキオ飛行士談)

・・・・げげ!

「最初の何セッションかは、かなり大変ですよ」(油井飛行士談)

中でも極めつけだったのは、宇宙飛行士候補者訓練時代のクラスメートであり、今年夏に打ち上げを控えているリード・ワイズマン飛行士でした。

彼はアメリカでの訓練でよく一緒になったのですが、いわゆる天才タイプ、頭の回転の速さに舌を巻く事もしばしば。その彼ですら、

「最初の1年間はきつい。そこを過ぎると実践的な訓練が増えて勉強はかなり楽になるけど、とにかくそこまでは勉強が大変。週末も日曜日は1日勉強してた」

と。

これはかなり気合を入れていかないと、と気を引き締めて星の街にやってきたのが約1ヶ月前。まず最初のセッションが終わった感想ですが、確かに勉強が大変です。

毎日予習・復習、それから各システムごとにあるテストの準備で、あっという間の1ヶ月でした。それでも、皆が口を揃えて「最大のヤマ場」と話す、ソユーズの姿勢・動作制御、ナビゲーションシステムの訓練は次回以降というから驚きです。

自分の好きな分野ですから、勉強自体は楽しいのですが、いかんせん時間が1日30時間くらい欲しいという感じです。

以前、パイロットの訓練を受けていた時も、毎日勉強とフライトの準備で目の回る忙しさだったのですが、ある日、同期の部屋で訓練が大変だとぼやいていたところ、その同期が言った言葉を今でも覚えています。

「パイロットの訓練なんてたかが2,3年。これから先の長い人生の中で、朝から晩までひとつのことを考えているような、そんな時期が少しくらいあってもいいんじゃない?」

そういうポジティブな考え方があるのかと、同期ながら非常に感銘を受けたのを覚えています。その時は、「そんな時期」がまさかもう1度やってくるとは思ってもいませんでしたが、ソユーズの訓練も終わりのない訓練ではありません。星の街というこののどかな環境の中で、月並みな言葉ではありますが、これから先の訓練も頑張りたいと思います。

※写真の出典はJAXA






ときどき、「いつも訓練ばかりで休みがあるのか?」「週末はどう過ごしているのか?」と質問を受けることがあります。

宇宙飛行士の訓練は、基本的に平日の朝8時~夕方17時くらいまでの勤務時間内にスケジュールされ、土曜日・日曜日は普通にお休みです。ミッションにアサインを受けてロシアなど海外を飛び回る飛行士は別ですが、ミッションへの任命を受けていない自分のような飛行士は、わりあい規則正しい生活を送っています。

じゃあ、週末は何をしているんだ、という話なのですが、朝はゆっくり寝坊して、部屋の掃除をして、スーパーに買い物に行ってと、これも別段、変わったことをしているわけではありません。

「せっかく海外で生活をしているのだから、アメリカ国内を旅行で巡ったりすれば良いのに」と、知人からアドバイスを受けることも多いのですが、もともと旅行好きというわけでもなく、仕事でヨーロッパやロシアなど様々な国に行かせてもらう機会も多いので、それで十分満足してしまい、部屋でゴロゴロするばかりです。

趣味をきかれると、いつも答えに困ってしまうのですが、本を読むのは昔から好きでした。ジャンルは問いませんが、歴史小説や時代物は好きなもののひとつです。日本を離れて暮らしているので、余計に、日本的な題材のものを求めているのかもしれません。

武士の名誉をかけて決闘するような剣豪小説や、江戸の町を舞台にした人情話など、時代背景や住んでいる国が違っていても、人間の行動や心の動きに変わりはないような気さえします。

国の威信をかけて国際調整会議で自分たちの立場を主張し、その裏では現場レベルの担当者と腹を割って本音の話を重ねて何とか案件をまとめる・・・などというJAXAのエンジニアの皆さんの仕事を間近で見ていると、余計そんな風に感じます。

さらにマニアックに、日本の武道に関する古い本を読むこともあるのですが、昔ながらの日本の教えの中に、今の仕事にも生かせるような考え方があるような気がします。

例えば、剣道や柔道などで教わる「残心(身)」という考え方があります。勝ちを制した後でも、油断せずに心と体の準備を残しておくという風に理解していますが、例えば大切な宇宙実験において、複雑な手順を終えた後に「あ~終わった、終わった」とすぐに緊張を解いてしまうのではなく、「よし、難しい仕事を終えた。けれど、何かミスはしていないかな?」と一呼吸おいて振り返りを行う手間が、もしかしたら大失敗を防ぐことにつながるかもしれません。

剣豪として有名な宮本武蔵の著作『五輪書』には、「一対一の戦いで用いる理論は、軍隊同士での戦いと同じである」とか、「大工の棟梁が、材料や道具を選んで、部下を自在に使って建物を作るように、武道に通じた大将というのは、世の中を良く治めるものだ」ということが書かれています。

「一芸に通じると、多芸に通じる」ではありませんが、別分野の技術的な解説であっても、読み方によっては、今自分が従事している仕事に通じるような貴重な教えがあるように感じています。

江戸時代に徳川将軍の剣道師範をされていた柳生宗矩という先生の本には、「剣道を初めたばかりのころは何も考えずに素直に刀を振っているけれど、少し修行をすると色々と難しいテクニックのことを考えたりして、戦うことが難しく感じるようになる。さらに一生懸命稽古を続けていると、考えることなしに、初心の頃のように無心になって、自由自在に刀を使えるようになる」という話が載っています。

ロボットアームの操作や、飛行機の操縦訓練では、いまだに苦労しているのですが、自分自身が成長していないわけでは決してなく、「少し勉強が進んで、より高度なテクニックを使おうとして苦しんでいる」と、同じような状況にあること気づいたりします。

戦前の居合道の先生の言葉ですが、「表の働きは、その裏の力。眼に見えるところの働きは、眼に見えぬものの力の現れである」。

「右手を使うときには左手に注意しなさい」「前に進むときには、後ろに残る足に気をつけなさい」などと、単純にテクニックの上での技術論と読むこともできますが、「ミッションでの成功の陰には、人知れぬところでの長年の努力があるんだよ」と読み解くこともできそうです。

あるいは、「世の中の注目を浴びることの多い宇宙飛行士という職業だけれど、実はエンジニア、管制官、インストラクター、マネージャーというたくさんの人たちの働きがあって、国際宇宙ステーションは安全に運航されているのだ」などとも読めるかもしれません。

先日、国際宇宙ステーションに長期滞在中の若田宇宙飛行士が、日本人として初めて船長に就任しました。

「これはわたし一人の力ではなしえなかったことであり、これまで日本が築き上げてきた実績、そして高い信頼の表れであると思います」という挨拶は、有人宇宙活動の最前線で働くJAXAスタッフの皆さんの仕事を見聞きしているだけに、深く、重く心に響きました。

「日本人の心を表す言葉である、和(ハーモニー)が信念」というのも、国際協力の現場において、日本という国柄が、世界に対して普遍的な価値観を提供するという点で素晴らしいと感じます。

普段の訓練はもちろんなのですが、日本の昔ながらの価値観や考え方を見つめ直すというのも、日本人宇宙飛行士として大切にしたいと思います。



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